第2話 忘却の果て 2

 葵と恭一は小学生からの付き合いだった。この永尾小学校から一緒だった。同じクラスだった時も何度もあった。もちろん今や色欲を追い求めている恭一だが、当時はスポーツ万能でどちらかといえばリーダー的な存在だった。

 葵は誰にも気さくでみんなを引っ張る恭一の姿に次第に好感を覚えていた。元々、葵の達だった女子生徒と恭一は仲が良かったので、徐々に葵と恭一も学校以外にでもよく会うことがあった。

 恭一の家にも一回行ったことがある。その時は鳴尾家が雇っている家政婦しかいなかった。礼儀礼節がきちんとされた人だった。

 恭一の家はこの永尾町の中でも断然に一番大きな家だった。その時の父親はⅠT産業の仕事をしていて、その中でも重役なクラスに在籍している。母親に至っては昔は日本で、そして今やアメリカの方でテレビのレポーターとして活躍している。元々に本でも有名人だったが、あちらの方でも成功しているらしい。

 葵は初めてそれを聞いた時、小学生の彼女はよくわからなかったが、相当なお金持ちの家庭なのだなと思っていた。

 そんな恭一と葵の中だったが、葵が一番衝撃を受けたのは小学五年生の時である。

 その時は恭一ともう一人女子生徒がいて、三人で駅近くのコンビニに行った時だ。

 三人ともお菓子とジュースをそれぞれ各自で会計を済ませた後、恭一は自分の会計の時、お釣りをレジの横にあった募金箱に小銭全てを入れたのだ。

 その光景を唖然と見ていた二人だったが、コンビニを出た後に、即座に葵は恭一に聞いた。

「どうして、さっきの募金箱にお釣りを全部入れたの?」

 すると、彼は前を見ながら言った。「世の中には貧しい人がたくさんいる。その人たちに幸せになって欲しいんだ」

「でも、鳴尾君が入れたお金が全て貧しい人に行き渡らないって、お父さんが言ってたよ」

「それでもいいよ。例えオレが入れた額の一割しか行き渡らなかったとしても、その人が数分だけ幸せになれるのなら、オレはそれでいい」

 その発言をキッパリという恭一に対して、葵は優しい人物だと認識した時、何となく心の中で恭一という存在が引っ掛かってしまっていた。

 それから、どうしてか恭一を追いかけてしまう。これは恋というものなのか。今まで葵はボーイッシュな性格で、男子と外で同じような遊びをして楽しんでいたのに、なぜかそれ以来、その自分が恥ずかしくなったのを覚えている。

 いつも楽しい遊びを考えてくれた鳴尾恭一。休んでいる生徒に対しても優しい言葉を投げかけていた小学生の頃の鳴尾恭一。

 それが、あの無類の女好きで、セクハラまがいのオジサンがするような人間になってしまうなんて……。

 葵は俯いて自然と両手が握りこぶしになりながら、彼が何度も女性に対して身体を弄ばれている被害者三人を、五限目の休み時間に職員室に訪れていた。

 軽くノックを三回して、葵は「失礼します」と言い、ドアをゆっくりと横に滑らせた。

 職員室では先生たちが雑用に追われていたり、机にもたれながらお茶を飲んで談笑をしていたりしていた。

 葵はスナック菓子とコーヒーを自分の机の上に置きながら、パソコンと睨めっこしている担任の戸田雅治を発見すると、ずかずかと室内へ入っていった。もちろん後ろに続く女子生徒三人もだ。

 中にいた先生たちは何事かと、葵の姿に目を奪われている。

「戸田先生、すみません、お時間よろしいでしょうか?」

「え、ちょっと、待ってくれ」

 戸田はパソコンの画面に注視している。学校側へメールが来たのを読んでいるようで、その内容が重要なものなのかは葵には分からない。しかし、葵は日頃の怒りと戸田に対して何も対応してくれていないことに腹が立ち、思わず、両手に握りこぶしを作り、彼の机の上に叩きつけた。

 ビクッとした戸田は何事かを驚きを隠せない。三十二歳、中肉中背、脇汗を大量にかいている。顔中に汗と脂がぎらついている。メガネを掛けていたが、葵の行動に衝撃を受けて、思わずメガネが傾いていた。

「先生、大変恐縮なんですが、前にも言ったように、鳴尾恭一君のことを何とかしてください!」

「何とかって、言われてもなあ」

 戸田は額から汗が流れて、ポケットからしわくちゃのハンカチを広げて、汗を拭いていた。

「何とかするのが先生なんじゃないんですか? 以前お話ししたようにあたしたちは被害者なんです。こっちから注意しても彼は聞き入れてくれません。先生から強く言ってくれませんか」

 葵はいつになく真剣な表情で戸田を見ている。ショートヘアで物分かりがいい彼女は、一見大人しそうに見えるが、持ち前の正義感からこういう状況になると、態度はむき出しになっている。たとえそれが目上の人であってもだ。

「しかし、鳴尾君のお母さんは海外でも活躍してるレポーターなんだ。あの人はここだけの話結構表と裏が激しい人なんだよ」

「だから何なんですか。加害者を庇うんですか?」葵は半ば怒り狂っても可笑しくないくらい、態度を露骨に出した。

「そ、そういう意味じゃないよ」戸田は慌てて両手を横に振った。「まあ、注意するよ。鳴尾君には」

「絶対お願いしますよ。みんな被害者なんだから」

 葵は他の三人の女子生徒を見ながら、戸田に言った。

「分かった」

 それだけを聞くと、葵は半信半疑な気持ちのまま、教室から出た。後についていた女子生徒たちも続く。

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