第2話 

◇ クラスメイトの女の子



 また、パッと電気が灯る。

 明らかに異質で不快な空気の残り香は消えることなく、未だに宙を漂い続けていた。


 朧げで、非現実的な光景から目が覚めずにいる生徒たちは夢見心地のような表情を浮かべてはぽかんと虚空をただただ見つめるだけの状態になっていた。

 それもそうだろう、あの空気感。精神的な不快感を覚えたのだから無理もない。いわゆる、専門学校のような立ち位置だと思っていた生徒も少なくないはずだ、入学して早々陰鬱な空気を吸わされる羽目になるとは微塵も予想していなかったに違いない。


『無知は罪である』とはこのことだろう。


「じゃあ、俺の後をついてきてくれ」


 名目上での入学式を終えると、担任らしき人物が指揮を取り始めた。並び方はクラス別で分かれていたらしい。おおよそ、30人と言ったところか……。

 どうやら移動するようだ。


 言われるがままにさきほど通ってきた道に踵を返す。

 講堂を出ると、壮大な景色が広がった。

 右手には体育館だろうか、グラウンドと隣接しているので間違いない。左手には噴水にベンチ、見るに生徒たちの憩いの場といったところだ。


 朝、会場に来たときはあまり気に留めていなかったのだがこうして見ると中々に広いのだ。それもそのはず、政府公認のスパイ養成学校ということもあるのか、国からの援助は凄まじいようでまるで私立大学のキャンパス──いや、それ以上広いと思う。

 多くの棟がびっしりと連なり、宿舎、プールも点在する。広大な敷地面積を誇り、小さな街と比喩しても決して大袈裟な表現ではない。国民から税金で意味のわからないものに金をかけるなと反感を喰らいそうではあるが、確かに擁護は出来ない。養成学校ってだけでさすがに贔屓し過ぎではないだろうか。

 一体なぜこれほどまでに広くした理由があるのかは今の俺では皆目見当もつかないが、それだけに国が力を入れている価値があるということにしておこう。

 講堂を右折する。そのまま南棟に入って、2階の教室前で先生(?)が足を止めた。


「席順は黒板に貼ってあるから、勝手に見て勝手に座っていってくれ。……あー、言い忘れてたけどよ、教室に入るときはちゃんと事前にスマホに入れてある学生証をかざせよ。じゃあ俺はちと用があるから職員室寄るからよ」


「「あ、はい……」」


 なんなんだよ、コイツは。

 しかもよりによって担任かよ。ツいてない。


 40代前半のおっさんでちょび髭にパーマをかけた髪はボサボサだ。おまけにネクタイはズルズルと下がっている。人間性は見た目に出るとはよく言ったもので、無気力な性格が汚らしい格好、行動と言動を裏付けていた。

 あと、タバコの臭いもくせぇ。胸ポケットからパーラメント9mgの箱が微妙にはみ出てるし、絶対に入学式の途中で吸ってただろこの野郎。紙タバコやめてiQOSにしろよボケカスが。

 最後に「……は〜、んどくせぇなおい」と文句を垂らしながら渋々去っていったところで、廊下に取り残された俺たちは教室に入るか逡巡していた。キョロキョロと見渡して、先を見計らう。

 入学式の得体の知れない空気感に気圧されたせいなのか、警戒心を持っているのだ。


 別に誰でも良いだろ、と思っていた矢先。

 口火を切る者が現れた。


「ホント何も出来ないヤツは困るわ。断言してやる、お前らはスパイになれない。何なら卒業するのすら無理そうだな。このまま茫洋とした太平洋を彷徨い続けるか、勝手に溺死でもしておけ」


 ……おいおい、とんでもない悪口だな。


 そう捨て台詞を吐くと、颯爽と教室の中へ入っていった。

 さぞかしスパイの役柄に憧憬の念があるのだろう。しかし、初対面の──しかもこれからクラスメイトになる仲間に向かって雑言を浴びせるのは懸命ではない気がするのは俺だけか? 仲間いらずの一匹狼な性格が垣間見える。


 とりあえず、入るか。何も始まらない。

 スマホを取り出すと学校専用のアプリ内から学生証を開いた。今どきの学生証はカード式ではないようだ。


 俺も続いて学生証をかざして中に入る。 

 ──ピッと音を立てると、画面には18の文字が表示された。囚人番号か何かかよ……。


「っと席は、後ろの方か……窓際だ」


 ここで後ろの席を引けたのはラッキーと言える。席順なんて毛ほどもきにしていない─と言えば嘘になるが、どちらかを選べと言われればそれは当然後ろを選ぶ。

 前よりも後ろの方が先生は生徒のことがよく見えて寝ているのがわかる? んなものどうだっていい。要は自分が抱く気分の持ち様な訳で本質などお構いなしなのが人間の性である。


 馬鹿げた思想を巡らせながら次席へと、どっと腰を下ろす。


(……はぁ、陰鬱な気分だ。高校の入学式ってこんなもんなのか? 普通は祝辞があって、吹奏楽部の演奏の中、歓迎されると勝手に思っていたのだが……つーか、それが本来の姿だろ)


 そうして、いくらか自席で大人しくしていると、物腰柔らかそうな声が耳朶を打った。

 これは自己紹介が始まりそうな予感だ。


「ねぇねぇ、もしかしてキミもスパイになるために入学してきたのかな?」


 俺は天から降るような声に顔を上げる。

 今の雰囲気じゃ誰でも女子の声なら恵みの雨と言っても過言ではないだろう。


「も、ってことはお前もなのか? 俺はそこまでなりたいって思ってるわけじゃないけど」

「え〜、そうなんだ。うん、私はスパイになりたくて入学したんだよね!」

「お前、物好きだな」

「そんなことないと思うけど──っていうか『お前』って呼び方やめてくれない!? いくらなんでも失礼すぎるでしょ!」


 途端に机に置かれたネームプレートを持ち上げると、俺の目の前に持ってきた。


「ほら、『お前』なんて名前じゃないんですけど、ちゃんとした名前があるし。お前って、どこからが苗字でどこからが名前なの? お、が苗字ってこと? 違うなぁ、おま、が苗字の可能性──いや、価値観の相違で単純にお前、自体が苗字だという見解も──(以下略)」


 なんか変なことを言い出したぞこの人。

 スルーだ、スルー。


「へぇ……澤谷雪愛か」

「そそ。覚えといて」

「ああ」

 

 ネームプレートを元の位置に戻す。


 ブロンドの長髪をなびかせる。華奢な体型ではあるが、胸は平均と比べると大きい方だろう。いや、それはどうでもいいか。青色を基調としたミニプリーツスカートの制服に紺色のブレザーが馴染んでいる。

 ………これは、………よくないな。


「鼻息たてないでよ、聞こえてるよ」

「たててねぇよ!」

「嘘つき、このド変態」

「初対面に変態とか言うんじゃねぇよ」


 しかし、制服とは。中学校の頃は私服登校が当たり前だったからか、制服を着るとなると妙に違和感を覚える。なんか、こう……生地が肌に触れてソワソワするというか着心地が気持ち悪くて全然慣れない。


「ま、いいけどそれよりキミの名前教えてよ? 私だけ教えたら意味わかんないでしょ」

「俺なんかの聞いてもいいことないぞ……」

「それが自己紹介ってもんでしょ。で、何?」


 澤谷は「はぁ〜」と呆れた様子で溜め息を吐く。どうやら、この状況。言わないと駄目らしい。


「……わかったよ。幸崎来斗こうさきらいと、これでいいのか?」

「幸崎ね! よろしくね〜」

「あ、ああ。よろしく……」


 互いに握手を交わす。

 ……やっぱり、なんか調子狂うな。

 

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