第2話 行ってきます!
「これと、これ・・・・・・」
冬を越し、雪化粧していた山々はその姿を変えた。
春の暖かい日差しが部屋の闇を晴らし、開けている窓から心地良い風が入ってくる。
僕は荷造りをしながら、春が到来した外を窓から眺めた。 今僕が着ているのは、いつもの白のワイシャツに茶色の長ズボン。
それに爺ちゃんからもらった、お下がりの茶色のコート。
秋冬から何も変わっていない服装だが、服に無頓着な僕がそんなことを気にする訳もなく・・・・・・クローゼットからさらに同じような服——全部お下がり——を引っ張り出して、用意したバックに詰め込んだ。
野宿になってしまった時用の薄手の毛布を入れて・・・・・・。
——あ! 念のために革手袋も入れておこう。
何に使うか想像できないけど、持ってて損はないはずだ。 あとは寝巻きだな。
宿なんかに泊まった時に必要だし。
そんな感じで部屋にある私物を、これまた爺ちゃんからもらったバックに、これでもかと詰め込んでいく。
が——そもそも私物が少ないし、結構大きめのバックだから中身はスカスカだ。
まあ、こんなもんだろ。
あと何か必要なものは・・・・・・なさそう?
——よし!
あとはこれ、爺ちゃんからもらった『ナイフ』。
これは腰に差してと・・・・・・。
お、ちょっとカッコいいんじゃないか?
初めて斧と包丁以外の刃物を持った僕は口角を上げ、鞘からナイフを引き抜いた。
そして部屋で『シュバババ』っと逆手に持ったナイフを振り回したり、構えたりしていると——突然部屋の扉が開き、普通に祖父が入ってきた。
祖父は僕の恥ずかしい姿を見て「ブフッ・・・・・・」と噴き出す。
僕は無言のまま顔を赤面させ、ナイフを腰の鞘に仕舞う。
なんでノックしないんだよ・・・・・・!
最悪だ・・・・・・めちゃくちゃ恥ずかしい。
「いや・・・・・・なんだ。まあ、わかるぞ」
少しもフォローになってないからね⁉
まったく・・・・・・。
僕は顔を赤くしつつ、荷を入れて重くなったバックを背負う。
その姿を見て、祖父は柔和に笑った。
「似合っとるぞ・・・・・・ソラ」
急に真面目な感じで、そう言ってくる祖父。
素直な褒め言葉は嬉しく思うが、さっき笑ったことは絶対に許さない・・・・・・。
「ちと、鏡で見てきたらどうだ?」
「・・・・・・鏡か」
僕は祖父の勧めに頷き、隣の部屋——三年前から何も変わっていない『母の部屋』に入る。
部屋のクローゼット前にある全身鏡の前に立ち、僕は自分の姿を正面から見た。
姿見に映る自分は、何というか『旅人感』がある。
「おー・・・・・・」と鏡の前に張り付く僕を、祖父は優しく見守っていた。
そして、十分に姿を確認した僕は「よしっ!」とバックを背負い直し、鏡の前から離れた。
「もう、行くのか」
「うん」
「そうか・・・・・・」
ちょっと寂しそうな顔をする祖父。
それをみ見て、僕はまた泣きそうになってしまった。
何ヶ月も前から今日この日『旅に出る』って覚悟を決めていたのに・・・・・・泣きそうになってしまうほど寂しさを感じてしまった。
「・・・・・・先に外に出て待っとるぞ」
「・・・・・・うん」
僕は部屋から出る前に、後ろ髪を引かれたように振り返り、母の部屋を見回した。
何もない部屋だ。
鏡にベットに机、あと何も置かれていない化粧台。
部屋にある物は本当にそれだけだ。
化粧台の中に化粧品なんか無いし。
机には本一冊も、紙の一枚も置かれていない。
物をまとめて出て行ったと思ってしまうほど、部屋は閑散としている、
物が何も無いのは昔からなんだけど、母が居なくなってから余計に寂しくなってしまった。
「・・・・・・行ってきます」
僕は感傷に浸る前にそそくさと部屋から出る。
階段を下りて居間を通り——玄関を出た。
そして、外から一度家を見る。
十六年間、ずっと家族と暮らしていた場所だ。
今日旅立ったら、長くは帰ってこれないと思う。
寂しさを感じる胸の内を紛らわすように、僕は両頬をパンっと叩き、自分に喝を入れた。
——よしっ!
「行ってきます!」
家に向かって別れを済ませる。
家だから返事は返ってこないけど——何だか、僕を応援してくれているように思えた。
* * *
「わーーーーーーーん! ソラくん行っちゃいや〜〜!」
「カカさん・・・・・・離れてください・・・・・・」
今僕がいるのは村の西端。
そこは村の出入り口であり、この木門を越えれば——そこはもう『村ではない』ということになる。
ここへ向かう道中、首を傾げてしまうほど『誰ともすれ違わなかった』原因が分かった。
僕は薄情に思われるかもしれないが、今まで誰にも『旅に出る』って言っていなかった。
その筈なのに、西門の所に『村人全員』が集まっていたのである。
何でも、爺ちゃんが『今日ソラが旅立つ!』と全員に言いふらしていたらしい。
こういうのされると絶対泣いちゃいそうだから、誰にも言えなかったのにさ・・・・・・。
そして僕が西門に着くなり、僕の教師であり村の薬師でもある『エルフ』のカカさんが飛びついてきて——いや、飛び掛かってきて、今に至る。
「なんでソラくんが出ていくのぉぉぉぉぉぉっ⁉︎ ソラくんが居なくなったら、この村、ジジイとババアだけになっちゃうよぉぉぉ! 嫌だぁっ、若い男の子が居なくなるなんてぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ‼︎」
結構口悪いよなぁ、カカさん。
——ん? うわっ!
鼻水が服に付いて糸引いてる・・・・・・。
「カカ! ソラの邪魔をするな!」
「ヤダァッ! 私と恋愛できる男が居なくなっちゃうじゃんっ。嫌よぉぉぉ! 私を置いてかないでぇぇぇ!」
「バカを言うな! 村で一番の長寿がお前だろうに!」
「はあっ⁉︎ 恋に年は関係無い! っていうか女に歳のこと言うなクソジジイッッッ‼︎」
「何を言っとる、クソババアがッッッ‼︎」
「は、はああああああああああああああああああああ⁉︎」
エルフのカカさんは、こう見えて村一番の年長者なのだそうだ。
見た目は二十代にしか見えないんだけど、爺ちゃんが言うには齢は『百』を超えているとか・・・・・・。
年を聞いたときは、この騒がしい人がねぇ——って何度も疑ったな。
年相応というか、お年寄り感がないんだよな、この人。
「クソジジイ!」
「なんじゃあ、クソババア!」
・・・・・・今も口汚い喧嘩をしている爺ちゃんカカさんは、超が付くほど昔からの知り合いなのだそうだ。
まあ知り合いなのは当然だよな。
爺ちゃんがこの村で生まれた時には、今のこの姿でカカさんは村の薬師をやっていたと言うし・・・・・・。
この話を聞いた時『エルフってすごい』と僕は思った。
僕の服を鼻水まみれにするカカさんに、それを引き剥がそうとする爺ちゃん。
それを「いいぞー!」と茶化し笑いながら見守る村の人達。
旅に出るって覚悟はしたんだけど。
やっぱり寂しい気持ちになってしまう・・・・・・。
「ちくしょぉぉぉぉぉ⁉︎」
——あ、離れた。
とうとう僕から引き剥がされたカカさんは「キュワあああああ⁉︎」と意味不明な奇声を上げて、ずるずると爺ちゃんに引き摺られていく。
服を見ると、カカさんの鼻水でテカテカになってしまっており、僕は後で着替えようと心に決めた。
「ソラちゃん、本当に行っちゃうのね」
「サチおばさん・・・・・・僕、母さんを探しに行く」
「そう・・・・・・これ、よかったら食べてちょうだい」
「んん——⁉︎」
サチおばさんが懐から取り出したのは見覚えのある包紙。
包紙——それは、僕に刷り込まれた『トラウマ』を刺激する言葉。
僕は嫌の予感が喉から溢れ出させながら、無意識に左手で腹を押さえた。
ニコニコのサチおばさんは、カサカサと包紙を広げる。
僕は緊張で全身から汗を噴き出させ、ゴクリと喉を鳴らした。
そして、包紙から出てきたものを、僕は見た。
それは——あの、激甘ドライフルーツクッキー・・・・・・!
「こ、ここここれ、は・・・・・・?」
「ソラちゃん、この前いっぱい食べてくれたでしょ? だからたくさん作ってきたのよ〜」
楽しげに、ヤバイことを語り出すサチおばさん。
彼女はニコニコしながら激甘クッキーを「さささ」と僕に押し付けるように見せつけてくる。
これは『食べろ』ということなのだろうか・・・・・・?
また繰り返すのか、あの戦争を・・・・・・!
断れない僕はゴクっと喉を鳴らし、恐る恐る手を伸ばした——その時。
「お? クッキーではないか! ワシがもらおう」
突然救いの手が現れて、僕が伸ばしていた手の先にあった『クッキー』を包紙ごと掻っ攫っていった——!
それに呆然と立ち尽くす僕とサチおばさん。
そんなの関係ねえ! とばかりにボリボリとクッキーを貪り食らう祖父は、サチおばさんに気づかれないよう僕にウインクをした。
これは、まさか助けてくれた・・・・・・?
じ、爺ちゃん・・・・・・!
「こらっ! バレル兄さんのじゃありませんよ!」
「ん〜? よいではないか」
「だ、大丈夫ですよ、ははははは——・・・・・・」
た、助かったぁっ!
「ふー・・・・・・」と深く息を吸い、僕は緊張を解いた。
すると——僕から引き離されたカカさんが、トボトボとまたやって来た。
「ソラくん・・・・・・これ、食当たりに効く薬。あげるね」
「わっ! ありがとうございます、カカさん!」
「お、おうっ。へへへ、クゥ〜! やっぱり若いっていいなぁ!」
「ははは——・・・・・・」
「空笑いするなぁ!」
僕はカカさんから青色の粉薬の入った瓶を受け取り、それをコートのポケットに仕舞った。
「ソラ、これを持っていけ」
「ん?」
速攻でクッキーを平らげてた祖父は、薬を閉まった僕に一枚の手紙を渡してきた。
それを受け取り、じっくりと観察する。
封筒には爺ちゃんの『バレル・ヒュウル』という名前と、『モルフォンス』という人の名前が書かれていた。
モルフォンス・・・・・・聞いたことないな。
「これは?」
「それをフリューに居る『モルフォンス』に渡せば、色々と便宜を図ってくれる。ぜぇったいに失くさんようにな」
「ふーん、分かった。ありがとう爺ちゃん」
お礼を言うと、祖父は僕の頭を優しく撫でてきた。
僕は少し恥ずかしかったが、祖父が撫で終わるまで時を待った。
そして——
「・・・・・・えっと、じゃあ」
僕は村の門前に立ち『ある言葉』を言うために、グッと腹に力を入れて周りを見回した。
その言葉を待つ村の人達は、ニヤニヤと笑いながら僕を見守る。
カカさんは寂しそうに、サチおばさんは目の端に涙を溜めて——爺ちゃんは、どこか嬉しそうに笑っていた。
僕は目の端に涙を溜めながら、未練を断ち切る。
「行ってきますっ!」
「ああ、行ってこい! 身体には気をつけるんだぞ!」
「頑張ってね! ソラちゃん!」
「う、うおおおおおおおおおん⁉︎ いつか迎えにきてねぇぇぇええええええっ!」
僕は村の人が出してくれる馬車に乗り、西へ出発した。
村から離れていく僕を、村の人達は姿が見えなくなるまで、ずっと手を振ってくれていた。
それに僕も必死で手を振りかえす。
僕が目指すのは、風の都『フリュー』
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