第34話 悪者扱い

「いよいよですね」階段百段を上った泉は肩にかけていたボストンバックを両手握りしめていた。

「大丈夫だ」恭一は誰に言ったのか分からないくらい小声で言った。

 聡は何も言わなかった。恭一に目配せをする。

 恭一は頷いて、門扉の横についてあるインターホンを押した。

「はい」女性の声だ。すぐに葵と分かった。

「オレだ」恭一は言った。「中に入るぞ」

「はい」

 恭一は和風の門扉を押した。いつもよりも重く感じ、軋む音がやけに緊張感を高まらせる。

 中に入ると、庭には誰もいなかった。洗濯物を干していて穏やかな風景だ。

「こらぁ、お前たち!」

 玄関の引き戸から、泰三が今にも飛び出しそうに、速足で現した。

 その怒号が聞こえた瞬間、泉と聡は身体をビクッと跳ね上がり、言葉が出なかった。

「特にお前! 我が家のルールを破るとはいい度胸してるな」泰三は腕を組み、顎を上げて見下すように恭一を睨んだ。

「ルールを破ったということは、ライブに行ったってことでしょうか?」恭一も引けずに動揺しない。

「ああ、音楽に趣味を持ったこと、ライブに行ったこと、約束を破ったこと、三人で夜遊びをしたこと。色々だ。お前らは暫く自粛して正座をして反省しろ」

「反省をして何か意味があるんですか?」

「お前、今日はやけに口答えをするな。ここの住職はオレなんだ。オレの従う通りにしろ。いいな?」

「一つ聞いてもよろしいでしょうか?」

「何だ?」泰三は面倒くさそうに首を左右に傾きかけて、関節を鳴らした。

「住職は先輩の笑顔を見たことはありますか?」

「笑顔? そんなことどうでもいいことじゃないか。わしには笑顔を求めてるわけではないし、笑うことが修行につながることじゃない。何を言っとるんだ」

 そう言われて、恭一は内心腹立たしくなっていたのが、徐々に気持ちが向上して言った。

「笑うというのは、人間的に大事なことだとオレは思います。泉ちゃんや葵さんが笑う時は見たことがあるけど、あなたたち二人は見たことがない。和尚さんだって、笑うことは大事なことだと仰ってましたし、健康にもいいことなんです。オレはそのことを別に意識したことはないけど、こうやって家族団欒の生活を続けているんだったら、茶の間の時に笑うことだって……」

 そこまで言うと、泰三は怒り狂って眉間に皺を寄せた。「うるさい。お前が言うな。こうやって修行僧という形に入れてやったのに。いい加減にしろ!」

「別に、オレは修行僧に自分から入門したわけではないです」

「口答えするな。もういい。お前がいると、わしらの家庭も滅茶苦茶になる。葵には残念だがお前には出てってもらう!」そう言いながら、泰三は後ろにいた葵を振り返った。

「あたしはいいよ。確かに鳴尾の性格は中途半端にでしか戻ってはないけど、今のところは以前のようにセクハラをしてこないし、それよりも泉たちが無理矢理ライブに行かされることにイライラしてるから」

「お姉ちゃん、あたしは別に鳴尾さんに連れていかれたわけじゃなくて、連れてもらっただけだし、それにお金も鳴尾さんがほとんど出してくれて……」泉は葵に向かって言った。

 すると、葵は泉に近づいて、彼女の両肩を揺さぶった。「泉、あんたは鳴尾恭一に騙されてるんだよ。泉には分からないけど、洗脳って言葉聞いたことあるでしょ。人の弱みや好奇心に付け込んで、色んな作為的なことをやって支配する人なのよ。鳴尾がそういう人物とはいわないけど、そういう素質は十分に持ってるのよ。分かった」

「そんなの分かんないよ。こんないい人なのに、どうしてお姉ちゃんもお父さんも鳴尾さんに対して怒るのか……」

「大丈夫、泉。あたしたちはあんたの味方だからね。取り合えず、今は中に入ってゆっくりしよう」

 そう半ば強引に葵は泉を居間の方へ引っ張っていく。泉は「離して」と言うが、葵は、「後はお父さんが何とかするから大丈夫」と、悩ましい気持ちを抱えながら、泉を優しく諭した。

 聡は暫くその光景を傍観していたが、泰三が「聡、お前も中へ入れ。もう、こいつのいう通りにするな」と、強く言うと、聡は恭一を一瞥して中へ入った。恭一に対して、「ゴメン」と、言いたかったのだろう。

「これで、お前はもうこの家とは関係のない部外者だ。今まで修行をしっかり行っていたのに残念だ。しかし、お前の本来の目的が垣間見えた分、ウチには用はない」

「オレは別に今すぐここから離れても問題はないです。しかし、オレは別に彼らを洗脳させようとしたわけでもないし、本来は二人とも音楽に興味があるのに、どうしてそんなこと言われないと……」

「ほら、あんたの荷物持ってきたわよ」

 葵は恭一が部屋に持ってきていた私物をゴミ袋に入れて、恭一の手に無理矢理渡した。

「もう、お前は自由の身だ。その代わり、もうオレたちの前に現れないでくれ」

 そう言って、泰三はドアを横に滑らせて戸を閉めようとする。

「ちょっと、待ってくれ。お世話になった挨拶だけでも」

 恭一はそこまで言葉を発したときに、バタンと強く締められた。その音にはかなり拒絶しているという証明が恭一にはわかった。

 恭一は思わず立ち尽くした。何故か自分だけ悪者にされている。もしかしたら、泉たちもその後に仕打ちをされているのかもしれない。泰三たちから邪魔者扱いされたことに傷ついていた。

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