歌の国『オルカストラ』編

第55話 歌の国での初戦闘

「……」


 ハザマの国とオルカストラの国境線上に建っている関所の門を通り終えた僕は、通ってきた門の方へと振り返り、僕を招き入れるように開かれていた人用の門が、ゴゴゴという音を鳴らして完全に閉まり切ったことを確認した。

 そして、恩人の気配が消えたことを感じ取った僕は『ピリッ』と身の回りに煮え滾る殺意を漏れさせながら真っ直ぐ前を向き、歌の国『オルカストラ』の大地を一望する。空を睨んでいるかのような目付きをする僕の視界には、ハザマの国に入国した時の『山山山』という圧巻の光景とは真逆で、息を呑むほどに美しく整えられた、裸足で走りたくなるような薄緑が敷き詰められた大平原が広がっていた。遥か遠くに標高の高そうな山が幾つか見えているものの、ハザマの国とは違った山々に囲まれていない景色を数ヶ月ぶりに見て、僕は少しだけ解放感を感じてしまった。

 以前の僕なら、一度、平原を寝転がってから行き先を決めていただろうが、今は『気を抜く』ようなことをする気は一切無い。だから、僕は遠くに向けていた視線を目を閉じるように切り、ハザマの国から入国してきた、輸出品を乗せた商車が走って向かう方角とは『別の方角』を向いて、そちらの方へと歩き出した。

 僕が今から向かうと決めたのは、北西の方角にある国境線の近くからでも見えるくらい標高の高い灰色の山だ。

 僕はそこを仮のゴールとして、その道中で見つけた魔族を、僕に襲い掛かってきた魔族を全て狩り殺す。僕は、ただただ殺したい。友を殺した魔族を、この世から消し去ってしまいたい。この手で一匹残らず皆殺しにしてやりたい。

 

 だから、僕は前に進む。


「…………絶対に殺してやる」


 人が歩む道とは違う、血に染まった荊の道を歩んででも——

 

          * *      

 

 昼前に国境を越えてから、北西に向かって歩くこと半日。

 今だに目指している標高の高い灰色の山は視界の遥か遠くにあるものの、僕が今も歩いている道は既に人や馬車が通るものではなくなってしまっている。人の手入れがされていない広大な平原には、腰の辺りまで伸びたサラサラとした雑草が生い茂っており、その草むらを両手で掻き分けながら、空にある大きな月が発している、煌々とした月光が照らす自然の中を僕は歩み進んでいた。


 今の時間は僕の体内時計的に深夜の十二時くらいだろう。

 もう夜が更けてしまったし、そろそろ休息を取りたいんだけど、流石にこの燃えやすそうな草むらの所で焚き火を炊くことなんてできないし、もう少し歩いて、この先に見えている樹海の中に行くことにしよう。そこで焚き火が延焼しなさそうな場所を見つけて、そこで夜を明かそうかな。

 そう決めた僕は歩く速度を一段上げて、視界の先に広がっている樹海の方へと向かう。

 

 それから三十分ほどで視界の先で大きく広がっていた樹海の中に立ち入った僕は、背の高い木々の間を縫いながら吹いてくる風に乗ってきた、薄らとした魔族の気配を肌で感じ取った。それに対して目をスッと細めた僕は、身体の芯まで冷やつきそうになる夏夜の冷気を防ぐため、着ているコートの前を閉め切る。そして視界を阻害する夜の暗闇が満ち満ちた樹海の中を歩み始めた。

 一歩二歩と恐れなく暗中を進む僕の目には一切の油断が無い。僕は左側の腰に差されている鏡面剣の柄を、いつでも抜剣できるように手を当てながら、ザッザッという草や枝木を踏む音を聞き続ける。


「……この辺で休むか」


 天から降る月光を、立ち並ぶ木々が阻んでいるせいで、先を全く見通すことができない樹海の中を歩いていた僕は、木々の開けた広い場所を見つけ、この場で火を焚いて凍えるような夜を越すことに決めた。

「よし」と、背負っていたバックを地面に置いた僕は、焚き火を作る場所の地面に敷き詰められている枯れ葉に、焚き火の火が延焼しないよう、足を使って葉を掃いていく。こういう時に器用に微風が使えれば良いのだけれど、心が煮え滾っている今の僕が、風を弱々しくコントロールできるような自信はないし、もし僕が下手をして、この辺の木々を吹き飛ばしたら取り返しがつかなくなってしまうから、こういう手間暇は僕が未熟ということで、仕方がない労働だと思う。 

 

「よし……」


 枯れ葉をあらかた掃き終えた僕は、拾い集めておいた枝木を掘った窪みの中に並べていき、コートのポケットから取り出した火の魔道具で、窪みに入れた数枚の枯れ葉に火を着ける。パチパチという音を鳴らしながら、見る見るうちに燃え盛っていく火を認めた僕は、ドスっと地面に腰を下ろした。

 半日ぶりに休息を取った僕は警戒を解くことなく「ふぅ……」と息を吐き、バックの側面にぶら下げられていた鉄の小鍋を手に取って、それに水を入れてから周りを照らすほどに大きくなった焚き火の火に当てる。そしてグツグツと水が沸騰してきたら、熱々の鍋の中に買っておいた米を少し入れて蓋を閉める。そうしてしばらくの間、煮込ませたら——炊きたての白米の完成だ。その白米の上に前に買っておいた梅干しっていう米と合う惣菜を乗っけてと……。


「いただきます」


 僕は震えるほどの寒さをする樹海の中でホカホカとした湯気を昇らせる白米を食べて、怒りと殺意を糧とする炎で荒んでいた心を少しだけ癒やし、気分を落ち着かせた。

 

 それからは焚き火の炎が消えてしまわないように定期的に目を開けては枝木を焚べて、再び十数分ほど目を瞑るという行為を繰り返した。そんな逆に疲れてしまいそうな小まめな事を僕は繰り返していたけれど、意外と移動の疲れを取ることはできた。

 僕がこんな人気のない所を進んでいた目的である『魔獣狩り』の方はてんで駄目で、何かしらの視線は目を閉じている間に都度感じていたのだが、僕の警戒と目的を感づいているのか、その視線の主達が近づいてくることは朝が来てもなかった。


「行くか」


 僕は焚き火を行うために掘っていた地面の窪みを土で埋めて、この場から立ち去るための後始末を済ませる。 

 昨日の晩に余分に炊いていた冷えた白米と梅干しを平らげ、水筒の水を飲んでから、僕は北の方へと出発した。

 

「……五日くらいかな」


 遠くに見えている僕が決めた仮のゴール地点である、標高の高い灰色の山のある場所と僕の現在地との距離を目測し、到着まで徒歩で五日は掛かるだろうと僕は結論付けた。

 手持ちの米は六日は持つだろうし、梅干しは平たい小瓶に一杯に入っているから、食料の方は心配いらなそうだな。

 あとは水なんだけど……水筒の残りは四分の一くらいか。

 これだけの量があるなら緊急の問題はないな。先に進んでいけば小川があるだろうし、そこで汲めばいいだけだ。

 そう思考を纏め終えた僕は、昨日よりも速い足取りで樹海の奥へと進んでいく。


「……!」


 出発してから五時間ほどが経った頃に『ザァー』という川のせせらぎの音を目敏く耳に入れた僕は、その音が鳴る方へと駆け足で向かい、ようやく見つけることができた小川で水筒一杯に水を汲んだ。そしてその小川で顔と頭を洗い、濡らし絞った布で汗を掻いていた体を拭く。


「ふぅ……」

  

 汗で汚れた身体を拭き清めてスッキリした僕は、小川を流れる透き通った水に口を当て、数日間は水分補給なしで動けるよう「ゴクゴク」と喉を鳴らしながら水を飲み溜める。そして十分な水分補給を終え、空になっていた水筒に水の補充を済ませたので、もうこの小川に用はなく、立ち上がった僕はその場から早々に出発した。


 小川を発ってから四時間後。体内時計の短針が三を指している昼過ぎの時間帯に、突然現れた、今まで待ち侘びていた『あるもの』を肌で感じ取った僕は、警戒で眉間に皺を寄せつつも、我慢できないとばかりに狂気的な笑みを浮かべて、ピタッと立ち止まった。


「……見てるな」

 

 コートの前を閉め切った防寒をしていると言える格好をした僕の『肌を直接突き刺してくる』ような複数の鋭い視線を一身に受け止めていた僕は、不敵な笑みを浮かべながら腰に差していた鏡面剣の柄を利き手で握り、臨戦の構えを取る。そして僕の血肉を狙っているのだろう視線の主達を、直立した状態で誘い待っていた僕のもとに、視線の主達——既視感を感じさせる、体長が二メートル以上はあるだろう四体の『熊型魔獣』が、ガサガサと枯れ葉を踏み鳴らしながら近づいて来た。


『『『『ゴルルルルル……』』』』


 熊型魔獣達は余程腹を空かせているのか、開かれた大きな口の両端から膨大な量の涎を垂らしている。

 人の血肉を汚く喰い貪ろうという確固たる意思を宿す眼光と、生物に死の恐怖を与えさせる強力な爪牙を認めた僕は、ビキッと額に筋を浮かばせて、目に殺意を宿しながら、グッと柄を握っていた鏡面剣を勢いよく抜剣する。  

 そして——僕は全身を炙ってしまうような煮えたぎる殺意を、魔族への恨みを周囲に発散させながら口を開いた。


「来いよ、魔獣ども……!」


『……ッ!!』


 僕の言葉が契機となったかのように、一人の人間と四体の魔獣はその意思を一つにした。我こそが敵の命を屠りさるという理性の伴っていない純たる獣の意思を——!

 場に流れていたひりつくような空気は、僕がグッと腰を落としたのと同時に、糸が切れたかのように空気が霧散したその瞬間、獣に落ちた人間と純然たる獣である魔獣が真っ向から打つ狩り合う!! 


「『『『『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」』』』』


 僕の四方を囲むようにしていた魔獣達は雄叫びと同時に突撃攻撃を繰り出し、矮小な人間である僕を圧殺しようとする。しかしその暴力的な攻撃に対して僕は一切怯むことなく、視界前方から突撃してくる一体の熊魔獣に向かって、僕は地を蹴った。力で負けているだろう人間が真正面から向かって来たことに目を向いた『僕の獲物』は、このまま勢いを殺さずに打つかって僕を轢き殺すことに決める。しかしその行動を魔獣は一瞬で後悔した。それは奴の攻撃を読み切った僕が向けている、血に濡れたような殺意を宿す目を見たからで——


「グゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼︎」


 僕が叫びと共に繰り出した攻撃は、真正面からの剣突だった。ボウッという空気を叩く凄まじい音を鳴らすそれを、正面から突撃していた熊魔獣が避けることは叶わず、正確に突き狙われた眉間に、その剣突は直撃する——!! 


『ゴッ!? オ——……」

 

 その剣突の凄まじい威力を持って、一体の熊型魔獣は分厚い頭蓋ごと頭を貫かれて即死した!!

 そして仲間の『即死』を直視した魔獣達が恐怖で突撃を中断したことを背で感じ取った僕は、勢いよく頭蓋から剣を引き抜き、自身との距離が一番近かった魔獣に狙いを定めた。殺意を全開にする僕の凄まじい速さの肉薄を受けて、反射で背を反らしてしまった魔獣は、まるで死の恐怖を誤魔化かのように喉奥から叫声を上げる。

 

『ゴアアアアアアルルルル!!』

 

 二メートルはある巨体は、瞬く間に肉薄した僕にとってはただの的であり、僕は怒りに身を任せつつも冷静に熊が繰り出す巨腕の大振りを回避。そしてガラ空きになっている広い腹部に強烈な拳撃をめり込ませた。ドグゥッ——という重低音を腹部から響かせた魔獣は口から唾を飛ばし、大きく背から地面に倒れ込んでしまう。その倒れる動きに合わせた僕は、下まで降りてきた来た頭に向かって、再び超速の剣突を繰り出す。 


『ガァッ!? アァ……——』


 一体目のように剣で頭蓋を貫かれた熊魔獣は、体をビクビクッと跳ねさせた後、白目を向いて絶命した。

 仲間であった、地に転がる二体の魔獣を『速さ』で圧倒して殺害してのけた、血濡れの剣を頭蓋から引き抜く僕に対して目を剥いた魔獣達は、自身が仲間と同じく『殺される』ことを悟る。しかし、大自然を死なずに生き抜いてきた純然たる獣に『諦め』という概念は存在せず、死の直感という恐怖を喰らい、その身の糧としたように雄叫びを上げた魔獣達は、無言で二体の動きを見ていた僕に向かって再び突撃してくる。

 

『『ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』』

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 熊型魔獣の暴力を乗せた突撃に対し、真っ向から挑む僕の背中は、育った村から旅立った時の頼りないものから一変している。殺意に濡れる視線が打つかり合う中を、凄まじい速さで駆け回る僕の動きは、常人の域を優に超えてしまっていた。僕は一体の魔獣の突撃を身体を地に這わせることで回避し、時間差で来たもう一体の魔獣は、その突撃に合わせるように僕が後ろの方へ走りながら、僕を追いかけてくる魔獣に真っ向から斬り掛かる。


「フゥッ!!」

『ガッ! グアッ!? ゴアアアアアアアアアアア!!』


 上段下段、袈裟斬り——幾つもの煌めく斬閃を、僕を噛み砕くために向かって来ていた魔獣に正面から食らわせる。ズタズタに斬り裂かれていく顔面に手を当てて痛がる魔獣を見て『笑みを向けた』僕は止めとばかりに、横薙ぎの斬撃で魔獣の首を深く切り裂いた。そして僕は凄まじい勢いで斬痕から噴き出す、汚い獣の血飛沫を浴びることなく『最後の一体』へと肉薄する。


『ゴルゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』


「——五月蝿えよ、塵が」

 

 僕は汚い叫声を最後の魔獣にそう吐き捨てる。そして身体を勢いよく捻って繰り出す『回転斬り』で、魔獣の太い首をあっさりと斬り落とした——

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