第14話 いい気味……

「あの、恭一。私外国へ行くことになった」

「え、どういうこと?」

「仕事上でね。これから更に自分の可能性を信じたいの」

「それって、日本には戻って来ないってこと?」

「そうよ。多分そうなると思う。私はこれから支度しなくちゃいけないの。あんたはどうする?」

「どうするって……」

「早くしなさい。もたもたしてるのは私嫌いなの!」

「えっと……」


 そこで、高い金属音が響き渡り、恭一は目が覚めた。

「おい、四時だ。早く支度をしろ!」泰三はフライパンとステンレス製のお玉を片手ずつもち、鳴らしながら叫んだ。

「もうちょっと寝かしてくれよ。昨日寝たの十二時だぜ」まだ寝ぼけ眼の恭一は仰向けでぼんやりと泰三を見上げる。

「ダメだ。朝の勤めがある。さっさとこれに着替えろ」

 泰三が投げたのは押し入れにしまってあった紺色の作務衣だった。

「こんなダッサイの着ないといけないのかよ」

「いいから着ろ。それと敬語だ。何回忘れるんだ」そう言いながら、泰三はまた激しくフライパンとお玉を合わせて鳴らした。

「分かった。分かりました」恭一は思わず耳を塞いだ。


 恭一は寺の掃き掃除をしていた。泰三も聡も一緒だ。毎日の日課らしい。

 庭掃除を聡に、門の前の百段ある階段を二人が作業をすることになった。

 元々はこの百段ある階段を上ったところから始まったんだな。

 そう恭一は何度も泰三が見えないところで欠伸をしながら、涙が溜まった目を擦っていた。

 その後に雑巾がけを廊下で走る。

「早くしろ。時間ないぞ!」泰三からの鼓舞に恭一は、お前もやれよと、半ば煩わしさを感じていた。

 しばらく、作業をした後、泰三から「もういいぞ」と言われて、思わず恭一は「終わった」と呟いてその場に座ってへたばっていた。

「ご飯よ」と、葵がエプロン姿で恭一に対してニコッと笑うと、恭一は初めて見る葵のエプロン姿に顔を赤らめた。


 朝食を済ませた後、恭一と葵と泉は学校に行く為に家を出た。

「あれ、兄貴は? 一緒の高校だろう?」恭一は聡の姿が見当たらないことに不審に思った。

「後で行くんだって」と、葵。

「ふーん」

 そう言いながら、三人は階段を下りる。

「お兄ちゃんはいつも一緒に登校するのを避けるんだよ」と、泉は恭一の横で話した。

「変なの。こんな可愛い妹たちがいるんだから、一緒に行ったらいいのに……」

「そうだよ。途中で変な男がいたら怖いのに、お兄ちゃんは頼りないんだ。でも、これからは鳴尾さんがいるから大丈夫だよね」

と、泉は恭一の腕にしがみつく。右腕にしっかりと胸の柔らかさが伝わっていて、恭一は心臓が縮み上がりそうになっていた。

「こら泉、離れなさい。この鳴尾恭一が一番変な男なんだから、こいつには近づかない」

 と、無理矢理葵は二人を引き離した。

「ふーん、でもお姉ちゃんが言うほど、鳴尾さんは変な人じゃないよ」

「どー、見ても変な人です」

「そうかな」泉は恭一の顔を間近で見る。恭一も女子からこんなに近くに見られることは初めてだったので、少したじろいでいた。

「寧ろ、いい人のような気がするんだけどなあ」

 と、泉は独り言のように呟いて、恭一は思わず困惑して苦笑いを浮かべた。


 休憩時間になっても恭一は動けずじまいだった。授業中は思い切り眠って、一時間目、二時間目に眠りについていたのだが、やっと起き上がったのは二時間目の終わりだったので、喉が渇いて休憩時間に自動販売機でジュースを買いに行こうと起き上がろうとしたのだが、腰に激痛が走った。

「痛っ」思わず手を腰にやる。

 あの雑巾がけで腰を痛めてしまった。あれだけの距離でしかないのに、どうして床に雑巾を置いて腰を浮かせる体勢を泰三はさせるのか。彼曰く、自分が教え込まれた方法はこのやり方だったので、徹底的にやって欲しいとのこと。

 しかし、喉の渇きには勝てない。

 恭一はゆっくり立ち上がろうとした時に、葵がこちらに近づいてきた。

「やっと起きたね。寝坊助野郎」

「うるせえ。お前の親父さんにあんだけうるさく四時に起きろって言われたら、起きなきゃしゃあねえだろ」

 葵は恭一が手に腰をやっているのに気付いた。「あ、もしかして、雑巾がけで筋肉痛になってんの?」

「うるせえ。オレは今から飲み物買ってくるんだ」

「へえ、頑張ってね」

 葵は語尾を強く言って、恭一が右手で腰にやっていたのを、更に上から、右手で握りこぶしを作って殴った。

「うっ」

 痛がる恭一に対して、葵は声を荒げて笑った。

 いい気味だわ。このまま雑巾がけでヒイヒイ言わせておいた方がいいかも……。

 葵はそんなことを考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る