【語り部:闔�豕瑚「�遨コ豌�」】(4)――このままじゃ、俺が死んでしまう。
途端に場の雰囲気が豹変する。
春から冬に逆戻りしたかのような、そんな変わりようだ。
なんてことのない一言だけで、これだけ殺伐とした空気にがらりと転換させるほどの人物。カツカツとヒールを鳴らして近づいてくるそれに、俺は自然と身構える。
「あ、課長……」
ほとんど無意識にだろう、少女は椅子から腰を上げてそちらを見た。
同時に、声の主が姿を現す。
「どうして殺人鬼くんが大声で突っ込み入れてるのかなあ。あたしは尋問してきてねって言ってあんたを送り出したと思ったんだけど。ねえ、清風?」
果たして、声の主の正体はパンツスーツに身を包んだ女であった。
少女の隣に立つとゆうに頭ひとつぶんは高く、その黒いスーツは彼女の長身をさらに際立たせている。年齢は恐らく三十歳前後なのだろうが、こんな業界にいるからか、その表情は同世代の誰も見せないほど険しいそれだ。飢えた狼のように鋭い目つきに、皮肉気に笑みを浮かべる口元。まるで大ベテランの刑事でも見ているかのようである。
しかしなにより目が行くのは、その左腕だった。正確を期するなら、左腕に目が行くのではなく、左腕がないということに目が行くと言ったほうが正しい。人殺しを生業にするような組織に属しているのだ、後天的であると考えてまず間違いないだろう。
それだけ見ただけで、俺が心を病んでいる女子高生に監禁されている説は、瞬く間に立ち消えた。ここは間違いなく、裏社会の真っ只中なのだ。
飢えた狼のような目つきの女――狼女は、不機嫌であることを隠そうともせず、俺と少女とを交互に見る。その際、ショートボブの黒髪が揺れ、少女と同一の華やかな匂いがした。同じシャンプーを使っているのだろうか。
「いや違うか。女子高生相手にこいつが勝手に興奮しただけだね。うん、こいつはそんな目をしている。そうだね清風、あんたはなーんにも悪くないや」
頑張ったねー、と柔らかい声を出しつつ、右手で少女の頭を撫でる狼女。
「子ども扱いはやめてください」
少女はと言うと、言葉の上では拒絶しつつ、撫でられてまんざらでもない感じである。牢屋にぶち込まれている身の上で言うことではないが、『上司と部下』という関係よりも『家族』のほうがしっくりとくる光景に、心が癒されるようだ。良いなあ、ああいうの。
「――ぁ、がっ!!」
刹那、思いきり首を絞めつけられた。
咄嗟に周囲を見渡しても、この牢屋の中には俺しかいない。透明人間にでも首を絞められている気分だったが、どれだけ暴れてもその手が離れることはなかった。堪らず、ベッドから転げ落ちる。背中を強打した。痛い。くそ、なんなんだこれは。
「さっすがハイランク仕様。えげつないねえ」
人が死にそうになっているというのに、狼女は嬉々として口笛を鳴らす。
「な……っ、これ、……にっ……!」
首を絞める力は増していく。助けを求める声は、掠れた音にすらならない。
このままじゃ、俺が死んでしまう。
それが、どうしようもなく怖かった。
「清風、殺人鬼くんにあれの説明ってした?」
「い、いえ、まだです」
若干青ざめた表情でこちらを見ていた少女は、狼女の言葉で我に返ると、鉄格子の近くまで来てしゃがみ、できるだけ俺と目線を近づけて、言う。
「その首輪、対四鬼用の拘束具なんです。対象の四鬼が放つ殺意や悪意などを敏感に感知して、それを抑圧する――端的に言えば、孫悟空の頭のわっかの自動版です」
孫悟空の頭のわっか。
正確を期して言えば、あれは
それが四鬼の拘束具になるとは、どういうことか。
「四鬼にとって物理的な拘束は意味を持ちません。首のそれは、人間で言うところの手枷足枷に匹敵するんです」
心配そうに眉を寄せながら、少女は続ける。
「四鬼がどのような能力を持っているのか、傍目に知ることはできません。故に、四鬼であるとわかっている人物を牢屋に放り込むだけでは、四鬼を拘束したとは言えないんです。四鬼の場合、手足の自由が奪われようと、聴覚や視覚を奪われようと、能力が使える人は使えてしまいますから。四鬼の持つ共通の弱点と言えば、能力の発動や使用に精神状態が強く反映されることくらいで……」
首を絞められてしまえば、直前まで抱いていた殺意や悪意なんて霧散してしまう。あの孫悟空でさえ緊箍児には歯が立たなかったのだ。常人よりひとつ秀でた才能を持っている程度では、太刀打ちできるはずもない。
「大丈夫、死にゃしないよ。死ぬ直前くらいで設定してるから」
狼女がつけ足すようにそう言うと、まるでそれを合図にしていたかのように、首に巻きつく魔の手の威力が弱まっていった。
反動で噎せる俺を存分に見下ろし、狼女は楽しげに言う。
「だからさ、殺人鬼くん。適当なこと言って誤魔化そうとか、この場であたしら殺して逃げようなんて考えは持たないほうが身の為だよ。その拘束具、首を絞める以外にも、電気とか毒とかも出せるから」
黙秘は『大の大人も泣かして吐かす』の轟文コース。
虚偽の発言や逃走を図れば、完全自動の拷問コース。
これは完全に詰みと見て間違いないだろう。
「わかった、わかったよ。あんたらの指示に大人しく従う」
両手を上げて、降参のポーズ。
「どうせこれ、自力じゃ外せないんだろうしね」
「当然」
狼女は満足気に頷くと、少女を下がらせ、それじゃあ殺人鬼くん、と言う。
「たっぷり半日以上も寝て、寝起きに女子高生とお話できて、いい加減頭もすっきりした頃でしょ。早速だけど、洗いざらい話してもらうよ、ウチの仕事をことごとく妨害しやがった、その理由をさあ?」
「……」
表面上は笑顔を保っていたが、その後ろにある途轍もない殺気は、微塵にも隠れていなかった。
怖い。普通に怖い。超怖い。え、俺、黙秘も虚偽の発言も脱走も封じられた状態で、こんなえげつない殺気を放ってる人間相手に「記憶喪失です☆」って言わなきゃならないの?
「それがですね、課長」
と、この前後不覚の状況に、少女が割って入ってきた。
その勇気たるや、称賛に値する。が、どうやら少女は少女であの殺気に怯えてはいたらしい。報告の義務はあるけれど、あわよくば狼女の耳にも届かなければ良いと言わんばかりの小声で、なにやら耳打ちしていた。少しだけ身を屈めて少女の話を聞いていた狼女は、難なく一言一句たりとも漏らさず聞き取ると、途端に目を限界まで見開き、その短い髪を翻す勢いで俺のほうを見た。
「はあ?! 記憶喪失っ?!」
狼女は右手で鉄格子を掴んだ。そのすさまじい形相たるや、鉄格子がなければ俺を絞め殺していたのではないかと思うほどである。
「おいおいおいおいふざけてんじゃねえぞ殺人鬼。頭すっきりさせ過ぎてんじゃねえかよクソ野郎がっ!」
「お、俺だって好きで記憶を失くしたわけじゃ……」
できる限り後退し、口汚く罵る狼女から距離を取る。それぐらいしないと、殺気だけで殺されかねない錯覚に陥ったのだ。
「……ちっ。おい、これから言うあたしの言葉を復唱しろ」
数秒間俺を睨み続けた末に、狼女は言った。
「は?」
「リピート、アフター、ミー。オーケー?」
「イエス、マアム!」
すごみを聞かせた言葉に、俺は言われるがまま従う。
「『私は男である』」
「私は男である」
「『私は記憶喪失である』」
「私は記憶喪失である」
「……」
「……?」
唐突に始まったこれに、頭に疑問符を浮かべつつも復唱する。
一体なにが目的なのだろう。
狼女は、殺意の籠もった目を向けるでもなく、どちらかと言えば観察するように俺を見据えている。
「『お前を殺す』」
「お前をころ――ぎゃっ!」
言葉を最後まで口にすることは叶わなかった。それが首輪から生じた電気ショックによるものだと気づいた頃には、俺の身体は再び床に伏していたのである。
「『私は女だ』」
「わ、私はお――ぎぃ!」
「『私は眼鏡をかけている』」
「わ……わ、わたし、は、めがね――いっだ!」
事実と異なる言葉を口にする度、電気ショックによる痛みが襲う。
「『私は記憶喪失である』」
「わたしは……記憶、喪失で、ある……」
私は記憶喪失である。
その言葉を口にしても、電気ショックはない。
当たり前だ、俺は事実を言っているのだから。
「ふうむ、どうやら本物の記憶喪失みたいだねえ」
「最初っからそう言ってんだろ?!」
「拘束具の不具合かもしれなかったじゃんか」
度重なる電気ショックでへろへろになりつつの反論は、ばっさりと棄却される。
どうやら狼女は、記憶喪失が事実か否かを確認していたようだが、俺はそれより恐ろしい事実に気づかされる羽目になった。この首輪は、「殺す」なんて単純な単語だけでも反応していたのである。言葉だけでも悪意と見做すとは、末恐ろしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます