【短編】ブラックコーヒーと角砂糖ボーイ

竹輪剛志

本編:ブラックコーヒーと角砂糖ボーイ

 喫茶店の中から見える街路樹は、すっかり枯れてしまった。関東だから雪は滅多に降らないが、冬もすっかり深まったのだなと、ぼんやり思う。テーブルの上には一冊の本と珈琲。量は大して減っておらず、温度は丁度良くなっている。

 そんな折、珈琲を一口飲む。じっとりと残る苦味が口内に広まる。思わず顔をしかめ、苦味が退くのをじっと耐える。こんなに苦いなら、砂糖もミルクも付けて貰えば良かった。恰好つけて要らないなんて言ってしまった数分前の自分を張り倒したい。

 けれど、今更に店員を呼び出して頼むのも憚られる。初めて来た店だからそれをして良いのかも分からないし、何よりそれを許さない存在が俺の前にいた。


「ねえ、何で無視するの?」


 真っ黒の珈琲から前に視界を向けると、そこには黒い髪色の同級生がいる。彼女の名は天崎甘奈、幼稚園からの幼馴染である。

 甘奈は目が合うと、すぐに言葉を投げかけてきた。どうやら、対面してから俺が無視して現実逃避し続けていたことが不満らしい。

 そんな甘奈に、俺は適当に返す。


「別に話すことも無いしな」


 元々、喫茶店には一人で来た。目的は店の雰囲気で、珈琲片手に本を読んで、大人な雰囲気に浸っていた。そんな時に、甘奈はやって来た。勿論、待ち合わせなんかしていない。運悪く、遭遇してしまったのだ。

 甘奈は、俺の姿を見るや否や、断りもせず対面の席に座ってきた。

 その瞬間、俺の目的は崩れ去り、その後はしばしの現実逃避を経て、今に至る。

 そして当の甘奈はさっきの一言以降、口を開かない。俺としては甘奈の事なんか無視して帰りたいが、残念な事にカップにはまだ沢山の珈琲が残っている。


「何でここに?」


 だから場を繋ぐ為に、適当なことを訊く。すると甘奈は、持ってきていたバッグからノートと参考書をちらっと見せた。


「勉強しに来たの、ほら」

「へぇ、偉いな」


 それは世辞でも何でもなく、心からの言葉だ。甘奈は昔から成績優秀だった。


「志望校とかもう決まってるか?」

「うん、まあ、一応ね」


 俺たちは、来年には高校受験が控えている。それに向けて歩き始めた幼馴染を見て、ちょっとした焦りを覚えた。それと同時に、甘奈はしっかりしているな、と感心する。


「アンタは?」

「俺は適当な所に行くよ。出来るなら、近い方が良いな。勉強もまだ全然やってないや」


 そう言って、珈琲を一口。また苦み。


「そんな甘えた態度じゃ、この先で痛い目見るかもよ?」


 なんて言う甘奈は手を挙げて店員を呼び出していた。その様子を眺めながら、珈琲を飲み進める。


「じゃあ私も珈琲、それに砂糖とミルク。あとはこのクッキー詰め合わせをお願いします」


 甘奈は手慣れた様子で注文を進めた。普段から来慣れているのだろうか、メニューを見ずにさらっと言って見せた。


「アンタは珈琲だけ?」


 注文を終えた甘奈は、半分程に減った珈琲を見つめて言った。それに俺はありのままを返す。


「あんまり金ないしな」

「へぇ…… それにしてもブラックとはね。苦くないの?」


 不意に出された素朴な疑問が、俺を困らせる。苦くないかと聞かれれば、当然苦い。けれど、素直にそう答えるのは恰好が悪い。だから、回答を誤魔化す。


「苦い。だけど、それでこそ珈琲じゃないか?」


 そんな答えを聞いて、甘奈はニヤリと笑って口を開く。


「恰好つけちゃって。さっきから我慢して飲んでるの、顔に出てるよ?」


 カップを持った手が、カタリと震える。甘奈の顔を見ると、ニマニマは最高潮に。

 思考が停止した。俺が恥辱に震えていると、甘奈は置いてあった本に手を伸ばした。その本は、紙のカバーがついていて、外からタイトルを確認できない。

 甘奈はぱらりと表紙をめくると、タイトルを読み上げる。


「カント入門ねぇ、内容理解してるの?」


 その言葉には、確かな嘲笑が含まれていた。俺は何も言えなかった。


「さしずめ、珈琲を飲んで小難しい本を読んで大人ぶるって所?」


 甘奈はケタケタと笑っていた。

 いつもそうだ。甘奈は、常に俺より優れていて、その優秀さをもって俺をイジって笑う。或いは、その成熟した視点から、未熟な俺をあざ笑う。今日だって、俺は未熟さを覆い隠すことに必死だった。

 だがそれも、小学校を卒業してからは鳴りを潜めていた。理由は単純で、お互いに話す機会が減ったからだ。そんな中で味わった久しぶりの恥辱に、俺は服の裾を強く握った。


「あー、久しぶりに笑った」


 甘奈が満足げにそう言うと、互いの間にはしばしの沈黙が流れる。その間に店員が、甘奈の注文品を運んできた。


「お待たせしました」


 テーブルの上に、カップと角砂糖などが入った小皿。それと、クッキーが沢山入った籠が置かれた。

 甘奈はそれを一瞥すると、珈琲に角砂糖とミルクを一気に入れる。その後は、ついてきた銀色のスプーンで混ぜ始めた。

 そんなとき、甘奈が突然にある提案をしてきた。


「ねえ、ゲームをしない?」


 突然のことに、思わず甘奈の目をまじまじと見つめてしまった。そして思わず聞き返す。


「ゲーム?」

「うん。簡単なゲームだよ」


 そう言うと、甘奈はバッグからルーズリーフを一枚、それとペンをこちらに渡してきて、甘奈自身の紙とペンも取り出した。


「このクッキーを、独り占めするか、分け合うか、選ぶだけのゲーム」

「ああ、囚人のジレンマ的な?」

「そう。お互いに分け合うを選んだならクッキーは半分こ。もしどちらかだけが独り占めを選んだのなら、そっちの独占。そして、両方とも独り占めならお互いにクッキーは無し。その場合はもったいないから、あっちにいる親子にあげちゃおうか」


 甘奈はその言葉と共にクッキーをテーブルの真ん中にずらす。それはお互いを分ける仕切りの様に働く。紙に何を書いているか、チラッとは見えないようだ。


「どう、乗る?」

「乗った」


 間髪入れずに答えを返す。ハッキリ言って、このゲームはゲームとして成り立っていない。甘奈の方はクッキーを失う可能性があるが、俺にとっては貰える可能性しか無い。故に、貪欲に独り占めを選ぼう。そう思って乗ったのだ。


「じゃあ、独り占めなら三角を描いて、分け合うなら丸を描こう」

「オーケー」


 両者はペンを出す。早速三角を描いてやろう、そう思ったときに、甘奈の視線が俺の方へ向いているのに気が付いた。


「見るなよ」

「見ないわよ」


 俺の咎めを適当に返した甘奈は、そのままお互いが下を向いたタイミングで二の句を継いだ。


「でもね、私は一緒にクッキーを食べたいなって思うよ?」


 その一言で、思わずまた甘奈の方を向いた。けれど当の甘奈は視線を下に向けたままで、表情が良く読み取れない。仕方なく、自分の紙へと再び視線を戻す。

 まだ白紙。三角も丸も描ける。どちらにするかという問いが、生まれてしまった。

 勿論、甘奈へ仕返しをしたいというのなら独り占め一択。少なくとも甘奈はクッキー分のお金を失い、あわよくば俺はクッキーを得れる。

 けれど、それで良いのだろうか。ここに来て、三角を描きたく無くなった。ここで、三角を描けばきっと、甘奈は悲しむ。それは何となく、嫌だ。

 思えば今までも、仕返そうと思えば幾らでも出来た筈だ。早い話、殴ってしまえば良い。でも何でかは分からないが、してこなかった。

 彼女から辱めを受けるのも気に食わないが、彼女を悲しませるのはもっと嫌だったのだ。


「描いたぜ」

「私も」


 お互いは紙を裏にして、テーブルの中央に寄せる。

 結局、紙には丸と描いた。それは甘奈の一言のせいでは無く、多分何も言われなくても、そうしていたと思う。


「じゃあいくぜ、せーの」


 合図と共に、紙を表にする。それと共に、結果が露わになる。


「な」


 そして俺は結果に絶句する。甘奈の紙には、三角と描かれていたのだ。


「いやあ、つくづくアンタは甘いね。ホント、角砂糖よりも甘いよ」


 調子はいつも通りに、甘奈は言葉を紡ぐ。その結果に唖然とした俺は、頭が回らずにただ一言だけ呟いた。


「卑怯だ」


 またも、苦い思いをした。その気を紛らわす為に、珈琲を飲むと、以外にも苦味には慣れていた。


「卑怯でも、勝ちは勝ち。まあでも、どうしてもと言うなら取引の一つぐらいしてあげてもいいわよ」


 得意気に語る甘奈に、俺は聞き返す。


「取引?」

「条件に応じてくれたら、半分あげましょう」


 甘奈は忘れてたと言わんばかりにカップのスプーンを混ぜ始めた。それと同時にクッキーをひとつ摘まんだ。

 もうすでに、自分のカップの中身は空だった。だけど口内にはまだ苦味がある。幾ら慣れたと言えど、あまり気分の良いものでは無い。だから、クッキーで口直しをしたい。故に条件を聞き返す。


「その条件は?」


 すると彼女はニヤッと、まるで計っていたかのような不敵な笑みを見せて言い放った。


「私と同じ高校受けてよ」


 その条件はハッキリ言って無理難題だった。何故なら甘奈は学年一の才女で、順当に行けば県内トップの高校を受験するだろう。一方の俺は、真ん中くらいの普通の順位。普通に考えれば無理なこと。

 けれど、俺の手はクッキーへと伸びていた。


「まあ、人間一年あれば大抵のことは出来るか」


 甘奈はその様をカップを混ぜながら見ている。


「一応言っとくけど、志望校下げる気は無いから」

「勿論、知ってるよ」

「じゃあ、頑張ろうね」


 そう言って、甘奈は今までに見た事の無いくらいの笑みを浮かべた。それに呼応する様に俺も笑って、クッキーを齧る。

 たぶんいずれ、こんな条件が無くても俺は甘奈と同じ高校を目指していただろう。だけど今はただ、それが彼女との約束になった事が嬉しかった。

 甘奈の珈琲を見ると、角砂糖はすっかり溶けていた。

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