第35話 亡くした痛み
恭一は榮安寺から二十分ほどにある、川のほとりに訪れようと道端を歩いていた。何台目かの車が彼を追い越していく。田舎ではあるが、舗装されている道路は数少ない。その中でもこの道は結構多用している人たちが多い。
恭一は昨日のことを考えていた。二人は喜んでくれていたのだろうか。何度も見た二人の笑顔、それは確実に楽しんでいるようには見えた。恭一はそれだけでも満足だった。
その後の部屋でのたわいのない話、それから泉が部屋に戻るときにくれたキス。
……でも、あたしお姉ちゃんには負けませんから……。
泉は自分に恋をしている。彼女は顔も整っているし、背もそれほど高くはない。姉よりも痩せ型だし、彼女の象徴であるポニーテールが似合っているほど、可愛い女子生徒である。おまけに胸も大きい。男子からはモテないのだろうか。
いや、モテモテでも可笑しくはないはずだ。しかし、彼女はどちらかというと年上の男性が好きなのだろう。純粋で垣間見える繊細な部分を受け止めてくれる人に惹かれるのだろう。それがたまたま年上の男性だけであって、その年上の男性に今までそれほどで会ったことが無いのだろうか。
何だか、考えれば考えるほど、泉に対して恋心があるわけではないのに、彼女のことを考えてしまう。彼女には幸せになって欲しい。
と、ここまで思案していると、恭一はかぶりを振った。泉のことを模索しても仕方がないというわけではない。昨日の接吻が恥ずかしかったからだ。
道路から少し森の中に入ると川のほとりにやって来た。この場所は先程の舗装された道から三分くらいで見える、川のせせらぎや鳥のさえずりが聞こえてくる穏やかな景色だった。その為、恭一たちが小学生の時は良くここでいろんな友達と遊んだりしていたのだ。
親たちもこの場所は許可をもらっていたし、学校でもこの場所は行ってもいいという公認があった。それもそのはず、道に迷う場所ではないし、川もそれほど深いものでもない。子供でも足首くらいの波の高さである。この小川が大きな川に向かう場所であるのだ。
この場所で川遊びや、夏はセミを取って楽しんでいた。実際に今日もセミの鳴き声を聞きながら小学生たちが虫取り網を持ってはしゃいでいる。
中学生や高校生はいなかった。田舎とはいっても流石に家でゲームやパソコンをしていた方が楽しい。中学生の頃になるとそうなるだろう。
恭一は研がれた石が集まっている地面にしゃがみ込んで、緩やかに流れる川の流れを見ていた。
……あたし、お母さんがいないの。
その言葉を聞いたのは、小学六年生に上がった時だっただろうか。葵がそう告白するように発言した。
この場所で葵も含め友達と遊んでいた時に、どういういきさつで喋ったのかは思い出せないが、恭一は自分の家庭の話をしていた。
「オレのお母さんは仕事が忙しくて、一週間に一回くらいしか帰ってこないんだ」
「嘘つけ、この前家に行った時は、おばさんいたじゃんか」そのころ遊んでいた男の友達がいった。中学の時に転校してしまったが。
「あのおばさんは家政婦だよ」
「家政婦って何?」葵が聞いた。
「簡単に言うと、家の世話をしてくれる人かな。お母さんがオレの為に雇ったんだ」
「へえ、おばさん凄い」
「ちなみに、お父さんもいないんだ」
「前にも言ったよな。運動会の時」と、転校した少年が言った。
「ああ、他の女のところに行ったって、お母さんが言ってた」そう言って恭一は笑い話が出来ると思っていたのだが、意外と、みんなそれなりに気持ちを察してそのことに触れなかった。
「オレの父ちゃんは、大工やってるけど、結構あちこち仕事場が変わってる」と、少年は話を無理に変えていた。
今思うと、結構斬新な話をしてたなと思った。恭一にとっては自分の家庭をさらしても大したことはなかった。元々、物心ついた時から普遍的な家庭で育ったわけではなかったので、逆に普通の家庭が良く分からなかった。
その帰り道に、葵と二人で帰ると、彼女は言った。
「さっきさ、鳴尾君、お父さんいないって言ったじゃん」
「ああ、言ったよ。他の女のところに行った」恭一は多恵が良く口にする言葉が気に入っていた。
「……あたしも、お母さんいないの……」彼女はぽつりと呟いた。
「そうなの?」恭一は虫取り網を空中に虫がいるように、左右に振り回して楽しむ素振りを見せた。
「病気で亡くなっちゃったんだ」
「へえ、可哀想に。色々あるもんだな」恭一は軽い発言だった。丁度その時、自分の優しさが格好悪いと思っていた時期でもあった。
「だから、あたしはお父さんを大切にしてるんだ」
「大切に?」
「うん、親孝行って言葉があるじゃない。それに、お母さん亡くなって一番つらいのはお父さんだと思うから。鳴尾君もお母さん大切にしてあげた方がいいよ」
「そういうもんかな……」
恭一が何気に呟くと、葵は恭一の前に来て、手を広げて彼を睨むように見た。恭一も驚いて虫取り網を振り回すのを止めた。
「本当に大切にしないと、後悔するのは鳴尾君だから」
そう真剣な眼差しの葵を見て、恭一は頷いて「あ、ああ」と言った。
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