第57話 必ず恩は返します

 ロンさんとアイネさんの二人に肩を持ち上げられて、地に足付かない宙吊りの状態になってしまっていた僕は、この村の村長である、赤いマントを羽織った偉丈夫の家——村で一番の大きさを誇っているだろう、三階建ての立派な屋敷の中に運ばれながら入った。そして吃驚するほど息が合っている男女に『せっせ、せっせ』と屋敷内を運ばれていき、屋敷の三階にある広い空き部屋に到着する。その部屋の壁際に置かれている大きなベットの上に優しく寝かされた僕は、横になった途端、極限の疲労からくる『蛇に全身を締め付けられている』かのような、この世のものとは思えない耐え難い苦痛に襲われて、腹の奥底から「うぅぅぅぅ」という苦悶の声を漏らしてしまう。そんな僕の痛苦の喘ぎを聞いたアイネさんは「大変、大変!」と騒ぎながら部屋から飛んで出ていってしまった。そうして、僕が発する痛苦の声で震える部屋に取り残されてしまったロンさんは、部屋に置いてあった椅子に腰掛けて、突然僕の手を握り「耐えるんだ!」という励ましの言葉を連呼しだす。

 何なんだよ、この状況は——!! と、混沌としてきた場のせいで頭の中がグチャグチャになってしまった僕のもとに、アイネさんが透き通った黄色の液体が並々と注がれている『ガラスジョッキ』を持って部屋に入ってきた。


「はあ、はあ」と額に大粒の汗を浮かべ、息を切らしながら部屋に入って来た彼女は、まるで産痛に耐えている僕をロンさんが励ましているかのような、超が付くほど意味不明な光景を目の当たりにする。それを『なんて深刻な状況なの!?』という風な目で見つめていた彼女は、突然「ロン、私に任せて」と透き通った声で叫んで、手に持っていたガラスジョッキに入っている黄色い謎の液体を、ベットの上で苦しんでいた僕の顔に浴びせた。強引すぎる飲ませ方をされて「ウぼあ!?」とベットで溺れかけてしまった僕は、何とか口に入ってきた『激甘な液体』を全て飲み込み、窒息を回避する。

 

「ゴホッ! ゲヘェッ! ブッ」


 僕は鼻奥まで無断侵入してきた『謎の激甘液体』を「ふん!」と勢いよく擤んで鼻中から追い出す。そして謎の液体を超強引に飲ませた結果「ゴボゴボゴボッ!?」と陸上で溺れかけてしまった僕が、事の犯人であるアイネさんの方を見上げると、彼女は悪意を一切感じさせない晴れの日の花のような『ニコニコ』とした笑みを浮かべていた。

 

「こ、これは……何ですか?」 


 まさかの『反省の色無し』というアイネさんは、やや天然っぽい雰囲気を場に漂わせており、そんな彼女に顔を引き攣らせてしまった僕は、恐る恐る『謎の激甘な液体』の正体について問いかける。顔中を粘度のある謎の液体でテカテカにした、悲惨とも言える僕の状態を見ても、全く悪びれた様子を見せない彼女は、透き通った美しい声音で僕の質問に答えた。


「これは、蜂蜜と砂糖と搾った果汁をたっぷり使った『今さっき作った』ジュースです。疲れている時には甘いものを摂ると良いと言うので、急いで用意しました」


 なるほど。急いで劇物——じゃなくて、栄養満点ジュースを作って来たからアイネさんは汗を掻いていたのか。というか彼女に無理やり飲まされたこれって、僕の苦手な物が詰まりに詰まったジュースだったのか。僕が激甘なこれを嘔吐きもせずにゴクゴクと飲めたってことは、それだけ体に栄養が足りていなかったという事なのだろう。そのことに気づいた僕は、自分が多大な迷惑を初対面の彼彼女にかけてしまったと思い、申し訳なさで目を伏せた。

 

「迷惑を掛けて、すいませんでした。アイネさん、ロンさん。倒れていた僕を見つけてくれて、助けてくれて——本当にありがとうございました」


 激痛で顔と声を歪ませながら上半身をベットから無理やり起こした僕は、そう謝罪の言葉を述べて、突然の謝罪に目を見開く二人の方を向き、深々と頭を下げた。


「そんなこと気にしないでくれよ、ソラ。初めましての僕が言うのも何だけどさ、君が無事に生きてくれていたことが、僕は嬉しいよ」

「ロンの言う通りです。ソラさんが無事で私も安心しました。こんなに『大変な時代』なんですから、人々が助け合うというのは当たり前のことですよ」


 僕が発した心からの謝罪に対し、二人は互いに目を見合わせた後「クスッ」と柔和な笑みを浮かべて、そう答えてくれた。そんな二人を表情を見て、柔らかい声を聞いて、人の優しさに触れた僕は目を薄らと涙で潤ませてしまう。それを人に見せるのは恥だと思った僕は、涙を外に漏れ出させないように服の袖で乱暴に目元を拭った。

 

 その後、僕はもう一度、アイネさんが悪意無く丹精込めて作ってきてくれた激甘甘なジュース——僕にとっての超劇物——が並々と注がれた大きなガラスジョッキを、躊躇うことなく『グイッ』と傾けて中身を一気に飲み干し、この屋敷で勤めているメイドの『マキネさん』が汗を掻きながらも急いで作ってきてくれた、湯気を立ち上らせる絶品の麦料理を平らげた。そしてアイネさんの一言で、高級そうな牛のステーキまで食べさせてもらった僕は、皆が出ていった部屋の中で汗に汚れた体を拭き、ベットに横たわる。

 

「…………」


 とても暖かい人の優しさで用意された沢山の食事を鱈腹食べた僕の身体からは、先程まで僕を絞め殺そうとしていた、全身にギチギチに絡みついていた『大蛇』が、その姿を完全に消し去ってしまっていた。何とか落ち着きを取り戻した今の僕の身体にあるのは、仰向けで横になっている身体にずっしりと伸し掛かる重い疲労感と、無意識に瞼を閉じてしまいそうになるほどの、凄まじい力を持った眠気だ。僕は眠りたくないのに。あの絶望の悪夢に魘されたくないのに。僕以上の力を持ったこの眠気に全く抗える気がしない。ああ、これは駄目だな。


 耐えられない——……

 

 僕の意識はここで暗転し、暗い暗い黒一色の海の中に全身を沈めていく。どうしようもない程に強力化した睡魔の手に引っ張られて、僕は海底へと引き摺り込まれていってしまった。この睡魔が疲弊し、僕の全身に力が戻ったのは、ロンさん達と出会ってから一日後——僕が眠りについてから『二十四時間以上』が経った頃のことだった。


           * * *


「や! 元気になったみたいだね、ソラ。安心したよ」

「ええ。丸一日眠っていましたし、もしこのまま……何て考えてしまって、私は気が気じゃありませんでした」


 ベットで上半身を起こしている僕にそう言うのは、山中で倒れ込んでいた僕を見つけてくれたロンさんと、昏睡状態だった僕が目を覚ますまで親身に介抱してくれていたというアイネさんだ。何でも、アイネさんは寝ている僕の開いていた口に、あの劇物を朝昼晩、欠かさずに流し込んでいたらしい。僕は無意識の間に『溺れ死に』そうになっていたのかと背筋をゾッとさせつつ、口の中に残っていた蜂蜜のネバネバと砂糖の甘味を、メイドのマキネさんに急いで用意してもらった水をガブ飲みして腹の底に流し去った。


 現在は山で倒れていた僕がロンさん達に保護されて村に来てから『二日目』の昼前。時刻は午前十時過ぎくらいだ。一日を丸々消費してようやく目を覚ますことができた僕が、ベットの横に置かれている椅子に座って、コクコクと首を揺らしながらうたた寝をしていたアイネさんに「おはようございます」と呼び掛けて——今に至るという訳だ。


「それじゃあ、ソラさん。準備が出来たら下に来てくださいね。しっかりとした食事を摂らないといけませんから」

「分かりました」 


 二人の恩人との軽い会話を終えた僕は、二人が出て行った部屋の中で、いつの間にか洗ってくれていた洗剤の良い香りがする綺麗な服に着替えを済ませる。そして久方振りに重りが取れた身体を柔軟体操で解し、準備万端な状態で部屋から出た。僕が扉を開けて屋敷の廊下に出ると、扉の正面にある窓辺のところに一人のメイドが立っていた。細い眼鏡を掛けた彼女は部屋から出て来た僕と視線を合わせると、メイド服特有のゆとりのあるロングスカートの両端を摘み上げて、膝を少し曲げる美麗な一礼を行った。その畏まったような礼に合わせて、僕は軽く会釈をする。

 

「おはようございます、マキネさん」

「おはようございます、ソラ様。ご無事で何よりですわ。さ、当主の『アエル様』がお待ちですので、こちらへ」


 僕は白と黒と灰色の混ざった普通の物と言えるメイド服を、まるで『ドレス』かのように美しく着こなしてしまっているメイドのマキネさんの後ろについて行き、何度か階段を降りて屋敷の一階に移動した。そして一階にある僕をこの屋敷に招いてくれた村長の『アエルさん』が待っているという、広い食堂へと入室した。

 その食堂に置かれている、長すぎる食卓を使うために備え付けられた豪奢な椅子には、何故か少しだけ暗い顔をしているアイネさんと、赤いマントを羽織った偉丈夫——流石に室内でマントは羽織っていないようだ——この屋敷の主人である村長のアエルさんの二人だけが腰掛けていた。

 ロンさんも食堂内に居るのだけど、食卓の上には彼の分の食事は用意されていないようで、扉横の壁際に一人で突っ立っていた。そんな彼の状況を不思議に思いつつ、僕は椅子から笑顔で立ち上がり、嬉しそうにこちらを見てくるアエルさんに向かって深々と腰を折り、今までの恩を感謝の言葉として真っ直ぐに伝える。


「あんな山の中で倒れ込んでいた僕を助けていただいて、見ず知らずの僕にベットや温かな食事まで用意してくれて、本当にありがとうございます。いつか必ず、この御恩はお返しします」


 僕は深く頭を下げて、心から感謝の言葉を口にする。それを真正面から聞いたアエルさんは目尻に皺を作り、口角を薄く上げて、顔に柔らかい笑みを作った。そして笑みのまま、椅子から立ち上がっていた彼は僕のもとまで歩いてきて『ポン』と肩に手を置き、落ち着き払った、大人という感じの低い声音を発した。


「お気になさらないで頂きたい。こんな時代なのですから人助けは当然の事でしょう。それに、ここは私の村なのですから、近くで人死には——ね?」

「ははは……お騒がせしてしまって、申し訳ないです」 


 冗談っぽく笑い掛けてきたアエルさんに空笑いを発した僕が顔を上げると、至近距離にアエルさんの顔があった。「うわっ!?」と驚愕で背中を反った僕は、何故か目を覗き込んでくるアエルさんに、な、何だ? と汗を掻きつつ、しばらくの間、目を逸らさずにじーっと視線を合わせる。すると、彼は再び『ニコッ』とした笑みを作り、マキネさんがいつの間にか用意していたマントを手に取って、服の肩部分にあるボタンに『パチン』と取り付けて食堂から出て行こうとする。食卓には彼の食べかけの料理が残っているのだけど、どこかへ出かけるのだろうか? 

  

「ソラ君。ここを君の実家だと思って、ゆっくりしていってください。では、私は用事を済ませてこなければいけないので。アイネ、留守番をしておきなさい」

「はい……」


 暗い顔をしているアイネさんに、冷え切ったような声音で留守番を言い渡したアエルさんは、態とらしくロンさんと目を合わせようとはせず、赤いマントをはためかせながら家から出て行ってしまう。彼が出て行った食堂には『しーん』とした静寂が流れてしまい、何か複雑な事情がありそうだな——と、僕は冷や汗を流した。居た堪れない空気を鼻から吸って吐く僕が、用意してくれている食事を摂っていいものかと悩んでいると、マキネさんは僕の悩みを察してくれたのか前に出てきて「食事をどうぞ」と、湯気を立ち上らせた温かな食事が用意されている食卓の方を手で指してくれた。そうして豪奢な椅子に腰掛けた僕は、目の前にある、焼き立てのパンと、ブロッコリーとジャガイモのスープを空っぽの胃の中に流し込むように一気に食した。

 

「ソラ」

「——? どうしました? ロンさん」

 

 ちょうど食事を摂り終えた僕に話しかけてきたのは、今まで彫像のように黙りこくっていたロンさんだ。彼は僕の調子が戻ったことを顔色で確認し、次の言葉を発した。


「元気になったなら、少しだけ『散歩』でもどうだい? よかったら、僕が村を案内するよ」

「ロンの言う通りね。ソラさんは一日中寝ていた訳だから、少しでも身体を動かした方がいいと思います」


 彼の申し出を僕が断る理由はない。なんせ食事を摂り終わったら村を知るために外に行こうと思っていたし、この村の住人であるロンさんが色々と案内してくれるなら、僕にとっては願ったり叶ったりだからな。


「じゃあ、ロンさん。案内の方をよろしくお願いします」

「ああ、任せてくれ」


 その後、僕は自分の食器の片付けを申し出て、困ったように「いえいえ」と断るマキネさんを無理やり手伝った。彼女は僕の強引な手伝いに苦笑していたが、器用に食器を洗っていく僕を見て「お上手でありますね」と褒めてくれて、素直な賞賛を贈られてしまった僕は嬉し恥ずかしで頬を染め「ははは」と照れ隠しの笑いを浮かべた。

 その照れ隠しを見て「くすくす」と笑っていたマキネさんの手伝いを終えた僕は、食堂で待っていてくれたロンさんと合流し、何故か悲しげな表情を浮かべているアイネさんに見送られながら、屋敷の外に出た。

 

「いってらっしゃい、ロン、ソラさん」

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