第44話 アメリカへ
その土曜日に恭一は多恵とアメリカに旅立った。泉たちには少し家族で用事があって、土日はスタジオに行けないということを告げていた。
「えー、そうなんですか? 仕方ないです。ガンバってエアギターで練習します」と、半分冗談でいっているのか分からないライン返事が返ってきた。
それを見ていた恭一は飛行機に乗りながらフフと笑った。今日初めて笑った感じがした。
その隣に座っていた多恵も恭一を見て言った。
「誰? 彼女?」
「いや、違うよ。バンドのメンバー」
「ああ、バンド組んでたわね。十一月の文化祭に向けて」
「まあね。母さんは来るの?」
「私は仕事で行けないとは思うわ」
「ふーん」と、恭一は言った。別に来てもらわなくてもいい。実際去年は多恵が文化祭見に来ていないのだから、何とも思わないし、多恵は自分のことでしか考えていない性格なのは、恭一は知っていた。
それから、恭一はアメリカに行くと、柏野という人物に初めて会った。
「君が、恭一君だね。よろしく」そう柏野は恭一と握手を交わす。
「よろしくお願いします」恭一は軽く会釈をした。
柏野という人物は、恭一が思っていた以上に、貫禄を保っていた。運動不足なのか食べることが好きなのか、彼の身体はかなりの肥満体であり、それが威厳のようにも見えた。
それに、顔つきも眉間に皺が寄っているし、にこやかに話しかけてくれるが、どこか怒ったら怖い人だと恭一は察した。
こんな人は学校の先生にもいなかった。もしかしたらアメリカで更に顔つきが変わったのかもしれない。
恭一は半ば萎縮をしていた。周りには仲間なんていない。日本人もいないわけではないが、殆どが外国人で埋め尽くされている。
空港を出た後、柏野の車で恭一が連れてこられたのは、小さなライブハウスだった。昼間だったので中にいる人は少なかったのだが、柏野はアメリカ人に握手とハグをしている。そして、恭一を紹介する。
「よろしくお願いします」
恭一はあまりの緊張で、こんなところに行くんじゃなかったと頭をよぎった。
「恭一君、この方たちはライブハウスの関係者の方やレコード会社の方たちなんだ。君が小学生の時に数々の賞をそう斜めしたって聞いて、駆け付けてくれたんだ」
「そう斜めって……、そこまでは……」と、恭一は不意に多恵を見ると、彼女は苦笑いを浮かべた。
どうやら多恵が話を誇張しているらしい。恭一は厄介なことになったなと頭を抱えた。
楽曲は恭一の好きな洋楽の楽曲で、彼は一曲ドラムを叩いた。自分なりに精一杯練習はしたつもりだったが、いざ本番になると変な緊張が仇となって所々ミスしてしまい、最後、巻き返して一曲が終了した。
拍手がバラバラに聞こえた。ほらだからいっただろう。所詮趣味程度のオレがプロテストみたいなことをやっても一緒だって。と、恭一は何度も審査員の外国人に対して頭を下げた。
柏野は大きな拍手をして見せた。「素晴らしい。どうですか?」と、座っている外人に聞く。
「うーん」と、黒人の男性は腕組みをして首をかしげる。どうやら今一つらしい。
結局まともな答えは聞けなかった。というよりも全ては柏野を通して日本語で略してくれる。しかし、柏野は「筋としては悪くはない。努力するにはいろんな経験が必要だ」という答えをもらった。
「それだったら、恭一はプロになれないってわけ?」そう言ったのは多恵だった。
柏野はその言葉を外人と話した。「別にプロにはなれないわけではない。今のままだったら正直、どこのレコード会社も雇ってくれないだろう。とにかく経験が必要だ。緊張もしていたし、それを慣らすためにもいろんなことに挑戦することが大事だ」と、柏野は外国人が言った言葉をそのまま述べた。
「分かったわ。一発で合格は難しいわね。ありがとうございました」そう多恵は外国人たちに会釈した。
恭一も深々とお辞儀をした。「ありがとうございます」
「じゃあ、恭一。母さん、これから仕事があるから。帰りは一人で帰るのよ」空港の前で多恵は言った
「分かった」と、恭一。
「ドラムの件は残念だったわね」
「まあ、日本でも通用しないんだったら、外国なんてもっと無理だろう。それがアメリカなんて……」
「でも、さっき柏野も言ってたけど、経験を積んだら合格できるとか言ってたじゃない。それには緊張をほぐすために慣れるっていう話してたわよね」
「まあね。もっと練習すればプロになれるかもしれない」
「その事なんだけどさ。あんた、アメリカに留学してみない?」
何気に多恵からの発言に恭一は度肝を抜かれた。「え? アメリカに?」
「前々から思ってたんだよね。だって私もこれからアメリカに拠点を置くつもりだし、日本に帰っても家があの田舎だったら、私も道に迷いそうになるし、それにあの家元旦那との家だから嫌なのよね」
その言葉に恭一は苛立ち始めて思わず口を開いた。「何だよ。自分だけ勝手にしたいことしたいだけじゃん。あの家はオレも住んでるんだぜ。それに今はもう来てないけど、祖母ちゃんも好きだったじゃん」
「あんた、私がいなかったらこのアメリカにも行けなかったわよ。確かに今回は観光なんて出来なかっけど、あんたが行きたい場所を行ってくれれば期待には答えるわ」
「そうじゃない。あの家はオレにとっては思い出なんだ。金は母さんたちが払ってくれたのかもしれないけど、そんなこと言われたら腹が立つよ」
「あんたはあの家が好きなの? あの場所にずっといたいの?」
……あの場所にずっといたい。その言葉に恭一は困惑していた。確かにいろんな思い出がある。そこはもしかしたら美化している可能性もあるけど、これから先も永尾町に住みたいかということに対しては半ば抵抗があった。しかし、荻野家の兄弟たちが心残りなのは確かでもある。
答えが定まっていない中、恭一は強がる気持ちもありながら答えた。
「いや、別にいたいとは思わない」
「じゃあ、別にいいじゃない。確かに私もあの時の思い出は経験上大きいものがあったから、永尾町には感謝はしてるわよ。まあ、今日はちょっと言い過ぎたわね。改めて答えを聞かせてくれる? これからのあなたの将来を」
「じゃあね」とそう言い残して、彼女は手を上げて歩き出した。仕事の時間に遅れると思って話を切ったのだろうと恭一はそう判断した。
恭一は母親になり切れていない母親を見送りながら、アメリカの留学のことを考えながら日本に帰国した。
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