第37話 36、夜明け前に
カレンが目覚めた頃、辺りはまだ薄暗く、静寂に包まれていた。
(疲れて、早く眠ってしまったけど、何時かしら?)
掛け布団を持ち上げ、上半身を起こす。サイドテーブルの上に置かれた時計を見ると、時刻は四時を少し過ぎたところだった。
(微妙に早い時間・・・。もう少し眠る?)
もう一度、ベッドに横になってみた。しかし、眠れそうな気が全くしない。カレンは、すぐに諦めて、ベッドを降りた。部屋に明かりを灯すと、身なりを整えるため、バスルームへ向かう。
鏡に映る自分の姿を見ていると、先ほどの夢を思い出した。
―――――それは遠い記憶のような夢。
夢の中では、うさぎのぬいぐるみ“デュラ”をかかえた幼子カレンが、“誰か”に抱かれていた。部屋は、シュライダー侯爵邸の一室のようだ。ゆらゆらと優しく揺られていると、“春の女神さま”が聞こえてくる。これは、その“誰か”が歌っているのだろうか?
(これの声は、もしかして私のお母様?今まで何の記憶もなかったのに、夢に出て来るなんて、不思議な気分だわ)
幼子カレンは、その“誰か”を見ようとした。目の前で、サラサラの金髪が揺れているのは分かるが、その声の主の顔には靄が掛かっていて、どんな表情をしているのかも分からない。
(顔が見えないのは、恐らく私の記憶に残っていないからよね・・・)
鏡の中の自分を覗き込み、自身の髪を指で摘まむ。この髪の色は、もしや母親譲りなのだろうかと・・・。
(夢の“誰か”は金髪だったわ。もしかして、私のこの金髪と瞳の色はお母様に似ているのかしら。お父様はこの話を嫌がるし、屋敷には、お母様の絵姿も残されていないのだもの。それに、私とお父様はあまり似ていないと思うのよね。だとしたら・・・)
シュライダー侯爵は、帝国内では有名な美男子である。髪色は濃いブラウンで、瞳の色はブルーグリーン。一方、カレンの髪色は、美しい金色で瞳の色はコバルトブルー。確かに二人はあまり似ていないといえるだろう。
―――――今から、二十年ほど前のこと、カール(シュライダー侯爵)が、結婚と同時に夫人の妊娠を発表すると帝国内に激震が走った。それは、カールが美男子かつ誠実な性格のため、女性に人気があったことに加え、相手が身ごもっているということが原因だったのである。
ここ、ニルス帝国は、貞操を重んじるため、婚姻前に関係を持つことをとても嫌う。
世間が、カールの相手を詮索し、騒ぎが大きくなりそうになった頃、ニコラス皇子(ニコラス皇帝)が、皇子妃の妊娠を発表した。当然、世間の関心は一気に皇家へと移っていく。結果、シュライダー侯爵家をターゲットにした騒ぎは収束した。
そして、五か月後、皇家に第一皇子アルフレッドが誕生し、各地で皇子殿下誕生のお祝いと冠した祭りが執り行われ、帝国内はお祝いのムードに包まれる。
その一か月後、シュライダー侯爵家が、女児が誕生したことと、共に夫人が体調を崩し、長期療養が必要になったと発表。しかし、このニュースに関する世間の反応は薄かった。それは、第一皇子のお祝いに水を差したくないという感情が働いていたのかも知れない。
カレンは、父が両親(先代シュライダー侯爵夫妻)の反対を押し切り、母との間にカレンを授かって結婚したことや、母が産後体調を崩し、後にこの世を去ったという話は、侍女長から聞いて知っている。ただ、ニコラスがカール(シュライダー侯爵)と友人だったという点だけは、知らされていなかった。
(まさか、皇子殿下が友人たちの窮地に助け舟を出したなんて、世間は想像もしてなかったでしょうね。それに、お母様が療養後に亡くなった事が世間であまり騒がれなかったのは、陛下が密かに根回しをしていたのかも知れないわね。まぁ、私の想像だけど・・・)
カレンは、髪を三つ編みにし、先端を革ひもで結んだ。こめかみの傷は、すっかり消えており、痛みも全くない。
「よし!準備完了!!今日もガンバロウ!!」
両頬をパシッと叩いて、気合を入れた。
―――――
ダイニングルームでカレンがお湯を沸かしていると、アルフレッドが二階から降りて来た。
「殿下、おはようございます」
「おはよう、カレン。疲れは取れたか?」
アルフレッドは、カレンに近寄るとチュッと頬へキスをした。
(わっ!急に!?)
「殿下、ダメです。ここはプライベートな場所ではないので・・・」
慌てるカレンに、アルフレッドは微笑を浮かべる。
「では、次はカレンの部屋に招いてくれないか?」
「ええ、勿論です!私のお部屋はとーっても可愛くなりました。レダさんのおかげで!!」
カレンは、アルフレッドの下心を勘繰ることもなく、溌溂はつらつと答える。
「俺、カッコ悪いな・・・」
カレンに聞こえないくらいの声で、アルフレッドは呟く。
「えっ?何ですか??」
「いや、その可愛い部屋を見るのが楽しみだなと・・・」
アルフレッドは言葉尻を濁した。
「ええ、お楽しみに!!殿下も何か飲みます?あ、シナモン入りのミルクティーとか、如何ですか?」
カレンは以前、ニコラスが気に入って何回もお代わりをした一品を、アルフレッドへ勧めた。アルフレッドは大きく頷く。
(親子でシナモンが大好きなのね・・・)
アルフレッドが大好きなのはシナモンではなく、可愛く質問してくるカレンなのだが、本人は全く分かっていない。
―――――ふたりでソファへ腰掛け、湯気の上がる飲み物を口へと運ぶ。
「美味しい。ありがとう」
「どういたしまして」
互いに微笑み、優しい空気に包まれる。また、窓の外も少しずつ明るくなり、そろそろ夜明けの時間のようだ。
カレンは、昨日取り組んだ魔法の課題の話をアルフレッドにした。箱の中身を隣の箱へ移すというあの課題のことである。
「隣の箱へ移す時、一度、元の箱にあるものを別の空間へ吸い込んでから、隣の空間へ吐き出すイメージで魔法を組み立てて発動しているのですけど、何故かリボンが増えてしまって。何度かチャレンジしてみたのですけど、全然ダメなんです・・・」
アルフレッドは昨夜、レダからこの件の概要を聞いていたが、詳細な説明をカレンから聞いて、何となく掴めたような気がした。
「カレンが、イメージで魔法を発動するタイプなのだとしたら、スッと吸い込んで、パッと吐いてみたらいいんじゃないか?ズーっと吸い込んで、バーッと吐くから、数が増えたとか、そういう単純な理由のような気がする」
「スッと吸って、パッと吐く・・・。――――分かりました。やってみます!!」
カレンは、部屋の片隅に重ねられたままになっていた箱とリボンを持って来た。そして、それをソファの前にあるローテーブルの上へと置く。
「あの、実践してみるので見ていてもらえます?」
「ああ、分かった」
カレンは左の箱へリボンを入れ、準備を整えると深呼吸を一つした。それから、左手を左の箱へ、右手は右の箱へと翳す。
(集中するのよ。箱の中にあるリボンをまず思い浮かべて・・・。―――見えた。よし、次は・・・)
アルフレッドの助言通り、一息だけ吸って、一息だけ吐き出した。
(イメージ通り出来たと思うけど・・・。上手く移動したかな)
両手を下ろして、カレンはアルフレッドの方を向く。
「殿下、終わりました。確認してください」
「分かった」
アルフレッドは、先ず左の箱を開けた。中身は空だった。箱の中身をカレンへ見せる。
「あ、最初の箱のリボンは無事に消えていますね、では、右の箱も確認をお願いします!!」
「分かった。確認する」
アルフレッドは箱を膝に乗せ、ゆっくりと蓋を取った。中を覗くと、リボンが一本だけ入っている。そのリボンを人差し指と親指で摘まみ、カレンの前へ吊り下げて見せた。
「カレン、おめでとう。成功だ!!」
まじまじとリボンを眺めながら、カレンの表情が綻んでいく。
「成功?えっ、本当に!?やったーーーー!!殿下!!的確なアドバイスをありがとうございます!!うわーっ、嬉しい!!これで、私、魔法をひとつ習得しましたよー!!」
「ああ、おめでとう。こんなに難しい魔法を一日足らずで習得するなんて、カレンは才能があるんだな」
「本当の本当にそう思います?」
眼を輝かせながら、カレンはアルフレッドを真っ直ぐに見詰めて聞いて来る。アルフレッドは心の記憶を読まれないように、しっかりとカギを掛けてから、カレンの質問に答えた。
「ああ、カレンには才能があると思う。そして、努力家だと俺が一番知っている」
アルフレッドは手を伸ばし、カレンの頭の上に置いてポンポンとねぎらう。カレンは満足そうな顔をして、アルフレッドにこう言った。
「殿下って、魔法をどのくらい使えますか?」と。
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