第56話 諦めた者に救いの手を

 四体の熊型魔獣を『約一分』で鏖殺してのけた僕は、獣臭い血に濡れた剣を地面に放り置き、腰に差していた剣の鞘で、ザッザッという音を鳴らしながら、体長が二メートル以上もある熊型魔獣の死骸を埋めるための、深くて広い穴を掘っていく。そうして僕が黙々と穴を掘っている最中に、魔獣の血肉の匂いを嗅ぎつけてきたのか、魔獣とは異なる通常の野生動物の群れが突如として僕の近くに現れ、穴掘りをする僕を警戒しながらも地面に転がしていた魔獣の血肉をクチャクチャと喰らい始めた。よっぽど空腹だったのか、一心不乱に魔獣肉を喰らっている動物達を休憩がてらに観察していた僕は、魔獣の肉なんて食べて大丈夫なのか? と心配しつつ、特に問題なさそうに食べている動物達を見て『魔族を殺してよかった』と少しだけ心が癒された気がして、無意識に微笑を浮かべてしまっていた。

 そんな食事を楽しんでいる動物達の邪魔をしないように、僕は休憩をやめて穴掘りを再開した。それから小一時間ほどで四体の死骸を埋められそうな穴を掘り終える。


「よしっ!」と、額に浮かんでいた玉のような汗をワイシャツの袖で拭った僕が、完成した穴に魔獣の死骸を埋めるために穴の底から跳躍して勢いよく飛び出ると、魔獣の死骸を何処かへと持って帰ろうとしている動物達の姿を見た。

 食事を終えた動物達は、急に穴から飛び出してきた僕の姿に驚き、噛み引っ張っていた魔獣の死骸を離して、ババッと距離を取る。そんな動物達の姿に僕は苦笑して「これじゃあ、持って帰れないよね?」と、中型犬と同じくらいの大きさをしている動物達が引き摺って持ち帰れるように、地面に転がしていた血濡れの剣を闇に染まった暗い眼差しで拾い上げ、過呼吸気味になりながら魔獣の死骸を丁度いい大きさに分断する。そして太い腕を四等分にしたそれを、僕の行動に期待の眼差しを向けていた動物達に放り与えた。


「……はっ…………ふぅ……ば……じ、じゃあね」

  

 僕が切り与えた肉片を口で咥え、この場から去ろうとしていた動物達に手を振って見送った僕は、張っていた糸が切れたかのように地面に腰を落とし、ビッショリと掻いてしまった汗をポタポタと顎と鼻先から下に落とす。そうしてしばらくの間、座った状態で浅くなってしまっていた息を深呼吸で整えた僕は立ち上がり、剣に付着していた血を水で流してから、地面に置いていたバックを背負って北へと向かって歩き出した。


 移動を再開してから七時間後。午後十一時を過ぎたくらいの時間帯に僕は移動を中断し、昨日と同じように開けた場所で焚き火を焚いて、体の芯を凍えさせる、冷気が満ちる樹海の夜を凌ぐ。食事の必要は感じなかったので、今日の夜食は抜きだ。昼の内に飲みためておいたから水を飲む必要もないし、今夜はこのまま焚き火の前で膝を抱えて、朝が来るのを待つだけだな。

 

「…………」


 パチパチと音を鳴らす焚き火の炎を、僕は膝を抱えた格好でボーッと眺める。そんな何も考えていなさそうな僕の頭の中では、あの日の映像が匂いを感じ取れてしまうほど鮮明に流れていた。

 

 命が流れ落ちた香りが僕の鼻腔を強く刺激し、目の奥で真っ赤な血の絨毯が床の上に広げられる。その絨毯を作っているのは、断面から鮮血を噴き出す猫の尾だ。その猫の尾を友の肉体から斬断したのだろう血に濡れた斧は、目を塞ぎたくなるほどの嫌な光を発している。それを目を抉じ開けて直視している『恐怖から逃げ続けた』滑稽な人間は、その絨毯の上に汚物を吐き出し、「嫌だ嫌だ」と頭を抱えて蹲るという映像が——あの日から、僕の頭の中で定期的に流れ続けているのだ。その映像を目を抉じ開けられているかのように見させられている僕は、奥歯をカチカチと鳴らして膝を奥まで抱え込み、「はあ、はあ、はあ」という荒い息を吐きながら長すぎる夜を耐え忍ぶ。恐らくこれが、友を見捨ててしまった愚かな僕に与えられた『罰』なのだろうと、僕は思っている。身を震わせそうになるほどに寒い夜に一人、息を小刻みに震わせて、奥歯を鳴らしながら膝を抱える僕は絶望したような表情で、温もりを与えてくれる太陽が起きてくるのを一睡もせずに待つ。

 

 あの日から二週間——一日に三十分も眠れない生活を続けている僕にとって、睡眠とは自ら悪夢に魘されに行くような恐ろしいものであり、そんな恐怖と絶望に満ちる夢の中に僕一人で行くことなど、今も尚、恐怖から『逃げ続けている』弱過ぎる僕には到底できる行為ではなかった。


 こうしてまた、僕は『目を閉じて開ける』を繰り返すだけの、ひたすらに闇が広がった虚無が満ちる夜を越す。


          * * *


「行くか……」 


 日の出と共に目を開けて、怯えたように膝を抱き抱えていた僕は地面から立ち上がる。そして昨日と同じように焚き火をするために掘っていた窪みを土で埋めてから、北に聳える灰色の高山を目指して移動を再開した。目の下に隈ができてしまっていることに気が付かない僕は、時折現れる木漏れ日に目を窄めながら、二日ほど歩いているにも関わらず、今だ果てなく続いている樹海の中を歩んでいく。

 

「……」 

 

 下り坂になっている道を滑り転けないよう足腰に力を入れながら歩み、目の前に突如として現れた大きな崖を剣を使ってよじ登る。濁流と言っていいくらい水の流れが強い大河が道を分かっていれば、川から少しだけ顔を出していた岩の上を軽く飛んで進んだ。日が落ちて闇が満ちれば開けた場所で焚き火に当たりながら休み、日が昇って闇が晴れれば北を目指して歩き出す。草をかき分けて進む僕の血肉を狙ってきた魔獣どもは、陽光を反射する煌く剣で胴体を斬断し、頭蓋を拳撃で砕き割り、蹴りで首の骨を折って鏖殺の限りを尽くした。


 そして、どこまでも続いていた広大すぎる樹海を『四日間』掛けて通り抜けた僕は、乾燥して罅割れてしまっている唇を微動だにさせない無言のまま、たった一人で何もない大草原を歩く。

 今日の深夜くらいには仮のゴール地点である、灰色の葉を生い茂らせた無数の木々が山肌を覆い尽くす、ゴルゴン金山並みの標高を誇っている『高山』に立ち入れるだろう。


「…………」

 

 僕は自分が息を切らしていることに気付かず。足取りがフラフラと覚束無くなっていることに気付かず。霞んでいる視界を何とも思わずに手で擦りながら、一歩、二歩と何とか地を蹴る。青白いを通り越して真っ白な顔色をしながら黙々と土を踏み歩く僕の姿は、側から見れば『生きる屍』のようであった。僕の体力はとうに尽きている。僕の心労は既に限界を超えてしまっている。しかし、そんな瑣末なことに僕は気づくことはない。北へ北へ、僕が決めた仮のゴールへと進んで行く。何故あの山に向かって進むのかって? そんなこと僕は知らない。僕はただ、魔族を殺したかっただけだから。この辺にいる魔族が、あの村を乗っ取っていただろうイカ魔族達とは関係がないにしても、所詮魔族は魔族だ。アイツらが同じ神である『魔神』に創られた存在だというのなら、どれも同じに決まっている。

 

 だから殺す。魔族は殺す。魔族が人語を喋ろうが知ったこっちゃない。

 魔族は危険だ。危険極まりない存在で間違いがない。

 だから人に危害が加わる前に——僕が殺さないと。 

 そのはずなのに、魔族を殺さなきゃいけないのに……。 


「………………」


 視界がボヤけているせいで目の前が見えない。足が覚束無いせいで前に進めない。息が切れているせいで身体が締め付けられているように苦しい。これは限界まで蓄積された疲労のせいなのだと僕の頭は真っ赤な警告を繰り返しているような気がする。そりゃそうだ二週間以上しっかりと眠れていないのだから疲れて当たり前のはずなんだけどな。よく分からないけれど、理由は分からないけれど、僕は全く疲れを感じていないんだよ。疲れるどころか『心地が良い』んだよ。とてもとても心地が良いんだ。そのおかげかな、僕は久しぶりに笑っているような気がするよ。


 誰も居ない深い深い山の片隅——そこに居るのは僕一人だけ。とても暗くて、とても静かで、とても落ち着ける僕だけの世界。まるで幸せで編まれた毛布に直接包み込まれているかのように、僕の心は不安から切り離されていた。笑みを浮かべていた僕は幸せが満ちる心のおかげで、張り詰めて糸を切らす。すると、僕はいつの間にか地面に横になってしまっていた。遠くで獣の遠吠えが聞こえたような気がするけれど、何かの足音が近づいてきている気がするけれど、そんな些細な事を今は気にする必要ない。今はもう、このまま起き上がりたくないんだよ。剣を振る体力なんて残っていないから、僕は自力で起き上がることができないよ。もう僕には、どうすることもできないからさ。もういいんだ。今はすごく眠いから、全部目を覚ましてからでいいよね。


 もう全てを諦めて、このまま眠りに落ちていたいよ。

 もう全てを諦めて、何もかもを忘れていたいよ。

 あぁ……心地良い。今の僕はとても幸せだから。


 だから、もう——ずっとこのままで……


 






「——! 君、大丈夫か!?」


「————」


 まさかこんな場所に『誰かが助けに来る』なんて微塵も思ってもいなかった僕は、駆けつける複数の足音と突然の呼び掛けを受けて、底なしの暗闇に沈みかけていた意識の急浮上を余儀無くされてしまった。無意識に滂沱の涙を流してしまっていた僕は目を見開き、地面に膝をついて地に臥していた僕を支え起こした『誰か』の方に視線を向ける。


「………………だ、れ?」


 ボヤける僕の視界に何とか映し出されたのは、藍色の髪と目をしたガタイのいい好青年と言えそうな人物。彼は僕に意識があることが分かると、緊張していた面持ちを柔らかくし、顔にサッパリとした気持ちのいい笑顔を浮かべた。


「おーい! 人が倒れてる! 意識はあるぞ!!」


 疲労困憊で横たわっていた僕を見て、人を呼ぶ叫び声を上げたのは野太い声的に中年くらいの男性だ。彼の叫びに呼応するように、複数の足音が僕達のもとに近づいてくる。


「大丈夫かい? 怪我は……なさそうだね。あぁ、僕はロン。よろしくね。吃驚したよ、僕達が住んでいる『村』の近くに人が倒れているなんてさ」


 ロンと名乗った青年は僕の背を片手で支え、横たわっていた上半身を起こさせる。意識を朦朧とさせていた僕が何とか首を動かして辺りを見回すと、火を灯した松明を持つ、呼び声を聞いた人達が次々と僕のもとに集まってきた。


「何やってんだぁ、こんなところでよ」

「よく魔獣に襲われなかったな、運のいいガキだ」

「ほら、これを飲んで。ほら!」


 僕は背を支えてくれているロンさんに無理やり水筒の水を飲まされて「ゴホッ、ゲホッ!」と大きく咳き込んでしまう。しかし、水を飲んだおかげで僕の意識は少しだけ回復し、前が見えないくらいボヤけてしまっていた視界がハッキリと見えるようになった。


「な、何でこんなところに、人が……?」

「こんなとこって、俺達が聞きてえよ」


 僕の混乱した口ぶりに、人を呼んだ中年の男性が冷静にツッコム。ここに来るまで人とすれ違う事なく進んできたにも関わらず、まさか僕は最初に決めていた仮のゴール地点が人里近くにあっただったなんて……。一体どんな奇跡が起きたらそうなるんだ。


「君、大丈夫かい?」


 上半身を起こして座った状態になっている僕の目前で腰を折り、そう話しかけてきたのは赤色のマントを羽織った偉丈夫。失礼かもしれないけれど周りの人達とは違って気品のようなものを感じられる出立ちをしている。


「……あ……だ、大丈夫、です……」


 僕の体調を心から心配してくれているのだろう真摯な目を向けてくるマントを羽織った男性に、僕は俯きながら辛うじて返事をする。そんな僕を見た彼は、何かを考えているかのように一瞬だけ動きを止めた後、立ち上がって周りにいる人達に声を発した。


「私の屋敷に運びなさい。彼を見捨てることはできない」

「へえへえ了解ですよっと。ロン! そいつは頼んだぜ」


 彼の言葉を聞いた彼等は何かやる事があったのか、周りから散り散りになって去っていく。そして動けない僕を、マントの男性の屋敷まで運ぶことになってしまったロンさんは「分かりました。あ、君——名前は?」と、僕の名を聞いてきた。そんな彼に、僕は声を掠れさせながら名乗る。


「そ、ソラ…………」

「そうか、ソラって言うんだね。立てるかい? ソラ。僕達の村まで行こうか」

「は、はぃ」


 僕よりも背の高いロンさんは、少しだけ背を曲げて肩を貸してくれた。僕はそんな彼の肩に体重を掛けて、足をもつれさせながらも何とか立ち上がる。


「私達は見回りに戻る。ロン、彼は客人だ。アイネにもそう言いつけておきなさい」

「分かりました、村長」


 そう言って、村長と呼ばれた偉丈夫は赤色のマントをはためかせながら、火を灯した松明片手に魔獣がいるに違いない森の奥へと歩んで行った。そんな彼の背中を見ていた僕は視線を切り、ロンに肩を支えられながら前を向き歩く。

 そのまま十数分ほど北へ、山を登るように歩いていくと、人々の生活光が見えてきた。それに目を剥いた僕は、驚愕を口から漏らす。


「こ、こんな近くにあったの……?」

「ん? 気付かなかったのかい?」

「う、うん……」

「……そうか。無事でよかったよ」


 不思議そうな表情で僕の顔を見るロンさんは、眉尻を下げる僕の『言いづらい』という心中を察したのか、何一つ僕の事情を詮索することはなかった。僕は、僕のことを何も聞かないでほしいと思っていたから、彼の対応はすごくありがたかったし、気を使わせてしまって申し訳なく思った。

 

 そして僕が思っていたよりも広かった村の中に入ると、ゆっくりと歩む僕達のもとに、大きな屋敷が見える方角からクリーム色をしたロングヘアー女性が豊満な胸を上下に揺らしながら駆けつけてきた。


「ロン! その人が倒れていた人なの!?」

「そうだよ、アイネ。早く彼のために食事を用意してあげなきゃいけない」

「食事はマキネが用意している最中だから安心して!」


 額に玉のような汗を掻いてしまっている声が美しく透き通った、アイネと呼ばれた女性は、ロンが支えている右肩とは逆を肩を体を密着させるように抱き支えてくれた。そうして、自力では動かせないくらい重くなっていた身体に、親密そうな間柄の二人の男女の力が加わったおかげで、僕は彼女が走ってきた方角にある屋敷——村長の邸宅へと歩いて向かうことができたのだった。

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