第58話 暗い影から目を逸らす

 僕とロンさんは、屋敷の留守番をアエルさんから言い付けられているアイネさんの「いってらっしゃい」という見送りの言葉を受けて、開け広げた両開きの扉から外に出る。

 

「……」


 僕は久し振りにボヤけていない外界の風景、どこまでも広がっている蒼穹と、花壇に等間隔で植えられている色取り取りの花々を目の当たりにし、数瞬の間だけ時を止めて、口で浅く息を吸った。倒れていた僕がここに運ばれてきた時は暗闇満ちる深夜だったし、自力で立ち上がれないくらいの疲労困憊な状態だったから、周りがよく見えていなかったのだけど、体力が回復した今の僕の視界に広がっている村の景色は、どこか懐かしさを覚える、心底安心してしまうような雰囲気を感じられた。

 

「そうか……」

 

 ここは僕が子供の時から育ってきた、今も爺ちゃん達が居るだろう住み慣れた村に雰囲気がソックリなんだ。ここが山村っていうのも雰囲気が似通っているポイントなのかもしれないな。


「…………あぁ」


 そんなことを屋敷の玄関先で立ち止まりながら考えていた僕は、まるで故郷の村に帰郷したかのような懐かしさと安らぎを全身に感じて、それにどっぷりと耽ってしまう。僕は屋敷の外に出た『目的』と村を案内をしてくれるロンさんの存在をスッカリと頭から抜け落ちさせてしまい、屋敷の広い庭の中心で両手を広げて、程良い具合に柔らかい緑の芝生の上で寝転がる。すると、先に庭を通り抜けて敷地の外に出ていたロンさんが、芝生の上で両手を広げて寝始めた僕を見て「おーい!」と呼び叫んだ。

 僕はその困ったような呼び声を耳に入れ『ハッ』と肩を跳ねさせて、屋敷の外に出た理由である『散歩』のことを思い出す。そして飛び跳ねるように起き上がった僕は、塀の外で手を振っているロンさんの方に走って向かった。


「す、すいませんでした! 気を抜いてしまって……」

「ははっ! 気にしないでくれ。僕だって、こんなに良い天気だったら気を抜いて昼寝をしてしまうだろうからね」

「ほ、本当に申し訳ない……」


 マジの『やらかし』をしてしまった僕は、数分間も無意味に待たせてしまったロンさんに対し、何度も勢いよく頭を下げて謝罪の言葉を口にする。平謝りで汗を散らす僕に、ロンさんは笑いながら手を振って「気にしないでよ」と言った。そんなこんなで僕は何とか気を取り直し、隣を同じ歩幅で歩いてくれているロンさんに懇切丁寧に案内されながら、『アイリ村』という名をした、この村を散策し始める。


「あそこが僕と、僕の両親が暮らしている家だよ」 

「へー」


 村の東には先程まで僕達が居た、アイリ村の村長のアエルさんの大きな屋敷があり、屋敷を背後にした右手側——村の北東の方には、ロンさんとその両親が住んでいると言う二階建ての煉瓦造りの家があった。見渡せる村のほとんどの建築物が『煉瓦造り』であったため、歌の国の建築材料は土と木材を主として造られているハザマの国の建築物や、ほぼ木材で造られている風の国の建築物とは違うんだなとパッと見ただけで察することができる。こう言っては何だけど、こっちの建物の造りの方が『頑丈』そうだなと僕は思った。この煉瓦を積んで造られた重力級の外壁なら、並大抵の強風を真正面から受けても崩れないような気がするし、そう僕に思わせるだけの頑強さを、この建物たちからヒシヒシと感じる。……そういえば豚の獣人が主役の童話で似たような話があったような気がするな。何だっけ?

 確か、狼の獣人が本気を出しても壊せない建物を、豚獣人の兄弟が造るとか何とかだったような気がするけど……。


「あそこが村唯一の商店なんだけど、残念ながら商品は置いてなくて店仕舞いしてしまっている」

「えっ、それって大丈夫なんですか? 生活必需品とか商人から仕入れられてないってことじゃ……?」

「ああ、生活に必要な物は各人が必要分は備蓄しているから問題ないよ。こんな山奥の村だから他所の人は全然寄り付かないし、物を店頭に置いたりする必要がないんだよね」

「なるほど……」


 確かに。普段から他所の人が村に寄り付かないのなら、わざわざ商品を仕入れて店頭に置く必要はないのか。そりゃそうだ。せっかく仕入れた商品を店に置いても、買ってくれる人が来なかったら全く意味は無いし、経年劣化なんかで商品が廃棄になってしまったら店は大赤字になってしまうからな。まあそうなると、この村に来た他所の人達は店屋で物資を補給できなくて困っちゃいそうなんだけど、それは村の人達と交渉して売ってもらえばいいだけだ。そうか。僕もいざ『旅立ち』となったら村の誰かから必要な物を交渉して手に入れないといけないのか。

 んー……どうしようか悩むけど、もしその時が来たらロンさんから食料なんかを買い取ることにしようかな。アイネさんの所だと全体的に物の値が高そうだしな。

 そんなことを考えながら歩いていた僕に、隣で立ち止まったロンさんが言った。

 

「一時間くらい歩いたし、そろそろ休憩しようか」

「そうですね」 


 ロンさんに村を案内されながら、村をぐるりと一周するように歩き回ること、かれこれ一時間。現在の時刻は太陽の位置的に正午が過ぎたころ、午後一時くらいだろうか。暑い真夏が過ぎ去って、少しだけ冷気を孕んでいる秋の香りを乗せた風に全身を優しく当て吹かれながら、僕とロンさんは村の中心にある小さな公園の、煉瓦でできた花壇の縁に腰掛けて、ウォーキングで熱った体を冷やすように休息を取る。僕の隣に腰掛けているロンさんは額に掻いていた汗を袖で拭い、全く汗を掻いていない僕の方をチラッと見て、口を開いた。


「ソラってさ、どこの国の人なんだい?」 

「えっと、風の国——ソルフーレンの出身です」

「へえー、ソルフーレンか。風の勇者の出身国だね」

「らしいですね……」


 まあ風の勇者の伝説を知ったのは、つい最近なんだけどね。僕の無知具合を人に喋ると「どういうこと?」って感じで変な顔されそうだし、このことは言わないでおこう。


「ソラは、何故この国に来たんだい?」


 うっ、また言いづらい質問だな。どうしよう、本当の事を包み隠さず言うべきなんだろうか? ……うん。恩人であるロンさんに嘘は言いたくないし、本当の事を言おう。


「えっとぉ、この国の人には言いづらいんですけど、消去法というか……」

「はははっ!」


 よかった、笑って許してくれた。ぶっちゃけ、アエルさんみたいな、どこからどう見ても『特権階級』のガッチリした人にこの事を言うと、絶対に良い顔されないだろうしな。

   

「ソラってさ、いつも他人に対しては敬語なのかい?」

「んと、目上の人には敬語を使うようにしています」

「なるほどね……」


 年上に対しては——ドッカリを除いて——敬語を使うように心掛けていたから、故郷の村に居たときは周りには歳上しかいなかったし、普段から敬語を使っていたんだよな。そう考えてみると、僕が敬語を使わず普通に喋ってるのって、エナとトウキ君、あとドッカリくらいなのか。アミュアさんはアレだけど、一応『十歳近く』歳上だったしな。そんなことをボーッとしながら思考していた僕は、突然立ち上がったロンさんに肩を揺らし、彼の方に顔を向けた。


「やめよう!」


 急に立ち上がって花壇の縁に立ったロンさんは、どれだけ離れていても聞こえそうな張りのある声音で『何かをやめる宣言』を言い放った。一体全体、ロンさんは何をやめると言うのか、意味不明な発言に硬直していた僕が問う。


「な、何をやめるんですか?」

「敬語」

「け、敬語……?」


 ロンさん、敬語なんて僕に使ってなかったよな。

 え、もしかしてロンさんは『僕に敬語をやめろ』って言っているのか?


「まさか、僕に敬語をやめろと……?」

「そう、堅苦しいからさ。僕には普通に喋ってくれよ」

「は、はあ」


 急に年上に対して敬語抜きで喋らなくちゃいけなくなってしまったな……。

 まあ、ロンさんが良いって言うなら僕は別に良いんだけどさ。


「よし! これでソラと僕は『友達』だね」

「え、えぇーーー!?」

「ははは! いいね、こういうの!」


 ロンさんの突然の友達宣言を聞いて、僕はびっくら仰天する。花壇の上から僕を見下ろしていた彼は、声を張らせて目を剥く僕のリアクションが随分と面白かったのか、ダンッと花壇から飛び降りて、爽やかさを感じさせる満面の笑みを僕に見せつけてきた。僕は彼の笑顔を正面から見て堪らず苦笑し、友達という言葉を聞いて心に暗い影を差す。しかし、僕はその暗い影を彼に勘取らせないようにひた隠し、彼にできる限りの笑みを返した。そうして、休憩はこれで終わりなのかなと思った僕が、腰掛けていた花壇の縁から立ち上がった——その時。 


 カンカンカンカンカンカンカン——


 という大きな鐘の音が村の南側からこれでもかと鳴り響いてきた。突然の大音量に肩を跳ねさせた僕が、鐘の音が響く南を向き「なに!?」と叫ぶと、僕の隣で鐘の音を聞いていたロンは、笑みを作っていた表情を引き締めて鐘の音がする方へと走り出した。


「ちょっ、ロン!? どこ行くの!?」

「ソラは急いでアイネの所へ行ってくれ!!」

「え、アイネさん!?」

「早く!!」

「わ、分かった!」


 僕はロンに叫び急かされるまま、アイネさんが留守番しているだろう東にある屋敷へと走って向かった。屋敷に向かう短い道中、鐘の大音を聞いて家屋から出てきた村の人達の『またか』という感じの不安気な表情を走りながら見ていた僕は、これは一体何なんだ? と心に疑問を募らせる。そうして走り続け、僕は目前に迫っていた大きな屋敷を囲う、締め切られた塀の門を『ダンッ』と地を蹴って飛び越えた。大跳躍で一気に視界に広がった屋敷の庭園には、指を絡ませた両手を胸に当てて、祈りを捧げているような仕草をしているアイネさんの姿と、彼女の側で佇んでいる、心配そうな表情をしたメイドのマキネさんの姿があった。

 南の方を向いていた彼女達は、塀の門を飛び越えて庭に入ってきた僕に目を剥きつつも、焦ったような顔をするアイネさんが汗を散らしながら僕のもとへ走ってきた。

 

「ソラさん! ロンは!?」

「えっと、ロンに「僕はアイネさんの所に行け」って言われて、そう言ったロンは走って南へ——ちょちょっ!?」


 僕が急いで屋敷に走ってきた理由を話すと、ロンは走って南へ——の所を聞いたアイネさんは、まるで糸が切れた人形のように膝から崩れ落ちた。勢いよく地べたに座り込んでしまった彼女に驚愕した僕が駆けつけると、彼女は息を荒くしながら両手を胸の位置で組み、何かに祈り始める。そんな彼女の姿を見せられた僕は、この状況が只事ではないのだと否応なく理解した。そして僕はこの鐘の音の理由を知っているだろう、アイネさんを落ち着かせているマキネさんに問いかける。

 

「マキネさん、この鐘の音は何なんですか?」

「この鐘の音は、魔獣が『村付近まで接近』してきた時に鳴らされるものです」

「——! それなら僕が力になれます!!」

 

 彼女の話を聞いて、今の状況を簡潔に理解した僕は、膝をつくアイネさん達を置いて屋敷の中に入り、使わせてもらっていた部屋の壁に立て掛けられている鏡面剣を手に取った。そして急いで外に出ると、鐘の音は止まっていた。


「……あ、あれ?」


 屋敷から自前の剣を持って出てきた僕は、鐘の音が止んで静かになっている辺りの状況に動きを止める。


「アイネ様、どうやら危機は去ったようです」

「ええ……」


 鐘の音が鳴り止んだことを認めたアイネさんは、上下する豊満な胸に手を当てながら大きく深呼吸し、マキネさんの手を取って立ち上がった。そんな彼女達の様子を目で点にして見ていた僕は、覚悟を決めていた自分の気持ちが空回りしてしまったことを認識し、挙動不審に視線をキョロキョロと動かしつつ、僕は空いた片手で頭を掻きながら安心した表情を浮かべている彼女達のもとへ歩いて向かう。


「だ、大丈夫そうなんですかね?」

「はい。どうやら無事に戦闘は避けれたようです。ふふっ、急いで加勢しに行こうとしていたソラ様の姿、とてもカッコよかったですよ」

「へ、へへへ……」


 僕の言葉にそう返事してくれたのは、息を切らてしまっているアイネさんを介抱していたマキネさんだ。彼女は意地の悪い笑みを浮かべながら、顔を羞恥に染めて引き攣った笑みを作る僕をまじまじと見てくる。マジで恥ずかしいな。あんなにカッコつけた手前、完全に出遅れてしまった僕の滑稽すぎる姿を誰も見ないでほしいんだが。

 そんなこんなで暫くして、帯剣しているロンが屋敷まで走ってきた。


「アイネ!」

「ロン!」


 という感じで、再会と共に急に抱擁を交わし始めた親密な男女の姿を見せつけられる僕とマキネさん。やはり二人はそういう関係だったのかぁ——と僕は勝手に納得しつつ、邪魔をしないようにと、少し離れた所から抱擁を静観する。

 ぼんやりと抱き合うロンとアイネさんを見守っていた僕とマキネさんの視線に気付いたのか、それとも抱擁を満足して終えたのかは分からないが、二人は手を繋いだ状態で僕達のもとまで歩いてきた。親密な男女の関係を晒していら二人に、どういう顔を向ければ良いのか分からなかった僕は、いつもの調子でロンに話しかけた。

 

「ロン、魔獣はどうなったの?」

「ああ、魔獣は僕達の姿を見て分が悪いと察したのか、少しずつ後退して樹海の方に走っていったよ。まだ安心はしきれないけど、今のところは大丈夫」

「そっか……」

「ふふふ、ソラ様は急いで加勢に向かおうとしていたんですよ」

「い、言わなくていいですから!!」


 油断しきっていた僕の尻をバシンッと強打する勢いで、くすくすと笑いながらさっきの醜態を暴露したマキネさんに、僕は焦りながら言葉を掛ける。その話を聞いて苦笑したロンは「警戒をしに行かないといけない」と言って、悲しげな表情でアイネさんと繋いでいた手を離し、泣きそうな顔をするアイネさんと再び抱擁を交わした。

 その光景を見て、アツアツすぎるなぁ——と男女の放熱に目を閉じかけていた僕は、抱擁を終えて向き直ったロンに「ソラ、アイネは任せたよ」と真っ直ぐな目で中々に重いことを言われてしまい、僕は「え、う、うん」と返事を詰まらせてしまう。僕の声の詰まった返事を聞いたロンは再び苦笑し、手を振って屋敷から出ていく。そんな、愛する彼の背を見送るアイネさんの表情は、とても悲しげで、とても儚げで——手で触れたら霧のように霧散してしまうのではないかと思ってしまうほど、その雰囲気は幻想的であった。


「屋敷に戻りましょう、アイネ様」

「…………ええ」 


 僕は彼の行く道に背を向けて、夜闇のように暗い影を身に纏うアイネさんの後に続く。既視感のある暗影から逃げるように目を逸らした僕の視界には、どこまでも広がる蒼穹だけが広がっていた——

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