第20話 叱責

 風呂から上がると、待ってましたとばかりに、泉が台所の冷凍庫からスティックアイスを二本取り出した。

「鳴尾さん、あたしのアイス上げる」そう泉は一本、恭一に渡した。

「あ、ありがとう。丁度冷たいのが欲しかったんだ」

「その代わり、話したいことがあるんです」


 恭一は自分の部屋に入った。「すまんな。ここでいいんだったら」

「いいですよ。座っていいですか?」

「ああ、いいよ」

そう恭一が言って、お互い座った。恭一は胡坐だが、彼女は正座を崩した座り方――所謂ぺたん座りだ。

「それで、話って?」恭一はスティックアイスの密封された袋をちぎって開けた。

「あの、ギターをもっとしたいんで、鳴尾さんがやってるバンドに参加できないかなって思いまして……」

「ああ、あいつらとか……」

 恭一は知章と拓也に泉を入れるとどうなるか想像した。一匹狼の拓也に対して、知章は自分で言うのも何だが、自己中である。泉が加入したら喜ぶどころか、バンドの話よりも口説いてくる可能性もないとは言い切れない。

「……止めといたら?」

「え……?」予想外の答えに泉は思わず言葉を失った。

「だって、あいつら変な奴らだもん。だから、新しいバンドを立ち上げた方がいいな」恭一はスティックアイスの先を噛んだ。

 ……何だそういう事か……。泉はホッと胸を撫でおろした。

「それだったら、加入メンバーを募集した方がいいですよね」泉は身を乗り出して言った。

「そうだな」恭一は泉が握っているスティックアイスを見た。「泉ちゃん。早く食べないと溶けちゃうよ」

「あ、すみません。つい、熱くなっちゃって」そう言って、泉は小さく口を開けてかじった。

「いいよ。今日の泉ちゃんの腕前と楽しそうな表情見たら、やりたくなるのは分からないからな。問題は誰が歌うかだな。泉ちゃん歌は?」

「ああ、あたしならいいです。歌はからっきしダメで……」と、泉は手を横に振った。

「本当? 本当は歌いたいんじゃないの?」白々しい目で恭一は疑う。

「いえ、本当にダメなんです。あたし、昔から音痴で……」恥ずかしいのか泉は、今度はスティックアイスを食べるスピードを速めた。

「そうか……。ゴメンな。それだったら、君の兄貴はどうだい?」

「お兄ちゃんですか?」泉は後ろを振り返り、聡がいる隣の部屋につながる壁を見た。

「君の兄貴は前にも言ったようにレゲボが好きだと思うから、本当は歌いたいのかもしれないからな」

 レーゲンボーゲンの一番人気が高いのはボーカルのジギルだ。日本人離れした顔立ちと、男性には見えないスタイルが、多くの女性らを魅了した。しかし、歌声は強烈に力がありたくましく、そして、しなやかな歌い方をするので、男性ファンも大勢いた。男性ファンの大層はジギルみたいな顔立ちが欲しいと思っているだろう。

「君の兄貴は例えばお風呂に入っている時とか、口ずさんでいたりとかしてないかい?」恭一はスティックアイスをかぶりついた。

「うーん」泉は頭上を見上げて過去を回想している。「どうですかね。それほど気にしたことがないですけど、あたしが知ってる限りでは口ずさんでいる声は聞こえてこなかったような……」

「ふーん、でも、音楽は好きだと思うんだよ。それに、楽器の演奏だって多分したいと思う。ただ、本人がやる気があるか分からないから、ボーカルをやってみたらいいと思うんだけどね」

「そうですね……」泉は心もとない声で、スティックアイスを全て食べた。


 恭一は早速、聡の部屋のドアをノックした。

「はい」

 相変わらずか細い声だ。それでいて、メガネを掛けていかにインテリな顔が頭をよぎる。

「失礼します」恭一は引き戸を横に滑らせ、中に入ると、またドアを閉めた。

「何の用だ」聡は、今日は紙で勉強しているわけではなく、ノートパソコンを使用している。それが勉強なのかは、恭一にはよくわからなかった。

「いやあ、修行のことでお聞きしたいことがあるんですけど、どうしたら瞑想で雑念が消えるのか教えて欲しいなと思いまして……」

 恭一は嘘をついた。ストレートに音楽の話が出来るような人物ではないからだ。

「コツが知りたいと?」聡は相変わらずパソコンの画面に夢中になっている。

「はい。そうです」

「別にコツなんてないよ。かといって無理に雑念を取り除くことも力が入りすぎるから、それなりに階数を続けていったらいいんじゃないか?」

「はい」

「話したいことはそれだけ?」

 相変わらず聡はこちらを見ない。興味が無いのだと恭一は悟った。

「いえ、先輩は音楽に興味はありませんか?」

 ”音楽“という言葉に聡は手が止まった。

「どういう事だ?」初めて聡は恭一の方を見た。

「実は、オレはバンドを組んでまして、丁度ボーカルがいないなと思ったんで、誘ってみたんですけど……」

「オレは興味が無い」即答で聡はまたパソコンの画面の方を見ていた。

「一回先輩の歌声が聞いてみたいと思いまして……」

「だから、興味が無いって言ってるだろう。出て行ってくれ」

 声は荒げていないが、明らかに苛立つそぶりを見せている。「失礼しました」と、恭一は部屋を出て行った。


 しかし、あれ程怒らなくてもいいだろう。別にただ誘っているだけなのだから。それに、そこまで束縛をしたつもりでもない。

 やはりこの家では葵と泉がいないと、とんでもない家になっていたんだなと恭一は感じていた。

 泰三と聡の二人だけが住んでいたらどんなことが起きていたのだろう。毎日泰三に説教させられて、言われるがままに修行をしている聡。しかし、ある時嫌気がさして刃物を持ってきて泰三の胸をめがけて一突きってこともあるのではないのか。あの冷めた表情でどんな感情を持っているのか分からない聡が何かをやらかしても可笑しくはない。

 それに泉もあまり聡のことが好きではなさそうだし、葵に関しては一言も聡の言葉を出したことがない。過去に何かあったのか。頑固なところがある葵は聡と仲が悪くなったら、話すことも無くなるのだろうか。

 それでいて、オレに対しては何かと喋りかけてくる。迷惑している存在なのに……。恭一は部屋を真っ暗にして布団をかぶって考え事をしていたのだが、面倒くさくなって、そのまま目を閉じた。

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