第22話 21、実力不足

 美味しいお昼ご飯を持って来てくれた麗しき皇子さまは、この後、海軍の司令塔へ向かうと帰っていった。楽しいランチタイムによって、カレンの憂鬱な気分は一気に解消される。これなら、午後も頑張れそうだ。


 そんなカレンは今、“春の女神さま”という童謡を鼻歌で歌いながら、午後のお客様を迎える準備をしている。


(こんな風にテーブルを拭いたり、床を軽く掃いたり、今まではキュイが手伝ってくれていたのよね。いざ一人になると、そういう細々としたことも自分でしないといけないから大変だわ。だから、殿下が食事を持って来てくれるのはとても助か・・・嬉しいわ)


 アルフレッドのしてくれることには一つ一つ意味があり、温かな愛情を感じさせてくれる。それはカレンが婚約者だったころと何ら変わりない。今も昔もアルフレッドは言葉だけではなく、態度でもカレンを大切だと証明してくれている。一方、カレンはアルフレッドに対して、まだ婚約者の座にいるエマの存在が気になり、上手く応えることが出来ずにいた。


(この殿下のやさしさに触れた後に、また引き離されるようなことがあったら、今度こそ、私は絶望の淵から真っ暗な冥界へと落ちてしまう)


 カレンは、アルフレッドや陛下、シュレイダー侯爵、そして『レダの家』に来たお客様たちの話を聞いて、急に外の世界への関心が高くなっていく自分に驚きを隠せなかった。目が覚めたかのような感覚、それはきっと無気力に過ごしてきたこの生活の終わりを告げているのかも知れない。しかし、この占いの館で、レダの身代わりをしておくという約束をした以上、勝手に出て行くわけにはいかない。


(レダさんが戻ってくるまでは・・・)


 もどかしい気分で窓辺から、外を眺める。


 いつの間にか、空には厚い雲がかかっていた。風も吹き始めていて、窓枠がガタガタと揺れている。もうすぐ、雨粒も落ちて来そうだ。こんな日は海も荒れるだろう。 


 そこで、カレンはアルフレッドが話していたことを思い出す。


 東方面への陸路が、イシュタル共和国とオルセント王国の揉め事によって閉ざされてしまったため、人や物は、その区間を海で船を使って移動しないといけなくなった。となると、海路で“ガッポリ稼いでやる”というような悪い輩が増加し、海の治安が悪くなる可能性がある。


 皆の安全を守るためにも、海軍による周辺海域の見回り体制を強化しなければならないとアルフレッドは言っていた。


(でも、まあ、大切な品物を任せるなら信頼できる船を商人たちは選ぶと思うのよね。悪い輩たちも、そんな簡単にはいかないでしょ)


 まず、一番は良いのはイシュタル共和国とオルセント王国の揉め事が、早期解決することだ。長引けば、東から輸入されている香辛料や薬草、乾燥果物などの価格が高騰と在庫切れが発生し、あちらの国々も同じように、こちらから輸入している乳製品や穀物、木材などで打撃を受ける。今回の街道の閉鎖で、周辺諸国にとって良いことなど、一つもないのだ。


(それでも、閉鎖に踏み切ったのは、よほど許せなかったのでしょうね・・・)


 窓から、視線を室内に戻し、読みかけの本へと手を伸ばす。


 “魔法倫理学”の本、しおりを挟んだページを開く。先日読んだ第三章では魔法で作り出した空間が別次元ではなく、この世界のどこかの空間だった場合の倫理的問題点に関する話だった。今から読もうとしている第四章のテーマは、意図的にこの世界の空間を魔法で引き寄せることに関しての倫理的問題点が綴られている。


(この本って、魔法使いが好き勝手にしてしまいそうなことを取り上げて、倫理的に許されるのか許されないのかを当人に考えさせようとしているみたいな内容なのよね。それにしても、人の空間を自分の都合で引き寄せるなんて、しちゃだめでしょ・・・・ん?んんん?んー、コレ役に立つかも!!!)


 カレンはこの方法を活用すれば街道の荷物や人を魔法で運べるのではないか?と閃いた。


(例えば、オルセント王国の街道のとあるポイントと、ニルス帝国の街道のとあるポイントを魔法で繋いでしまえば、通れない区間を飛び越えることが出来るわ。そうすれば、海で待ち構える悪い輩に怯える必要もない。ただ、この“魔法倫理学”の本では、そういう魔法を使う時は、細心の注意が必要だと何度も書いてあるわ。そして、魔女が一つの国家に肩入れしてはならないとも・・・。それって、例えば、私がこの空間を繋ぐ魔法で、ニルス帝国と各国を魔法で好き勝手に繋いでしまうと、この国がとてつもない力を持ってしまう可能性があると指摘しているのよね。言いたいことは分かるわ。悪用したらどこまでも危険だということも・・・。だけど、緊急時というか、非常事態だというような時は、そんなこと言っていられないと思うの)


 ただ、残念なことに、カレンは空間を繋ぐ魔法が、どんなものかも知らない。なぜなら、カレンは、魔法使いの修行をしたことがないから。持っている魔法の知識は、この『レダの家』の書庫にある“魔法に関する本”で得たものだけなのである。


(こんな状況になる前に、魔法の使い方をもっと学ぶべきだったわ。お父様もレダさんと知り合いなら、“娘に魔法を教えてくれないか?”とお願いくらいしてくれたら良かったのにー!!でも、もしかすると、私が知らないだけで、お願いしたけど、レダさんからキッパリと断られたって、可能性もありそう・・・)


 再び視線を窓に向けると窓に水滴がついていた。考え事をしているうちに雨が降り出したようである。


 コン、コン、コンコンコン!!!


 強めにドアをノックする音がした。油断していたカレンはビクッとしてしまう。慌てて、フードを目深に被り直し、ドアを開けた。


(え!!!)


 カレンが気を失いたくなるような相手がそこには立っていた。


 豪華なフリルが幾重にも重なったアンブレラを持ち、胸元の豊かさを強調した濃い紫色のドレスを身に纏っている。ヤドリギ横丁には不似合いなAラインのドレスは裾が、大きく、それはもうかなり大きく広がっていた。言うまでもなく、舞踏会へそのまま行けそうなスタイルである。


(毒々し過ぎるその恰好は何なの・・・。それにどうして、ここを知っているの・・・)


 カレンは、フードの奥で眉を顰める。


「ちょっと!ドアを開けるのが遅いわよ!!」


(第一声から、いやな感じ・・・)


 カレンは何も言い返さず、部屋の中に案内もしようとはしなかった。何故なら、エマの目的が分からないからである。


「小汚い老婆、ここの店主を今すぐ出しなさい!!」


 甲高い大声を出して、エマが恫喝する。カレンは黙ったまま、動かない。


「あんたバカにしてるの?そこをお退き!!私が店主を引きずり出すわ」


 エマはカレンの左肩をドンと強く押した。カレンは後ろへ倒れ込みそうになりながらも、足を踏ん張り耐える。


「お嬢さま、失礼ですがどのようなご用事でしょうか?」


 カレンは低い声でゆっくり話し掛ける。


「アンタに教える必要はないわ」


「では、お引き取りを」


「な!!何なのよ。ふざけないで!!あたしを誰だと思っているの!!」


 興奮したエマは、開いたままのアンブレラを振りかぶった。


(あっ、叩かれるっ!!)


 カレンは反射的に目を瞑り、首ををすくめた。

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