第46話 45、夜会 上
「カレン、そろそろ準備はいいか?」
衝立の裏から、アルフレッドが急かすように聞いてくる。この部屋には今、カレンとアルフレッドのふたりしかいない。どうしてかというと、エドリックが使用人たちに、夜会の間は自室(エドリックの部屋)への立ち入りを禁じたからだ。この対策は諸々の機密を守るためには仕方のないことだった。しかし、その弊害で、アルフレッドとカレンは夜会の準備を自分たちでしなければならなくなってしまったのである。
(――――後ろのボタンが止められなくて困っていると素直に言った方がいい?まさか、レダさんから急いで身なりを整えて夜会会場へ来るようにと言われるなんて・・・)
本来、カレンとアルフレッドは荷物の転移任務が終わった後、この部屋で夜会が終わるまで待機する予定だった。しかし、このタイミングでの呼び出されたということはレダがレベッカたちを捕縛し、エドリックが隣国リビエル公国の大公メローに釘を刺すという手順が上手く行かないかもしれないということだろう。
アルフレッドは黒魔女レベッカとレダの全力魔法合戦が勃発するような最悪の事態を迎えないようにしなければと準備を急いだ。そのため、カレンについ何度も声を掛けてしまったのである。
「殿下、大変申し訳ないのですが、手の届かないところを手伝って欲しくて・・・」
「分かった。入るぞ」
アルフレッドが衝立の横から現れた。カレンはアルフレッドの目の前で、クルリと回転して背中を向ける。
「後ろのボタンを留めて欲しいのです。すみません」
カレンは申し訳ない気持ちで一杯だった。アルフレッドは露わになった柔らかですべすべとしていそうなカレンの白い背中をあまり見てしまわないよう、ドレスのボタンに意識を集中する。
(いくら何でも、皇子に着替えなんて手伝わせていいの?不敬じゃない?)
「ああ、ここを下から止めて行けばいいのか。で、最後にリボンを結ぶんだな」
「いえ、リボンは自分で結べますので、大丈夫です」
カレンは、ボタンだけ留めてくれればいいと言ったのだが、アルフレッドは腰の位置にあるリボンも丁寧に結んでくれた。また、彼は準備台に用意されていたひじ上まである長いグローブを手に取ると手際よく外側にクルクルと巻いていく。そして、手を入れやすい位置で待ち構えてくれた。
(あっという間に長いグローブまで装着完了。なんて、優秀な流れ作業―!!)
「殿下は侍女の素質がおありですね!」
「フッ、何を言い出すのかと思えば・・・」
アルフレッドはやわらかな笑みを浮かべる。
カレンは改めてアルフレッドの姿を眺めた。黒地に金の刺繍が施されたテイルコートをキリっと着こなし、前髪は後ろに流している。意思の強そうな紫紺の瞳が露わになり、目じりの緩やかに上がっていくカーブと艶めいて見える銀色の睫毛がいつも以上に色気を強めていた。チェックするまでもなく、アルフレッドの身なりは完璧である。
(殿下、前髪を上げるとカッコ良過ぎるのだけど・・・。隣に立つ私は・・・)
「ハーフアップで髪飾りをつけるくらいしか出来ませんでしたけど、これで大丈夫だと思いますか?」
カレンはアルフレッドへ自信なさげに尋ねる。
「ああ、飾り倒さなくても、カレンは充分可愛いから心配しなくていい。では、レダどのに今から行くと伝えよう」
「はい」
アルフレッドは黙り込む。恐らくレダと話しているのだろう。
(――――そういえば、殿下はいつの間にレダさんと念話で話を出来るようになったの?当然のように口にするから、気に留めてなかったけど・・・。それって、ふたりはいつでも会話が出来るということでしょ?いいなぁー。私も殿下と話せるようになりたい!!)
「カレン、レダどのがここへ来るらしい」
「えっ!?」
すると、衝立の裏から声がした。
「お疲れさま。荷物の件は無事に終わったようだね」
レダは、指先をひょいと振って衝立を消し去り、カレンたちと半日振りの対面をした。人形のアルフレッドもレダの横にいる。今のレダは、カレンのフリをしているため瞳の色はコバルトブルーで髪色は金髪。美しく輝く金色の髪はリボンを一緒に編み込んでオシャレに結い上げ、ドレスも薄いパープル色の柔らかな生地で作成された若々しいデザインのものを着ていた。
そして、今、カレンの着用しているドレスがレダと同じものだということは・・・。
「レダさん、夜会を抜けても大丈夫なのですか?」
「ああ、修羅場が予想以上に長くてねー。少しくらいあたしたちがいなくても誰も気づかないだろうよ。で、入れ替わるなら、あたしはいつもの姿に戻らせてもらうね」
(あ、やっぱり入れ替わるんだ・・・)
レダは指をパチンと鳴らし、いつもの黒いフード姿になった。後ろにいたアルフレッド人形も元通りの白い人形に戻され、レダの懐へ。
「レダどの、少し状況を教えてくれ」
「いやー、状況もなにも・・・。アウローラが、他国からきたご令嬢の一人一人に、エドリックを横に連れて挨拶して回っているんだよ。『私が、エドリック王子の婚約者アウローラです。以後、お見知りおきを~!』って、そりゃーいい笑顔を浮かべているんだけれども、目は全く笑ってないんだ。あれは見ているだけで怖いよ・・・、クックック」
(ローラさん、良かった!!まだ、流血事件になっていなくてー!あっ、そんな言い方は失礼だったかしら・・・)
「カレン、良からぬことを考えているだろ」
アルフレッドは、カレンの頬を人差し指でプニッと押した。カレンは、タイミングが良過ぎて、アルフレッドに心を読まれたような気分になってしまう。
「イチャつくのは後にしておくれ。いいかい、あたしはあんた達に一旦、夜会の場を任せる。そしてレベッカが来たら、ドーンと登場するからね。あいつを確実に仕留め・・・、いや、捕縛するために全力でいくから、あんたたちも気を抜かないようにね!!」
(私の聞き間違いじゃなかったらレダさん、今、レベッカを仕留めるって言った・・・)
カレンは、ジト目でレダを見る。しかし、黒いフードの奥にいるレダの表情は、相変わらず確認出来ない。
「まあ、レベッカは好き勝手に犯罪を重ねているからね。罪を償わせるのは当然。簡単に死なせてなんかやらないよ」
カレンは、明るい口調で恐ろしい言葉を吐くレダに、背筋がひんやりとしてしまう。
(――――余計なことを言うのは止めておこう。私が受けた被害は、精神的なものだったけど、命を奪われた人たちも沢山いるのだもの。レダさんの言う通り、レベッカには、罪をしっかり反省して貰わないといけないわ)
「じゃあ、あんたたちを夜会会場へ送る。準備はいいかい?」
レダは二人へ確認する。カレンとアルフレッドは顔を見合わせると、ふたり揃って頷いた。
――――――夜会会場の柱の陰に、カレンとアルフレッドの姿が現れた。
「あ、この場所は・・・」
(あのエドリックの記憶で出て来た大広間だわ!!)
カレンは夜会会場に見覚えがあった。ここは以前、エドリックの記憶を辿った際に出てきた場所だったからだ。ただ、あの時とは少し印象が違う気がする。会場は、ほの暗いランプの光と赤いベルベットの布地を優美に天井から何本も垂らしていて、人が隠れられそうな場所が其処彼処に作られていた。そして、漂ってくるのは、イランイランの官能的な香り。カレンでも分かるくらい、この会場は不健全で怪しげな雰囲気が漂っている。
「殿下、夜会の雰囲気がおかしくないですか?」
「ああ、何故、アウローラ嬢が怒ったのか、予想がつく」
「ですよね。本当の婚約者を見つけるというより、これでは愛人探し・・・。いえ、それよりもっと・・・・、口に出して言えない会の雰囲気ですよ!」
「そうだな。仮面でも被った方が良さそうな雰囲気だ」
アルフレッドはカレンが“口に出して言えない会”とハッキリ言ったことに苦笑してしまう。“口に出してはいけない会”とは所謂、仮面舞踏会のこと。それは肉体的な下心しかない会だからだ。
(笑っているってことは、殿下もそう思ったのでしょう!もう!!)
カレンはアルフレッドの袖を引いた。少し屈んでくれたので耳元へ囁く。
「エドリックって、おバカなのでしょうか?」
「ああ、この謎の演出が今回の計画を狂わせたのは間違いないだろう」
アルフレッドは視線を上げ、会場内をゆっくりと見渡す。その精悍な横顔にカレンはつい見惚れてしまう。
(この殿下に対して、やけにムラムラとしてしまうのはこの香りのせい??そうよ、そうに決まっているわ!!もう、エドリック王子のバカー!!)
カレンが心の中でエドリックを罵っていると、アルフレッドから肩をトントンと優しく叩かれた。
「あそこに、エドリックたちがいる」
カレンはアルフレッドの視線の先を見る。
「あれって・・・」
「ああ、エマと対峙している。タイミングがいいのか悪いのか・・・。はぁ、俺たちの出番だな」
「そうですね。行きましょう」
アルフレッドと腕を組み、カレンはエマに向かっていく。途中、先日エマに傘で殴られたことを思い出した。しかし、エマはレダの弟子を殴ったとしか思っていない。カレンは首を左右に振る。
(エマは私を殴ったとは気付いていないのだから、気持ちで負けないようにしないと!!)
近づくにつれ、会話の内容が段々と聞こえて来た。
「――――――そう、あなたはアウローラというのね。今夜は、エドリック王子の正式な婚約者を選ぶ会だとお聞きしていたのだけど・・・。わたくしは、ニルス帝国の第一皇子の正式な婚約者として、エドリック王子の婚約者選びを見届けに来たの。婚約者気取りの女のご挨拶なんていらないわ」
(どうしょう。エマの発言が酷すぎる。これ、相手が事情を知っているエドリック王子じゃなかったら即国際問題になってしまうレベルよ。だって、ローラさんはこの国の宰相閣下の娘さんなのだから・・・)
バシン!!
大きな音が、会場に響き渡った。
「あー、とうとう手を出したか」
アルフレッドが、ボソッと呟いた。ただ、目の前でエマを平手打ちしたのは、ローラではなくエドリックだった。
(嘘!?エドリック王子がエマを叩いた!!!)
カレンは、あり得ないと動揺してしまう。ローラを見ると口元に手を当てて、驚きを隠せない様子だった。
(そうよね!ローラさんもエドリック王子がエマに手を出すなんて予想してなかったハズ・・・)
「我が婚約者に対し不敬である。即刻退場せよ。従わないのならば、侮辱罪を適用し逮捕する」
会場が一気にシンと静まり返る中、エドリックの冷ややかな声が重く響き渡った。エマの次の言動に皆が注目する。
「痛ったーい。何なの!あんたこそ不敬よ。帝国の次期皇后に盾突くなんて、バカなんじゃない?」
(え、次期皇后!?それにエドリック王子をあんたよばわり!?ああああ、とんでもないわ・・・)
エマは今だに自分の地位をニルス帝国の皇族だと思っているのか、堂々と言い切った。
「バカはおまえだろ!」
そこへ斬り込んだのは、言うまでもなくアルフレッドだった。
「おまえは俺の婚約者でも何でもない。ただの犯罪者だ。自分が指名手配されていることも知らないのか?」
「アル、何を言っているの?わたくしたちは婚約者だわ。おかしなことを言わないで!!」
(ア、アルって言った!!信じられない!!)
エマが真剣なまなざしでアルフレッドへ言い返しているのを見て、カレンは血の気が引いた。既にアルフレッドは人を殺しそうな目で、彼女を睨みつけている。
(コレは・・・、ワザとなの?それとも、本当にエマは現実が見えていないのかしら。どちらにせよ、ここまでくると気持ち悪いとしか・・・)
「俺の婚約者は、昔からカレン・マーレ・シュライダー侯爵令嬢、ただ一人だ。おまえと俺は赤の他人だとこの場で断言しておく。帝国法に則り、不敬罪で逮捕する。捕縛せよ!!」
アルフレッドの声が響くと何処からか、ニルス帝国の軍服を纏った人員が六名現れた。
(え、あれは・・・、全員銀髪!?もしかして、また別の歴代皇帝の方々なの?だとしたら、本当に皆さまニルス帝国のために現役で働いているのね)
彼らはエマを拘束するため、近づく。
バチッ、バリバリバリ。
異様な音がした。カレンはエマが軍人へ抵抗したと気付いたが、当の軍人たちは何も起らなかったかのように平然と対応している。そして、エマは後ろ手に手錠を嵌められ軍人たちに両脇をガシッと掴まれた。
「カレン、あれはさっきの奴らとはまた別の歴代(歴代皇帝たち)だ。心配はいらない」
アルフレッドがこっそりと教えてくれた。カレンは自分の予想が当たっていたことが嬉しくて、アルフレッドに微笑んでみせる。
「あー、あんた!カレンじゃないの。どうやって屋敷から出て来たのよ!!」
(えー、エマ、今頃気付いたの!?)
拘束されているにもかかわらず、足をバタつかせながらエマは叫ぶ。カレンは黙ったままエマを見据えた。答えてやる必要などないからだ。
「くっそー、泥棒猫め!!あんたなんかお母さまに言いつけて、二度と表に出れないような酷い目に合わせてやるんだから!!!」
この期に及んで、エマは大きな声でカレンを罵る。
(なんて、醜いことを言うのかしら・・・。でも、もう負け犬の遠吠えにしか聞こえないけどね)
カレンは怒りを通り超えて、虚しい気分になっていた。この子は嘘を嘘だと認める勇気もないのかと・・・。
「あら、何ごとかしら~」
空気を読まない甘ったるい声で現れたのは、本日のターゲット、黒魔女レベッカだった。
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