第23話 厳しい規則2

 泉がその日に帰ったのは夜の七時だった。

「おい、お前。今日はどこに行ってたんだ」家の玄関で泰三は仁王立ちになっていた。

 すると、泉は自分の履いていた靴を靴箱に入れ、床を上がって、まるで泰三の存在を把握していないかのように、無視して奥にいった。

 泰三は眉をしかめて後ろを振り返り、泉の左肩を掴んだ。「おい」と、力任せで振り向かせた。

「あたし、悪いけど近々家を出て行くから」と、弱弱しく答えて、語尾に彼を見た。

「え……」泰三はあっけに取られて、思わず掴んだ手を緩めた。

「泉、どうしたの? 電話しても出ないし……」エプロン姿の葵は心配した面持ちで言った。

「あたし、今日ご飯いらないから」

そう、不貞腐れた顔を見せて、階段をゆっくり上がった。

「ちょっと、泉。何言ってんの。みんな待ってくれてんのよ」葵は泉の後に続く。

 その騒動を居間で正座をしながら聞いていた恭一は、何事かよくわかっていた。

 泉の帰りが遅いという時点で、きっと昼間にギター練習を断ったことに関係があるとすぐに分かった。逆に真っすぐ帰ってきたら、立ち直りが早すぎると心配になる。

 泉は別の誰かにギターの練習を頼んだのだろうか。それに夢中になって帰りが遅くなったのかもしれない。本人に聞かないと分からないが、分かっていることは泉が不機嫌なのは確かだ。

 聡は黙って正面を見ている。思わず恭一は後ろを振り返って彼が見ている壁に何か変化があるのかと見たが何もない。

 ……しかし、兄貴なのに、妹の非行を心配しているのだろうか。この兄貴からは何も感じないので、しばらく恭一は聡に話しかけていなかったが、泰三からの話で、聡も小学生時代の時は修行を嫌々やっていたようだ。

 本当にこの人物は父親を尊敬して、この寺の後継ぎをしたいのだろうか。きっと本当はレーゲンボーゲンの音楽を聴きたいと思っているだろうし、演奏だってしたいだろうに……。

 と、二階から泰三と葵からの罵倒が聞こえた。これは相当怒られているなと恭一は内心、心もとなかった。

 しばらくして、泉が泣きながら、戻って来た。

「お兄ちゃんも鳴尾さんもすみませんでした」彼女は両手で涙を拭きながら、嗚咽交じりに頭を下げた。

「いいよ、オレは。それよりも泉ちゃんは大丈夫かい?」と、恭一は手を横に振って、無理に笑顔を作った。

「はい、大丈夫です……」

 小声の彼女は正座をした。何だか心のモヤモヤが消えないまま強制させられている。その躾は、恭一には正しいことだとは思わなかった。

 恭一はこんなに厳しい躾をされたことはなかった。自由な母親なので、家政婦に任せっぱなしだったし、家政婦もある程度言うが、自分が親に告げ口をしたら、怒られるのは家政婦なので、態度を悪くしてわざと膝を立てて晩御飯を食べた時もある。どういった態度で接してくるのか確かめたかった。すると、やはり母親には告げ口をしなかったようで、あれからそのことに対して怒られたことはない。

 いつものように黙食で夕食を済ませたのだが、やはり普段と違って、鼻をすする音が聴こえてくる。もちろん泉からだ。泰三は「食事中は鼻をすするな」と、注意されたが、彼女はずっと鼻を啜っていた。

 食事を終えると、恭一は積極的に皿洗いを手伝った。泉がすぐに部屋に戻ったからだ。葵一人だけだったら、ただでさえいつもよりも時間を押しているのに、一人山積みのように作業を抱えていたら可哀想だと思った。

 それが終わり次第、今度はテーブルを拭こうとしたのだが、聡がテーブルを拭いていた。

「先輩がしてくれたんですか。ありがとうございます」恭一が礼を言うと、

「まあ、事情が事情だからな」と、ぽつりと呟くように言った。

 やっぱり、この兄貴もどこかで妹想いなのだなと恭一は半ば安堵した。

 しかし、葵が風呂掃除を済ませて戻ってくる前に、彼は二階に上がっていき、自室に戻った。

「あれ、テーブルもキレイにしてくれたの?」葵はきょとんとしている。

「いや、先輩がしてくれたんだ」

「先輩って兄貴?」

「ああ、そうだぜ。気を利かせてくれたんだ」

「へえ、あの木偶の坊が?」葵は半分怒りを鎮めて言った。

「木偶の棒?」

「だって、そうじゃん」葵は泰三がトイレに行っている時を狙って、恭一に声を潜めて顔を近づけた。「お父さんに言われて、動いてるロボットだよ」

「ちょっと、その話、学校で詳しく聞かせてくれないか?」

「え? いいけど」

 恭一はその話に興味津々なのが葵には理解できなくて、頭の上にハテナが付いていた。

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