第38話 わが子に対する想い

「はい、榮安寺です」

「あの、私、鳴尾と申しますけど」

 葵は電話を取ったのだが、相手が女性だということと、“鳴尾”という言葉だけで、電話の相手が恭一の母親だと感づいた。

「はい、どのようなご用件でしょうか?」葵は緊張の最中、冷静に聞く。

「あなたが荻野さんって方?」

「はい、そうですが……」

「ウチの恭一がお世話になってます。早速何ですけど、お父さんと変わっていただけません?」

「どういった内容でしょうか?」

「ウチの恭一があなたたちと一緒にバンドを組みたいという話をしてるのに、お父さんは全然聞き入れてくれないって聞いたけど?」

 多恵が徐々に怒りの感情を入り混じってきている。葵は多恵が学校中を騒がせたクレーマーだということは前々から知っていた。その為、厄介なことになってしまったなと痛感していた。

 元はというと、恭一が自分たちに対してセクハラをしたことが初めだ。恭一のことだから多恵には報告をしていないだろう。例え報告したとしても、母親は自慢の息子の味方だ。

「おい、葵。誰からだ?」そう野太い声が聞こえて、葵はハッと後ろを振り返ると、そこには泰三の姿があった。

 葵は受話器の送話口を押えて泰三に言った。「お父さん、鳴尾のお母さんからよ」

「何だ、あいつの母親か。謝りに電話してきたのか?」泰三は肩を下ろした。

「いや、あいつのお母さんは学校中のクレーマーで有名よ。それにバンドを組みたいという話を聞き入れてくれないということ話してきたから、泉たちの話をしたんだと思う」

「ということは、バンドを組ませろってことか?」泰三は腕組みをした。

「多分そうよ。お父さんに変わってって言ってるけど……」

 泰三はまた緊張した。あの小僧の母親が例えクレーマーだろうと、あいつが自分の娘にしてきたことをここで話をして打ち負かしてやろうと思った。

「葵、変われ」

「いいの? お父さん。相手は芸能人のクレーマーだけど……」

「向こうがオレと変われと言ってるんだろう」

 泰三が受話器を貰おうと手を差し出している。葵は「気を付けてね」と一言だけ言って、受話器を渡した。

 泰三が受話器を耳に当てると、「もしもし、聞いてるの?」と、多恵が何度も訪ねていたのか、苛立っていた。

「もしもし、変わりました。私が榮安寺の住職です」

「ウチの恭一がお世話になってます。ちょっとお聞きしたいんですけど、あなたの息子さんや娘さん楽器演奏に興味あるんですってね」

「まあ、お宅の息子さんが誘ったんですけどね」

「それで、あなたの許可がないと楽器演奏が出来ないと。例えそれが学校内でもと、ウチの息子が言ってましたけど」

「はい、そうです。ただ、お宅の息子さんを束縛してるわけではなく、ウチの家庭でのルールですから」

「それって、ちょっとどうかなと思いますけど。それって児童虐待じゃないですか?」

 ここまで言われると、あくまで冷静を装っていた泰三も苛立ちを見せ始めた。「児童虐待ってほどでもないんじゃないですか? 別にあんたに言われる筋合いはないでしょ」

「何ですって、あなた、せっかくウチの息子がお宅のお子さんのことを思って言ってるのに、その言い方はやっぱり虐待してるのね」

「虐待はしてません。教育です。それにお宅の息子がウチの娘や女子生徒に胸を触ったりおしりを触ったりといった、わいせつ行為をしているというのはご存じでしょうか?」

「何のことですか、私にはさっぱり分かりません」

「学校の先生に聞いてみてください。そういった行為をしていて迷惑しているんです。これは性加害です。お宅の息子は」

「あなたはそういって自分がしてることには棚を上げるつもりね。分かったわ。私には知り合いにいろんな人がいるのよ。あなたのお寺なんて滅茶苦茶にできるわよ」

「そうやって、息子を正当化することに可笑しいじゃないのか? 大体、あんたは芸能人でリポーターをやってるからって調子に乗っているんじゃないんですか!」

 ここまで言うと、二人の罵倒の言い合いになっていった。どちらも短気であり内に秘めたエネルギーが強く、次第に声が大声になっていき、榮安寺に大きく響き渡った。

 葵は暫く我慢していたが、あまりにも近所迷惑だと感じ、再び玄関にやって来て、泰三の肩を揺さぶった。

「お父さん」

 泰三はようやく言葉を止めて、受話器から耳を離し、後ろを振り返った。

「何だ!」泰三は葵に対して憤怒な顔つきになっていた。

「これ以上ケンカしても近所迷惑だし、ここは上手く収めた方がいいよ」

 ……お前の為に言ってるのに……。と泰三は喉まで言いそうになったが、葵が困惑した顔をしているのを見て、何とか堪えた。

「しかし、どうやって収めた方がいいんだ。あいつらの思惑通りにしたら、あいつはお前らに好き勝手させられる」

「あたしはいいよ。あいつとは話をしないことに決めた。泉たちは一回痛い目に合わせた方がいいよ」

 そう言われて、泰三は暫く葵を睨むように飲み込みたくはなかったが、やがて小声で言った。

「分かった。暫く考えさせてくれ」

 泰三は今まで奮い立っていた気持ちが青菜に塩のように、感情のコントロールが出来ていなかった。彼は受話器を葵に渡した。

「え?」葵は受話器を持って、泰三を見上げる。

「後は、お前が全てやってくれ」

 そう小さい声でいい残して、居間の方へ泰三は足を運んだ。

「もしもし、いい加減出ろ!」と、受話口から多恵の怒涛の声が聞こえてくる。もう電話を掛けてから十分以上経っていて、多恵の声もしわがれていた。

「もしもし、すみません。お父さんは体調を崩してしまいまして、あたしがバンドの件をお話しします」

 葵は早口で言った。多恵の乱暴な声と言葉が嫌いだった。

「何、さっさと言いなさいよ」声からして、多恵はかなり疲れていた。

「ウチのルールは解禁します。妹も兄も楽器演奏は許可をすると、お父さんは言ってました」

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