第3話 フリューへの一歩
ガタガタと馬車に揺られること数時間。
荷台から身を乗り出した僕は興味深げに視線を左右に動かし、外を観察していた。黄金色に輝く麦畑は、風でゆらゆらと左右に揺れ動く。
なんか麦が凄い揺れ動いてるなぁ……と思っていたら、ガサガサっと麦畑から子供と犬が出てきて「うわっ!」と驚かされた。子供と犬は「ギャハハ!」と元気よく、木の棒を振り回しながら笑って走り去っていく。僕はそれに「気を付けてねー!」と声を掛けた。
すると「はーい!」『ワン』という返事が返ってきて、僕は笑ってしまった。
ふと影が差し、僕が日の光を遮った物を見ると、そこには、巨大な風車があった。その風車は風でクルクルと回り、内部で小麦粉を製粉していようだ。下の方に取り付けられていた扉から、さっきの子供の保護者らしき人が出てきて、僕が「こんにちはー!」と大声で挨拶すると、その人は快く手を振ってくれた。
僕達が今いる『ソルフーレン」という国は『風の国』と呼ばれている。その風の国という名の由来は『風が止まない地』だからだそうだ。風が止まないのは比喩ではなく、本当に風が止まないのだ。四六時中、強風が吹き荒れているという訳ではなく、弱々しい微風が永久に吹き続けているらしい。
何故? って、この事を教えてくれたカカさんに聞いたんだけど、露骨に視線を逸らされて「分かんないなぁ」と言われて、結局分からず終いだった。
そんなこんなで時間は過ぎていき——夜。
日中あんなに輝いていた日は沈み切って、鳴りを潜めていた月が煌々と辺りを照らして始めた。僕はガタガタと揺れ動いていた馬車が止まってことを確認し「よっと」と言って荷台から飛び降りた。フリューには、この村から一週間以上かかるそうで、僕を送ってくれた『オットさん』とはここで別れて明日、別の馬車フリューを目指す段取りになっている。
「ありがとうございました、オットさん」
「いいよ。じゃ頑張れよ、ソラ!」
「はい!」
ここまで送ってくれたオットさんにお礼を言い、別れる。僕は不安に駆られた胸を誤魔化すように両頬を叩き、気合を入れて村の中を歩いていく。これから宿を探して、そこに泊まらなければいけない。
ちょっと——いや、かなり不安だ。
お金は爺ちゃんから『二万ルーレン』をもらっている。ソルフーレンの宿は一泊『百ルーレン』くらいらし位から十分足りるけど、僕は他人の家に泊まった経験が無い。昔しつこくカカさんに「家に来なよぉっ!」と誘われて、爺ちゃんがガチギレしてから他人の家に泊まる機会がなかったのだ。しかも、ちゃんとした買い物もしたことがない。大きな町に行って店で買い物した経験はゼロだ。
そもそも大きな町に行ったことがないのだが……。そんな僕が、一人で宿に泊まれるのか? いや、自信を持て! 爺ちゃんから詳しく話は聞いたし、想像練習もした。
大丈夫……のはず! もう夜だし、迷ってはいられない——行くぞ!
「あの、一人お願いします」
「はいよ。八十ルーレンね」
八十ルーレンは銅貨一枚でお釣りがくる。
お釣りは十ルーレン紙幣が二枚。
「はいお釣り。それじゃあ、そこの部屋ね」
「はい」
宿屋は意外と、すぐに見つかった。
——というか、村が小さくて迷うわけがなかった。暗い村をふらふら〜と歩いていたら『宿』と書かれた大きな看板を見つけ、吸い込まれるように入ったのが今さっきのこと——。 僕は宿屋の女将が指差していた、部屋の扉を開ける。部屋の中に入ると、既視感があった。ベットに机、あと絵本が並べられた本棚。調度品はそれだけで、淡白な部屋と言える。借りた部屋は何というか、まんま僕の部屋だった。
「ぷああああああああああああ——……」
ちょっとどころではない安心感がドーンと胸に飛来し、僕は吸い込まれるようにベットに飛び込んむ。
「あああああああああ……」
フカフカのベットは僕の身体を優しく包み込んでくれる。枕に顔を埋めると、お日さまの良い匂いがした。安心が僕の全身を支配し、緊張で凝り固まっていた心と身体を解してくれる。 ゆっくりと大きく息を吸った僕は、開いていた瞼は段々を下げていく。
丸一日馬車に揺られて蓄積していた疲れが、僕の瞼の重く伸し掛かっている。襲い掛かってくる疲労に、僕は抗うことをやめた。
すると、あっという間に意識が暗闇に染まる。
ああ、なんか心地良い——……
「う、うん……?」
ちゅんちゅんという小鳥の囀りが耳に届き、僕は意識を暗闇から浮上させる。徐々に寝惚けていた頭が覚醒していき、パチっと目を開ける。目を擦りながら起き上がると、カーテンを閉めていない窓から朝日が部屋に入ってきており、陽光が目にの奥に刺さった僕は「うっ」と咄嗟に目を窄めさせた。
気付けば、もう朝だ。……早すぎる。
まだ十五分くらいしか眠った気がしないんだけど……。
「はあ〜〜〜」
大きな欠伸をした後、ググッと背伸びをして立ち上がる。僕は部屋を動き回り、出発の準備を済ませた。もう爺ちゃんはいないんだ。だから、身の回りのことは全部自分でしなきゃいけない。メチャクチャ二度寝したいんだけど、甘えちゃダメだ。ダメなんだけど、すごく眠い……。
「あの、馬小屋のある場所って——」
僕は宿の女将から馬小屋のある場所を聞き、宿を出る。「はあ〜……」と欠伸をしながらフラフラと歩いて行き、村の北側にある馬小屋に到着した。そこで馬の世話をしていた男性に声を掛ける。
「あの、フリューまでお願いできますか?」
「フリューかぁ、途中までならいいよ」
「えっと、ここからどれくらいかかりますかね?」
「ああ、ここから一週間くらいだな」
フリューって結構遠いんだなぁ。
途中までってことは、何度か他の村を経由して行かないといけない訳だ。運賃とかが大分嵩みそうだけど、徒歩より馬車の方が早いだろうし、確実にフリューを目指すなら乗らない手はないよな。
「じゃあ、途中までお願いします」
「いいぜ、乗りな」
僕は管理者さんに運賃を払い、ここから西にある二つ先の村まで乗せて行ってもらう。
「村には夕方くらいに着くからな」
「分かりました」
ガタガタと馬車に揺られながら、どんどん小さくなっていく最初の村をボケーっと眺めながら、春の暖かい日差しと吹く気持ちのいい風に乗ってやってきた睡魔に身を任せ、自堕落気味に『朝から昼寝』を始めた。
昼寝していた僕は正午くらいに空腹を訴えてくる腹のせいで目を覚ました。身体を起こして、村で買ったサンドイッチを摂りながら荷台からダラっと手と顔を出し、過ぎ去っていく野菜畑や麦畑を眺める。途中ですれ違った羊飼いのおじさんから羊乳をもらい、それを飲みながら西へ進んでいった——
* * *
色んな村で寝泊まりし、食べ慣れないもので舌鼓を打ち、沢山の人に助けられながら移動を続けて——約一週間。目的地であった風の国の都『フリュー』が、僕の目の前には大きな防壁が視界いっぱいに広がっていた。
「フリューに着いたぜ! この先は検問所だ。俺はフリューに用はないし、ここで帰るからな」
「は、はい! ありがとうございました!」
僕は荷台から飛び降り、ここまで連れてきてくれた御者に礼を言う。御者は白い歯をニカッと笑い見せながら、パシンっと手綱を打ち、馬を走らせて帰っていった。
僕は遠ざかっていく馬車を見送り終え、「よしっ!」と後ろへと向き直る。
そこは、僕が目指していた風の国の首都——フリューだ。
「おぉー……!」
向き直った僕の視界に広がったのは『壁』だ。目測では絶対に数えられない量の石ブロックを何段にも何段にも積み重ねていった、超巨大な防壁。何者も落とせない難攻不落の防塞は僕の視界を埋め尽くし、蟻のように小っぽけな僕を圧倒した——。
ふと前を見ると御者さんが言っていた検問所——街に出入りするための大門がある。
そこには沢山の馬車がズラリと並んでおり、どこまで続いているの? と言うくらい長蛇の列になっていた。馬車達の長蛇の列の横には、これまた長蛇になっている人の列があり、僕が並ぶのはこっちだと思われる。
僕は大人しく列の最後尾に並び、自分の順番を待った。見えを横に出して前を見ると、並んでいる人の中には、大きな旅行鞄を持つ人や、冒険者のパーティだろうか? ゲラゲラと談笑している武装した人達もいる。カッコイイ木杖に、重そうな大盾、何を斬るのか分からない大剣。それを「ほえー」と子供みたいに目を輝かせながら眺めていると、突然トントンと背後から肩を叩かれ「すみません、そこの人」と声を掛けられた。
「ん?」と僕が振り向くと、そこにいたのは、どこか暗い雰囲気のある老夫婦だった。
どうしたのだろうか……?
「どうしました?」
「あの、私たち『ミュウ』に行きたいのです。それで、ミュウが何処にあるか知っていますでしょうか?」
「ミュウ……?」
ミュウ、ミュウ……聞いたことない場所だな。いや待て。僕が単に忘れているだけかもしれないぞ。思い出せ。思い出せ。昔カカさんに世界地図を見せてもらっただろ。
知らない訳ない。必ず知っているはずだ。
……どこだ? えぇと、風の国の北にあるのが『ハザマの国』で、南にあるのが『アリオン諸国』。そのさらに南が『オルダンシア』だったはずだ。んん?
東の大陸に『ミュウ』なんてあったか?
もしかして『国』じゃない? 商店とか、地方の街とかだと、さすがに分からないぞ。んんー……駄目だ『ミュウ』なんて知らない。
「ごめんなさい、お爺さん。僕も分からないです……」
「そうですか……こちらこそすいません。東の大陸にあると聞いていたんですが、他を当たってみます」
「はい……」
僕のバカ! カカさんの授業で何か言ってたかもしれないじゃないか。
なんで真面目に聞いてなかったんだ……。
いや、そもそも『ミュウ』なんて言葉が授業に出てきた記憶はないし、本当に何処なんだ? 何か勘違いして名前を間違っているとか、その可能性もあるんじゃなかろうか?
単に僕が『無知』なだけかもしれないけど……。僕から離れていった老夫婦は大門の横に止まっていた馬車に話かけ、そのまま乗ってどこかへ行ってしまった。あの御者さんは『ミュウ』の場所を知っていたのだろうか? 不甲斐ない。そう俯いていると、前に並んでいた無精髭を生やした中年の帯剣している男性——冒険者が話しかけてきた。
「災難だったな坊主」
「あ、いや……不甲斐ないです。ミュウなんて聞いたことなくて、教えてあげられなくて……」
「ああ? あんなとこ知らなくていい。知ってても誰にも言っちゃあ駄目だ」
「え、どういうことですか……?」
中年の冒険者は、どういうこと? と固まる僕を見て、しばらく悩むように黙り込んだ後、僕が求めていた『答え』を教えてくれた。
「ミュウはな、自殺の名所なんだよ」
「じ、自殺……!?」
「ああ。この大陸の『何処か』にあるらしいんだけど、俺も何処にあるかは知らん。そもそも興味がないからな。だから、お前みたいなガキはそんな場所知らなくていい」
「え、じゃあ、あの老夫婦は……」
「死ぬ気だろうな。薄ら寒かったろ、あの爺さん達」
冒険者の聞いて、僕は呆然と立ち尽くした。もしも僕がミュウの場所を知っていたとして、それを老夫婦に教えていたら、僕は老夫婦の自殺幇助をしたことになっていたのか。もしも僕がミュウを知っていたとしたら、あの老夫婦を説得して止めることができたのかも……。
「ガキ! 変なこと考えんじゃねぇぞ。俺らが必死こいて止めても無駄なんだよ、ああいう奴らはよ。他人のことを一々気にしてたら生きてけねぇぞ!」
「はい……」
冒険者は不器用にも気を落としていた僕を励ましてくれた。あの老夫婦にも、何か理由があるのだろう。僕が何を考えても、それに意味は無いんだと思う。僕は気を取り直すために両頬を、パンっと叩いた。
「よし。じゃあ元気でな」
「はい!」
列に並ぶこと一時間。とうとう目前に検問所が迫ってきており、前にいた冒険者は僕に後ろ手を振って検問官のところへ歩いていく。僕の前で冒険者は『鉄? のプレート』を検閲官の人に見せた——すると、荷物などを調べられることなく、ゲートを素通りして街に入って行った……。
「次の方!」
「は、はい!」
きた! やっと僕の番だ。僕は両肩を上げて、ガチガチのまま検問官の前に行く。そして——ある物の『提示』を求められた。
「身分証、または通行許可証をご提示して下さい」
み、身分証? 通行許可証? 何それ。
そんなの持ってないんだけど……。
「も、持ってないです」
「では発行するので、あちらへ」
「わ、分かりました」
検問官が指差した方を目で追う。そこには防壁内部に取り付けられた窓口のような場所があり、そこで身分証か通行書を発行するようだ。僕は促されるままそこへ向かう。
どうすればいいんだ? と挙動不審になりながら窓口の前に立つと、その中にいた女性が先に声を掛けてきた。
「こんにちは、私は世界冒険者協会のイーマルと申します。こちらで発行する身分証は、世界各国で身元証明に使えます。紛失ですか? 初発行ですか?」
世界冒険者協会って『ギルド』のことか!
すごっ!
「は、初ですっ」
「では、こちらの書類に名前、性別、出身とうを記入してください」
僕は窓口の下にある隙間から、一枚の書類を渡された。えーっと、ギルド発行身分証必要書類——取扱注意。なるほど、分からん。
まあいいか。僕が気にする必要ないだろうし。
えっとぉ、名前は『ソラ』性別は——
「あ、フルネームでお願いします」
「あ、はいっ!」
えっと『ソラ・ヒュウル』
性別は『男』と。
出身は『ソルフーレン』
これでいいのかな?
他に書いてないところは……ないな。
「出来ました」
「お預かりします……確認終わりました。身分証を発行するのに少々お時間が掛かります。それまで窓口近くでお待ちください」
「分かりました」
僕は窓口の横に立ち、防壁に背をもたれさせながら検問所を通る人達を観察した。
エルフにドワーフ。
あと子供っぽいけど、小人族かな?
他種族の特徴は、カカさんから教わっていた通りだった。耳が長かったり、老け顔で背が低かったり。子供のようだったり、頭から獣の耳が生えていたり。同じ人間なのに種族が違うだけでここまで違うんだなと、僕は見ていて楽しくなってしまった。僕は何の変哲もない人族だけど、獣人の耳がどういう風に聞こえているのか、ちょっと気になっている。
「ソラさ〜ん。身分証の発行が終わりましたよ〜!」
「あ! はいっ!」
窓口から呼ばれた僕は防壁から背を離し、急いで向かう。
「こちらがソラさんの『身分証』になります」
「お、おお〜……」
イーマルさんから渡されたのは、ソラ・ヒュウルという、僕の名前が刻まれた『メタルプレート』銅色をしたそれは硬質で、大きさの割に重たい。カードの上左端の方には、小さい穴が空いていた。
多分だけど、ここに紐を通して鞄なんかに取り付けられるのだと思う。
「初回の発行は無料ですが、再発行となると料金が発生するので、そこは注意してください」
「分かりました」
僕は「うんうん」と頷きつつ、イーマルさんから事細かな説明を聞いた。そして話の終わりに、旅の目的『母について』尋ねた。
フーシャ、という名前の女性のことを聞くと、イーマルさんは「確認しますね」と言って、何かを調べ始めた。何でも、ここに残っている『身分証発行者の名簿』を調べているらしい。そして残念そうな顔で「分からない」と伝えられた。フーシャという名前の女性は『この窓口に来たことがない』のだとか……。僕は申し訳なさそうにするイーマルさんに「いえいえ! ありがとうございました!」と礼を言い、その場から離れた。
そしてもう一度、街に入るための人の列に並ぶ。今回はさっきよりも早く、四十分くらいで順番がきた。僕はバックを背負い直し、懐に入れていた『身分証』を自信満々に取り出す。
「これ、身分証です」
「はい、確認します……確認終わりました。武器の持ち込みは、ナイフだけですか?」
検問官の男性は、僕の腰に差されていたナイフを指差し、そう言う。
「はいっ、これだけです」
「荷物の方を確認させてもらいますね」
「どうぞ!」
僕はバックを台に乗せ、検問官が調べ終わるのを待った。
そして——
「……はい、確認終わりました。ようこそフリューへ!」
とうとう来た! ここが話に聞いていた風の国の都市『フリュー』! 僕はニヤつきながら、開いた検問用のゲートを通る。
そして一歩、フリューへと足を踏み入れた——
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