閑話 生け贄になった女神


 女神とて不死ではない。

 ゆえにこそ、母の死は不可避であると、少女は理解した。


 けれども。

 納得は、出来ない。


「お母さんっ……!」


「泣くな、娘よ」


 床に伏した母の頬に、少女の涙が零れ落ちる。

 そんな彼女の目元を拭いながら、女神は微笑んだ。


「親というのは、いずれ去り行くものじゃ。これも世の常というものよ」


 思い残しなど微塵もない。

 母の末期は晴れやかなものだった。


「……のう、娘よ。最後に一つ、母の願いを聞き届けてはくれぬか」


「っ……! うん! なんでも言って!」


 母は神妙な面持ちで、次の言葉を口にした。


「近く……《邪神》が、復活する」


「《邪神》……?」


「うむ。遙か昔、人々を苦しめた存在よ。終いには天界にまで影響を及ぼし……主神の怒りを買ったことで、封印された」


 それが、解けてしまったなら。


「人の世は再び、乱れに乱れるじゃろう。ゆえに……おぬしが、《邪神》を」


「……うん。わかった」


 出来るわけがないという言葉を、少女は寸でのところで飲み込んだ。

 そんな娘の頬に手を当てながら、母は微笑む。


「儂の神格と、力を、おぬしに譲ろう。さすれば、《邪神》が相手であろうと遅れはとるまい」


 そして。

 母の全身が煌めきを放ち――

 輝く粒子となって、少女の内側へと入り込んでいく。


「これは別離ではない。儂は、おぬしの中で、生き続ける」


 この瞬間。

 少女は、女神となった。


 以降――

 冒険の日々が始まる。


「おぬし強いのう。じゃが、ワシが鍛えてやれば、さらに強くなるぞ」


 女神となってから、彼女は母の口調を真似するようになった。

 そうしていると、母がすぐ傍に居るように感じられるから。


「お子ちゃまを師匠って呼ぶのはちょっと……」


「だぁ~れがお子ちゃまじゃ! こちとらおぬしの一〇倍は生きとるわ!」


 後に、勇者と呼ばれることとなった少年を、弟子として。

 仲間達を募り、魔王を討伐。

 そのままの勢いで、彼女は《邪神》すらも討伐してみせた。


 しかし。


「くっ……!」


「お、おい、師匠! 大丈夫かよ!?」


「う、うむ……! 問題は、ない……!」


 このときに負った傷が呪いのように残り、女神は最盛期の力を失ってしまう。


 だがそれでも。


 人々の救済に、困るようなことはなかった。


「あぁ、女神様……! なんと感謝してよいか……!」


「ほっほっほ! 気にするでないわ! こんなもん朝飯前じゃ!」


 勇者達と分かれて以降、女神は各地を巡り、人々と触れ合い続けた。


 どのように成長しようとも、心は少女の頃のまま。


 誰よりも優しく、そして……


 誰よりも、愚かであったがゆえに。


「どうか、お助けください! 女神様!」


「あのバケモノを討てるのは、貴女様以外には……!」


 勝てぬとわかっている戦を前に、彼女は、


「任せておくがよい! ワシがちゃちゃっと片付けてやるわ!」


 否とは、言えなかった。


 かつて成し遂げた《邪神》の討伐。

 しかし、かの怪物は死する瞬間、無数に分裂し、世界各地へと飛散した。


 その果てに生まれたのが、邪悪な本能に従って動く強大な魔物……《邪神》の肉片である。


 女神はこれを単身で相手取り……

 霊山の頂上付近にて、自らの存在ごと、封印した。


 最盛期の力を失った彼女には、既に《邪神》の肉片を討つほどの力はなく。

 かつての仲間達は既に、死別し。

 ゆえに。

 女神たる彼女は、自らを贄として、人々を救うことを選んだのだ。


 だが、それでも。

 女神は、幸せだった。


「む。なんじゃ、おぬしは」


「旅の武芸者、とでも名乗っておこうか」


 霊山から離れられぬ身となった彼女だが。

 しかし、定期的に人がやって来ては。


「女神様~! 智恵をお貸しくださ~い!」


「ええい、またか! 今度はなんじゃ!」


 頼ってくれる。


「うへへへへ、女神様~! あたしと結婚しましょうよぉ~!」


「年がら年中酒臭いような奴は好かん!」


 愛してくれる。


「……いつまでおる気じゃ? おぬしはもう一人前じゃろがい」


「いやぁ、僕が去っちゃうと、女神様が寂しがっちゃうかなぁ、と」


 共に、居てくれる。


 だからこそ女神は。

 女神は。


「…………結局のところ、ワシは」


 独りだった。

 とことん、独りぼっちだった。


 頼ってくれた者は、いずれ、山には来なくなる。

 愛してくれた者は、いずれ、人の子と結ばれる。

 共に居てくれた者は、いずれ、自分よりも先に逝く。


 ……女神は幸せだった。


 しかし、そうだからこそ。

 幸福である、以上に。



「……寂しい、なぁ」



 せめてこの場から、離れられたなら。

 人の世に溶け込んで、彼等と交われたなら。


 しかし、それは叶わぬ夢。

 彼女は孤独を抱えたまま、霊山にて、災厄を封じ続けねばならない。


 まるで、人々のために身を捧げる、生け贄のように。


「……ワシの体は、いつまでもつのか」


 封印は、彼女の魂を絶えず削り続けている。

 ゆえにいつかは、《邪神》の肉片が解き放たれるのだろう。


 もしそうなったのら……

 自らの命を散らして、敵方と差し違える。


 それもまた。

 人々の、ために。


「そう遠い未来ではない、か」


 予感があった。

 近日中に、その瞬間が訪れると。


 女神はそんな末期を、受け入れていた。


 孤独に生き、孤独なまま死ぬ。

 そんな覚悟を、決めていた。


 だからこそ。


「立ぁぁぁぁぁぁぁちぃぃぃぃぃ去ぁぁぁぁぁぁれぇぇぇぇぇぇぇ」


 誰とも、関わるつもりなど、なかったのに。



「俺達を、弟子にしてくれよ」



 女神は。


 交わるべきでない相手と。


 交わるはずのない相手と。



 ――邂逅を、果たしたのだった。






 ~~~~あとがき~~~~


 ここまでお読みくださり、まことにありがとうございます!


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 今後の執筆・連載の大きな原動力となりますので、是非!

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