第五話 あなたに会いたいけれど……今は、まだ

 不思議な人だった。


 本当に本当に、不思議な人だった。


 名前も知らないのに。

 これまで、一瞬すら、顔を合わせてもいないのに。


 目の前に立つ男は、エクレールの内心を言い当ててみせた。


「……ムカついた、から」


 ろくに教育を受けていないエクレールには、「ムカつく」という言葉の意味がわからない。


 だがそれでも。


「……ムカつく。ムカつく。ムカつく」


 すとん、と。

 その言葉は、心の中に下りてきた。


「そうだよ。君は目の前の現実にムカついて、だから……死んでやるもんかって、そう思ったんだ」


 男は言葉を紡ぐ。


 まるで、エクレールの心に杭を打ち込むかのように。


「不条理だよな。理不尽だよな。納得、出来ねぇよな」


 気付けば。


 男の言葉に合わせて、じわりと。


 涙が、浮かび始めた。


「なんで自分がこんな目に遭わなきゃいけねぇんだ。なんで母がこんな目に遭わなきゃいけねぇんだ。なんで……クソみたいな人生のまま、終わらなきゃいけねぇんだ」


 あぁ。

 そうだ。

 そうなのだ。


 男の言葉は、エクレールの気持ちを完璧に言語化している。

 だからこそ。


「……ねぇ、あなた」


 エクレールは問うた。


 男は、全てを知っているから。


 男は、真実を語ってくれるから。


「わたしは……わたしは、怒ってもいいの?」


 魔人にはそんな権利も与えられていない。


 それがこの世界のことわり


 だが、男は。


「当たり前だ! 誰がなんと言おうが! 君は、怒っていい!」


 肯定、してくれた。


「わたしは……この世界で、幸せになっていいの?」


「むしろ、そうなるべきだろ!」


 肯定してくれた。


「わたしは、自由に、外を歩いてもいいの?」


「もしダメだって奴が居たら、俺がブン殴ってやるよ!」


 肯定してくれた。


 男は、エクレールの言葉を、望みを、心を。


 全て、肯定してくれた。


「…………そっか」


 天を見上げて、思う。


 母を愛していた。


 誰よりも、何よりも、愛していた。


 あの人が居ない世界は不完全で、居心地の悪いものでしかないけれど。


 それでも。


「ごめんね、お母さん。わたしはまだ、死にたくないよ」


 そして。


 エクレールは、男を見た。


「あなたが、わたしを……連れていってくれるの?」


 男は一瞬、目を見開いて、


「あぁ! 君のことは、俺が誰よりも幸せにしてみせる!」


 力強い断言に、エクレールは涙を流した。



 ――生まれて初めての笑顔を、浮かべながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る