結婚後相談所
渡貫とゐち
姉突貫
インターホンが鳴った。
宅配を頼んだ覚えはないし、実家から旅行のお土産を送ったという連絡もない。
であればどうせ勧誘かなにかだろう。
重要な用件であれば時間を置いてまたくるだろうし……ポストに書面で用件を入れておいてくれるはずだ。
そう思って居留守を使っていると、ピンポンピンポンピンポンッッ!! と連打され、後になればなるほど音に苛立ちが乗ってくる……なんでそっちが?
イライラしてるのはこっちなんだけどな!
うるさいので仕方なく重い腰を上げた。
扉の覗き穴から外を見てみれば…………
「げ」
扉一枚を隔てただけの距離でつい声を出してしまったのが失敗だった。
俺の声を聞いた『姉ちゃん』が、外側からドアポスを開けて、聞き慣れたドスの利いた声だけを届ける。
「開けろ。いるのは分かってるんだから」
「…………」
「居留守を使うつもりなら――よじ登ってベランダの窓を割って入ってやる」
「分かったっ、分かったからそれだけはやめろ!! ……二階だからやろうと思えばできるんだよなあ……」
この姉の場合、三階だったとしても気合でよじ登ってくるだろうけど。
扉を開けると、ゆるふわな印象を抱かせる亜麻色の巻き髪を作った姉がいた。
雰囲気がほんわかしているので癒し系とみなが言うけど、弟からすれば姉は鬼でしかない。
よくもまあ、家で見せる本性を隠せているなと、ゆるふわという鎧の分厚さに感心している……。まあ、姉ももう大人だし、良い歳だし……そう思えば落ち着いてきたのは当然か。
昔のように俺をいじめて遊ぶ、悪趣味なコミュニケーションの取り方はしないはず――――
「おっす。暇だから遊びにきたぞ。酒もある――宅飲みしようぜ!」
「いや、酒飲めないんだけど……」
「じゃあ飲まなくていいから付き合えよ」
「姉ちゃんはそれで楽しいのか……?」
家で飲めよ、と思ったが、ひとりが嫌だから弟の家までわざわざやってきたのだろう。
友達と飲めば……。それがいないからきたのか。
……姉の友達はたまたま予定が空いていなかった、と思うことにしよう。
彼氏は? でなくとも、姉ちゃんを狙ってそうな男はいそうなものだけど。
……指摘しない方がよさそうだ……。たぶん地雷だなこれ。
「あんたが言いたそうなことくらい分かってんのよ。友達も彼氏もいないっつの。あたしを狙う男だって――――みーんな離れていっちゃった。だからもうあんたでいいや。一生一緒にいてくれや」
「一生一緒は無理だけど、一生姉弟なんだから離れてはいかないよ。……姉離れしたいんだけど、姉ちゃんの方が弟離れできてないじゃん」
「なんでする必要があるの?」
親離れするべきだけど姉離れはしなくていいでしょ、というのが姉の意見だった。
そんなのお前が姉だからそう思うだけで…………。
まあ、愛されてるのは伝わってくるからいいか。
がさごそとコンビニのレジ袋を揺らしながら部屋に入ってくる姉。
遠慮なく冷蔵庫を開けて缶ビールとおつまみを詰め込んでいく。
冷蔵庫内を物色しているけど、調味料以外は入っていないから勝手に食べられる心配もない。
飲み物だけはたくさんあるけど……(水かお茶だが)。
「自炊、してなさそうね」
「ないない。ガスコンロも使ったことないし」
「あれは電気だけどね。しないのに、調味料ばっかり……」
「買った弁当の味付けの調整にね。あとは会社で貰った調味料を置いてるだけだったり……」
「これ、賞味期限が切れてるし」
「調味料に賞味期限ってあるんだ?」
よく考えずに答えていたら姉のドン引きする顔が見えた。
常識知らず(配慮知らず)の姉だけど、それは俺に対してだけであって、外面だけは良いのだ――常識は最低限、備わっていたのを忘れていた。
「あんたは結婚できなさそう……」
「そう? 逆にここまで無頓着だと、なんでもかんでもやりたい人からしたら優良物件じゃない?」
「あんたがたくさんの金を稼いでくれるなら……ね。金も稼げない、人脈もない、家事もしない男をヒモと呼ぶのよ。……そう言えば仕事の調子はどうなの?」
なにしてたんだっけ? と知ってるくせにそんなことを聞く姉だった。
「退職代行」
「淡々としているあんたには向いているのかもね」
姉の言う通り。心を殺すのは得意だ。自分には無関係、と思ってしまえばなんでもできる。
退職代行は結局、依頼者と務めている会社の問題だし、俺たちは仲介をしているだけで…………。辞められる会社からは、代行している俺たちへチクチクとお小言を言われるけれど、需要があるのだから仕事として成り立っているわけで。
こういう仕事が生まれてもすぐに潰されるのでなければ、やっぱり今、問題があるからなのだ――――仕事として成立している時点で問題は向こうにある。
見下せる相手なら仕事もやりやすい。
「そう言えば、姉さんは転職したんだっけ……なにしてるの?」
地雷ではないように、と願って聞いてみれば、姉が素直に答えた。
良かった、聞いちゃいけないことではなかったみたいだ。
「言ってなかったっけ? 結婚相談所で働いてるの」
「ほおー……、結婚相談所ねえ……」
「いいでしょ?」
なにが? と思ったけど言わなかった。利用者が多い、というのは聞いたことがある……みんな、意外と結婚したいんだな、と思ったものだ。
……したくない、わけではないのか。みんな、したい気持ちはある……。ただ、色々と障害があるから、じゃあいいや、と諦めるだけで……できるならしたいもの――なのだろう。
少し前の荒んだ姉を見ていれば、今の状態はかなり良い。
ということはお給料もだいぶ良いのだろう。……結婚相談所は儲かるらしい……。
ほんと、意外だなあ。
「あんたの結婚も支援してあげようか? もちろんお金は取るけどね」
「…………相談してる時点で向いてなくない?」
結婚相談所、と聞くと思ってしまうのだ。……結婚って、相談するものか?
相談せずとも勢いでしてしまうものなのではないか? ――と。
「いや、うん……誤解ってわけでもないけどね……。――結婚するかどうか、するなら、相手を探すために相談するって、目的と手段が入れ替わっちゃってる気がする……。
結婚はひとつの手段だと思うんだよ。
好きな人と長く一緒にいるためとか、自分の傍にいさせるために囲う、とか、法律上一緒にいられるようにするためとかね。一生一緒にいたい好きな人がいるから結婚するのに、結婚したいから一生一緒にいたい好きな人を探す? ――なにがしたいの? って思っちゃうよ」
なにがしたいか。そんなの結婚したいのだろうけど。
じゃあ誰でもいいじゃん。
でも相談して相手を探しているのは――意味が分からない。
「うっわ、早口で気持ち悪っ」
「う。ついつい……熱が入っちゃっただけだよ」
「これが噂のチーズタッカルビ丼って奴ね」
「チーズ牛丼ね」
姉贔屓でちょっと上にしてくれたのかな……でも牛丼の上ってタッカルビ丼か(上がマシな方なのかも分からないし)?
ともかく。
「結婚『後』なら、相談することがたくさんあるだろうから、利用する気持ちも分かるけど……というかあった方がいいと思うけど、結婚『前』に相談することってないだろ。
相手なら自分で探せ。
いないなら結婚するべきじゃない。
結婚『だけ』したいなら誰でもいいんだから、テキトーにナンパでもすればいいんだよ……他人に相談するようなことじゃない。
結婚したいなら即決でしてしまえ。
相談してる暇があるなら動け。
二の足を踏むならやめておけ……結婚ってそういうものじゃないの?」
「結婚相談所の存在意義が否定されてる……あたしの職を奪う気?」
「そんなつもりはないけど……。だからさ、『結婚後相談所』にすればいいんだよ。絶対に需要はあるはずだよ?」
「結婚『後』も、結婚相談所に含まれてるんじゃないの? ……ごめんテキトーに言ったわ、そんなサービスうちにはなかったわ」
成婚したらそこまでってこと? 成婚するまでをサポートしてくれるわけか……じゃあその後は……。サービスしているところもあるのかもしれないけど……。
姉が言ったようにアフターサービスも今の結婚相談所に含まれているのなら、結婚『前』の相談を切り捨てればいいだけ……だけど。
結婚後だけだと経営が成り立たないから、結婚前の相談を受け付けたのかも……。
結果、今の結婚相談所ができあがったと言われれば、もうなにも言えない。
前も後も総合して結婚相談所なのかもなあ……。
業界をよく知らない素人の考えは、そもそも経営者が一番最初に思いついたことかもしれないし……、というか大半がそれだ。
そんなこと思いつかないわけがないだろう、と怒られそうだ。
「まだそんなところを歩いているの?」なんて、思われているのかも。
「ただの偏見だよ。忘れてくれ――」
「忘れる。忘れたわ。じゃあさ――相談いい?」
「早。……いいけど、なに? 結婚の?」
「退職の」
「…………。辞めるの?」
「うん」
「いや、自分で言えよ……そういうの得意でしょ」
「どーだか。……今回はあんたに花を持たせたくて」
そんな理由で……?
――――いや。
理由のひとつを前列に持ってきたというだけで、本心はあるだろう。
恥ずかしくて人には言えないような理由を後列に持っている――とすれば、人に言えなくとも弟には言えるのではないか?
退職代行は普通、深いプライベートまでは踏み込まないが、今の俺は同時に弟でもあるので、ずけずけと内面へ踏み込むことができる…………なにがあったの?
「言わないなら受けないからな」
「…………」
「姉ちゃん」
「やっぱりいい。ほんとにあんたに花を持たせたかっただけだし。……いいよ、自分で言って辞めるから。あいつら、マジでボコボコにしてやる……ッッ!!」
「ちょっと待てっ、荒療治で辞めるくらいなら退職代行させてくれ!!」
暴力で姉が捕まるのは最悪だ!
姉ではなく、姉の会社を守るための退職代行を請け負ってやろう!!
「頼むから、俺に花を持たせてくれ!」
「じゃあ任せるけど……、持たせた花を途中で放り投げるなよ?」
結婚相談所だけに、不幸のブーケ・トスにならないように――――
…了
結婚後相談所 渡貫とゐち @josho
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます