第52話 文化祭当日

「ゴメンね。結局行けなくて」

「いいよ。別に。ある意味来てくれない方が緊張も解けるし……」

 家に帰って恭一はラインのメッセージで、多恵とやり取りをしていた。

「それで、あんたはあの件はどうなったの?」

 “あの件……”それだけで、何のことか恭一は分かった。この前のアメリカでの留学の件だ。恭一はこの一カ月もちろんそこにも引っ掛かっていたが、ブラボーのこと、そしてメンバーのことばかり考えていて、上手く思考が行き渡っていなかった。

 ……いや、あんまり考えたくもなかった。

「ああ、あの件ね。留学する方向だったとしても、結局春先になるわけじゃん。だから今はどっちの方向を行くか考え中だけど……」

「まあ、恭一が考えてくれてるんだったらいいけど。実は、柏野さんがどっちにするんだという話をしてきたから、あたしも聞かずにはいられないのよ」

 恭一は柏野が苛立っているのを想像した。あれほど恰幅が良くて、大らかそうな人物が、怒り始めたら支配者のように感じてしまう。恭一は目上の人間が嫌いだが、果たして柏野の下で関係を持ったら、揉めることなくに穏やかに過ごせられるだろうか。

「柏野さんが言ったのなら、オレも真剣に考えるよ。とにかく、明日頑張ってくるから」と送って話を終わりにしたかった。

 すると、すぐに返信が返ってきて、「頑張ってね。応援してるわ」

 恭一は自分の部屋の椅子に座っていたが、スマートフォンを机の上に置いて、ベッドに身を投げ出した。

 とにかく明日のことを考えたい。留学のことなんて考えたくもない。そう思いながら目を閉じた。


 ビジネスホテルで多恵は、恭一とスマートフォンでのラインのメッセージのやり取りをしていたのだが終わった後、バスルームから柏野が出てきた。

「恭一君とやり取りをしていたのか?」彼はバスタオルを腰に巻いて、いつにもまして低い声だった。

「まあね」そう言いながら、多恵は目の前の机に置いてあるタバコの火をつけた。「ウソをついてみたわ」

 すると、柏野は両手を腰に当てて、大笑いを見せた。「ハハハ、君らしいな。敢えてウソをついて驚かす作戦は」

「喜ばせたいのよ。それに、やっぱり演奏を見てみたいじゃない。この前は外人さんの前だったから緊張してたけど」そう言って、多恵はタバコを口にくわえて一服吸った。

「まあな。あれだけの外国人を目の当たりにして、恭一君も本来の腕前が出なかっただろう。今日の夜に旅立ったら、日本の昼前には着く。恭一君はいつ演奏が始まるんだ?」

「どうやら昼からね。仕事終わってすぐ旅立ちましょう」

 そう言って、多恵はまた一服吸って、ニヤッと笑った。


 文化祭当日、クラスの催しの参加は任意でいいということだったので、恭一は朝から吹奏楽部の演奏を一般観客に混じって見ていた。

 相変わらず団体で行う演奏は上手い。我が校の吹奏楽部は人気があるという噂は聞いていた。別にコンクールに出たことはないが、幼い頃から音楽に携わっていた恭一にはすぐに分かった。

 その中でもドラムの三年生の女子を見ていた。彼女は去年もこの文化祭でドラムを叩いていた。確かに上手い。恭一は腕組みをしてどこか盗めるところがあれば盗もうと思っていた。

 クラシックもそれなりに聴いてきた恭一には、一曲一曲知っている楽曲で、退屈ではなかった。その為、あっという間に昼になっていた。


 葵はクラスの出し物に参加していた。彼女はミニゲームをクリアした人だけに配られる、景品の渡す係だった。

 学生たちはもちろん、一般の人たちもミニゲームに参加してくれていて、葵はありがたい気持ちであった。

 泉も参加してきた。彼女はゲームをクリアして姉のいる葵の前にして、困惑しながら言う。

「お姉ちゃん、ちょっと」と、葵の服の袖を軽く引っ張って、葵を教室から出させた。

「何?」葵は教室の方をチラッと見た。幸い、他の生徒が対応してくれていたし、その女子生徒は葵に向かって人差し指と親指で丸を作って、大丈夫というポーズを見せたので、彼女は胸を撫でおろした。

「ヤバいよ。お客さんが多いよ」泉は落ち着きがなかった。

「そりゃあ、そうでしょ。文化祭だもん」

「そうだけどさ。これだけの人たちの前で演奏しなくちゃいけないんだよ」

「分かってるわよ。だからあたしは乗り気じゃなかったのよ。ちょっと、泉落ち着いた方がいいよ」

「これが落ち着いてられないよ。さっきあたしの教室でお父さんが来てたもん」

「お父さん? 嘘でしょ?」

「嘘じゃないよ。あたしのクラスの出し物のスイーツを買いに来たんだから。そこで、あたしと話をしたし……」

「本当に来なくていいって言ったのに……」葵は呟くように吐き捨てた。

 その時、後ろから、「おい」と、聞きなれた声がしたので、葵と泉は慌てて振り返ると、そこには泰三の姿があった。彼の服装はパーカーにジーンズと何ともラフな格好だった。坊主頭は隠すようにキャップが付いてある帽子をかぶっていた。

「何で来たのよ」葵は気持ちに身を任せて言った。

「行ったら悪いのか?」

「いや、別に悪くないけど……」彼女は泰三から目を背けた。

「今日はお前たちのバンド演奏だろう。それがわしの一番の楽しみだ」

「そんなの楽しみにしなくていいよ。鳴尾が全て仕組んだバンドなんだから」

 ムキになっている葵を、泉と泰三はお互い見て苦笑した。

「まあ、お姉ちゃん、あたしそろそろ帰るね」と、泉は手を上げた。

「ちょっと、泉」

 と、葵は手を伸ばして止めようとしたが、泉は素早く階段を上っていった。

 その後、葵は泰三と話をした時に、十二時半のチャイムが鳴った。休憩時間だった。


「あ、リーダー、今どこにいるんですか?」泉は緊張が我慢できなくて電話をした。

「屋上」

「分かりました。そっちに行きます」

 泉は何かにすがるように屋上の階段を上っていくと、そこには恭一と聡の姿があった。

「おう、来たか」恭一は手を上げた。

「リーダー、もうダメです。あんな中途半端で演奏するってなると、怖くて……」

 泉は正直に話をしているつもりなのだが、元々お転婆な性格なので、そういうと芝居が掛かったように見えて、恭一は笑った。

「とか何とかいって、完璧に練習してきてんじゃないの?」

「本当なんですよ。あたしなんて一年生なのに舞台の上に立っていいのかなんて考えるんですから」

「まあ、大丈夫だよ。先輩にも言ったけど、完璧を目指すのがライブじゃない。いろんな場当たりがあるからそれが良くなるっていう事もあるんだ。オレたちはしっかり練習したし、有難いことにコピーバンドだ」

「コピーの方が難易度高いですよ。完璧にしないとアンチ食らうじゃないですか?」

「アンチなんていないよ。いても気にするな。コピーなんだから知ってる人もいるわけじゃない。そこで一緒に歌ってくれたりするんだ。オレたちが楽曲を作って演奏したらみんな知らないから、誰も乗ってくれないぜ」

 そう言いながら、恭一は聡も見る。聡は頷いた。

「そうですね。コピーだから演奏もしやすいですよね」と、泉。

「そうだぜ。それに、オレたちが一番大事なのはやり遂げることだ。やり遂げないと、その後がないじゃん」

「分かりました。どうせ逃げても意味はないですもんね」

「先輩はどうですか? やれそうですか?」恭一は聡を見た。

「ああ、分かった」

 その発言を聞くと、恭一は空を見上げた。「今日なんて晴れて天気がいいじゃないか。朝の吹奏楽部でも結構来客の人たちは多かったし、昼からだったら満席もあるかもしれない。そこで、思い切りぶちまければいいんだよ」

 そう言い切った恭一だったが、泉も聡も気分が晴れていなかった。

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