第59話 狩人

 魔獣騒動があった日の夜。僕は用事を済ませて帰ってきたアエルさんの謎に熱烈な勧めで、今日も屋敷に泊めてもらえることになった。僕は行く当てもなかったし、一人で村の外に出ていったら魔獣を殺すためだけに追いかけ回して、先日みたいに疲労困憊で倒れるまで暴走してしまいそうな気がしていたから、ありがたくその勧めを受け入れた。彼の歓迎の言葉を聞いていたマキネさんは顔色一つ変えない相変わらずの様子だったけど、アイネさんは僕の宿泊に何か思うところがあるのか、暗い影が差そうとしていた表情を無理やり作った笑みで隠しているような、ぎこちなさを感じさせる様子だった。そりゃそうかもな。昨日今日に出会った、たいして事情の分からない異性が自宅に泊まるんだから、ロンという愛し合っている恋人がいる女性として何か思うところがあるに違いない。そう納得した僕は、宿泊中、アイネさんに近付きすぎないようにしようと心掛け、マキネさん特製の美味しい薬膳料理を食し、沸かしたての熱い湯に浸かって身体に溜まっていた疲れを癒やした。そして貸してもらった空き部屋に戻り、フカフカのベットの上に横たわって、眠りに恐怖を感じてしまっている僕は今晩は眠ることなく、そっと瞼を閉じて時が過ぎるのを待つ——


 翌日。僕は朝の日の出と共に起床し、早々に着替えを済ませて部屋を出る。そして顔を洗うなどの軽い身支度を終えた僕は、朝食の準備をしているマキネさんの手伝いを強引に始めた。まあ『手伝い』と言っても、マキネさんが振る舞う洒落た料理店で出てくるようなプロ級の料理を僕が作ることは逆立ちしてもできないので、食卓の上の埃を布巾で拭き払ったり、出来立ての料理がよそられた食器を食卓に並べたりするくらいだったのだが。そんな子供がするような手伝いを、厨房と食堂を行ったり来たりしながらこなす僕のことをマキネさんは馬鹿にすることなく「ありがとうございます、ソラ様」と、優しさを溢れさせた柔らかい笑みを向けてくれた。そんな気分のいい朝を過ごすこと小一時間。朝の七時くらいにアエルさんが食堂にやって来て黙々と上座に座し、その数分後、マキネさんが起こしに行っていたアイネさんが長食卓の中央——アエルさんから見て右手に座った。そして客人として屋敷に宿泊させてもらっている僕は、アイネさんの対面に置いてある椅子に腰掛ける。全員が食事の準備を済ませたことを確認したアエルさんは、一度頷いてから口を開いた。


「今日も温かな食事を摂れることに——感謝を」 

  

 厳かな物言いで食事に対する『感謝』を口にしたアエルさんは、何かに祈るように両手を編むように組み、彼に合わせるように、アイネさんやアエルさんの側で立っているマキネさんも信徒のように両手を組んで祈りを捧げ始める。

 完全な無宗教の僕は、彼等彼女等の祈りを見てどうすればいいのかが分からず、取り繕うように彼らの真似を始めた。そんな、焦って皆の真似をしだした僕の不恰好な姿を薄目で見ていたのか、アイネさんが「クスッ」と我慢できなかったかのように鼻で笑う。その笑いは周りの人にも伝播してしまったようで、マキネさんは笑うのを必死に我慢しているのか、真っ赤な顔でプルプルと震えており、アエルさんは厳かな雰囲気を崩して苦笑するように口を弧にした。

 そして、アエルさんは僕が待っていた言葉を口にする。


「それでは、いただきます」

「「いただきます」」

 

 その言葉を言い終えた僕達は、一斉に朝の食事を始めた。

 食卓に置かれている皿に盛られた食事は、両面に焼き色の付いた食パンが数枚に葉野菜を千切った物の上にハムを乗せたサラダ、それと牛乳で煮たカボチャのスープ。

 朝から手が込んでるなぁ——と感心しつつ、僕は手に持った食パンに雑にバターを塗っていく。対面に座っているアイネさんは、果実を擦り潰した物を砂糖漬けにしたのだろう赤色のジャムをたっぷりと塗ってから小さな口で齧り付き、アエルさんは一口分に千切った食パンをカボチャのスープに漬けて食べるなど、各々で食事に個性が出ていた。 そうして美味すぎる食事に舌鼓を打ち終えて満足した僕は、先に食事を終えていたアエルさんに声を掛けられた。

     

「ソラさんは狩りなどは為されるのですかな?」

「狩りですか? えっと、野生動物の狩りはしないです」

「いえいえ、私が言っているのは野生動物ではなく『魔獣狩り』のことですよ」

「あ、あぁ……えっとぉ」


 僕が「魔獣狩りをしたりするのか」と言われても、ひたすらにアイリ村がある——保護されるまでアイリ村があるとは知らなかった——高山を目指して、広大な樹海を突っ切って行った理由がまさにそれだったんだよな……。でも、これを正直に他人に言っていいものなのだろうか? 

「魔族を殺すためだけに、この山を目指していたら疲れて動けなくなりました!!」なんて命知らずが過ぎるしな。

 腹の探り合いに長けてそうな貴族っぽいアエルさんに僕なんかが誤魔化しをしても普通に怪訝がられそうだし、嘘は言わない形で、少し『濁して』伝えることにしよう。


「えっと、まあ……魔獣狩りはしてましたね」

「やはりそうでしたか! どうでしょう? 昼過ぎぐらいに私と狩りに行きませんかな?」

「ま、魔獣をですか?」

「ええ、その通り」


 僕は微笑しているアエルさんから魔獣狩りの誘いを受けて、それを承諾するかどうかを決定するために口を閉じて思慮する。ぶっちゃけ、魔獣狩りを僕が断る理由は無いんだよな。あれだけ暴走して、自力で動けなくなって他人に迷惑を掛けたにも関わらず、僕は今でも魔族を地の果てまで追いかけ回して、この手で殺害したいと思っている。もし今の『殺意煮え滾る』精神状態のまま、僕一人で魔獣狩り何かを始めたら再び暴走しそうな気がするけれど、この狩りは僕がアエルさんに同行する形になるのだろうし、それなら暴走の可能性は低いだろうから、大丈夫な気がするな。

 そう思考を纏めた僕は、椅子に腰掛けたまま返答を待っていたアエルさんに承諾の意を伝える。


「じゃあ、同行させてもらいます」

「決まりですな。では、昼食を摂り終えたら樹海の方へ出発しましょう。私は他の者にも声を掛けてきますので」

「分かりました」


 僕の承諾を聞き、ニコッと目尻に皺を作った彼は、マキネさんが手に持って用意していた赤いマントを肩に取り付け、魔獣狩りに同行する誰かを求めて屋敷から出て行った。

 

「ソラ様は、アエル様に気に入られているようですね」


 そう言ってきたのは、玄関先で屋敷の主人であるアエルさんを見送っていたマキネさんだ。細ぶち眼鏡を指先でクイっと持ち上げた彼女は、隣で一緒に見送りをしていた僕の方を見て「クスクス」と笑った。アエルさんに「気に入られている」と、微笑む彼女に言われた当の僕は、彼に気に入られるようなことしたのか? と思い、首を傾げた。


「何で気に入られてるんですかね?」


 僕は率直な疑問をマキネさんに問い掛けた。僕の問いを受けた彼女は再度「クスリ」と笑い、僕の疑問に答える。


「ソラ様が屋敷に担ぎ込まれた後、丸一日眠っていた日がありましたよね? 貴方が昏睡している間、貴方が持っていた剣をアエル様は見てしまわれたようなのです。恐らくですが、ソラ様が気に入られた理由はそれだと思います」

「んん……?」


 僕の鏡面剣を見て僕のことを気に入ったって、一体どういうことなんだろう? もしかして鏡面剣のことを気に入ったとか——そんなわけないか。アエルさんからして見たら、三万ルーレンの剣なんて安物でしかないだろうしな。

  

「どういうことなんですかね?」


 その言に納得しきれていない僕の追及を受けて、マキネさんは自身が考え付いている答えを口にする。


「アエル様は、ソラ様を『凄腕の狩人』と見込んでいるのではないでしょうか?」

「か、狩人……?」


 ヒョロヒョロで田舎臭い格好の僕を見て、どこをどう考えたら『狩人』なんて大層な答えが出てくるのだろうか?


「だって、魔獣を狩ってここまでいらしたんでしょう?」

「………………へ?」


 突然の狙撃に不意を突かれた僕は、彼女の口から放たれた矢が眉間に直撃し、ついつい間抜けな声を出してしまう。自身の素性を隠していた気になっていた、ソラという名をした阿呆な珍獣の、隙だらけな眉間を完璧に貫いた凄腕狩人のマキネさんは、焦りで視線を右往左往させる僕を見て、堪えられないとばかりに「あはは」と笑い声を上げた。今の今まで『山の中で倒れてた理由』は隠していたつもりだったんだけど、もしかしてバレバレだったのか……?


「な、なんで知ってるんですか……?」

「おや、当てずっぽうだったんですが——図星でしたか」

「うっ……!」


 カ、カマをかけられてたのか……。美しい軌跡を作りながら飛翔する矢で眉間を射抜かれて、モノの見事に言葉の罠にも嵌められて。これじゃあ、どっちが狩人なのか分からないじゃないか。まあ、僕が狩人ではないのは確かなのだが。僕はひた隠していた、誰にも知られたくなかった『狂行』を凄腕狩人に勘取られ、ガクリと首を折った。そして観念したように、勝利の笑みを浮かべる彼女に向けて敗北宣言を行う。

 

「ま、参りました……」

「ふふふ。……ところで、なぜ倒れるまで魔獣狩りをしていたのですか?」

「————」

「……?」


 心からの疑問を口にする彼女に僕は何も語らず、空虚な無言のみを返した。ただ、目の奥に殺意を糧に燃え上がる黒い炎を宿して、僕は無言で彼女の前から移動する。


 この『ドス黒い殺意』のことは僕以外の誰にも教えられない。

 この殺意を、僕の口から誰かに教えるとは則ち——

 僕が友を害した奴らへの復讐を諦めて、他の誰かに『助けを求める』ということ。

 それは、それだけは絶対に駄目だ。

 これは僕の物だから。僕が一人でやるべき事だから。

 

 もう、大切な友を置いて『一人で逃げる』わけにはいかないんだよ。

 

 疑問を解消させてあげれなかった彼女には悪いと思いつつ、僕は借りている部屋に戻り、窓の外を眺めながら、アエルさんとの約束の時刻が来るまで時間を浪費した。

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