風ノ旅人
東 村長
風の国・編
第1話 風ノ旅人『序』
風が吹いている。森に吹く風は防風の役割をする木々を軽く避けて、一仕事をしている僕のもとへ届いた。
「フンッ!」
茶髪の少年が、両手に持った斧を大上段から振り落とす。
少年の一撃は木の中心を捉え、コンッと音を鳴らして、木を置いていた切り株の台座まで斧を届かせた。
「よっと」
刃先が台座に入って自立する斧を放置し、割りまくって辺りに散乱している木々を、腰を曲げて集める。
そして集め纏めたを木の束を掴み、薪割り場の横にあった『薪置き場』に積むように並べた。
「よしっ、終わり!」
白いワイシャツに茶色の長ズボン。
それに少し——いや、かなり古い『爺ちゃん』からもらった茶色のコート。
だいぶ地味な格好をしている少年は、額に浮かぶ粒のような汗を服の裾を手で持ってきて拭った。
「ふぅ〜疲れたぁ……」
重労働をこなした様子の少年は、ぷはーと息を吐き、先ほどまで使っていた切り株の台座に腰掛ける。
斧をクルクルと危なげなく手で回し、地面に投げ置く。
やっと終わった……。
去年の倍は用意したし、越冬まで無くなる心配はないはずだ。
去年は普通に足りなくなって、極寒の中をひたすら薪割りしたんだよなぁ。
うっ、今思い出しても寒気がしてくるな。 それにしても、頑張ったなー僕。
目の前には、僕一人で用意した大量の薪の山。
綺麗に積まれた薪置き場を見て、僕はうんうんと頷いた。
薪割りを頼まれて、一月くらいかけて用意した僕の労働の結晶だ。
ヒョロヒョロの僕が一人でやったと僕を知らない人が知ったら「わっ!」と驚くに違いない。
「さて、爺ちゃんに薪割り終わったって伝えないとな」
僕は立ち上がり、地面に転がしていた斧を切り株に突き立てる。
そして薪置き場を「うんうん」と頷き見てから、歩いて村長の家——つまり爺ちゃんの家に向かう。
今僕がいる薪置き場は、村の東にある森の手前にある。
そこから西へ移動すると、僕の故郷の村が見えてくる。
村は山形に隆起しており、村の中心に近付くほど丘のように小高くなっていく。
その丘の天辺——村の中心には、昔から僕が暮らしている爺ちゃんの家が建っている。
僕は坂になっている、土で舗装された道を歩いて進む。
丘を渦を巻くように登る道のため、爺ちゃん家はここから近いようで、少し遠い。
昔、道を無視して丘に作られた花壇を飛び越えて行ったら、それを見つけた爺ちゃんからメチャクチャ怒られたんだよな。
僕はその時初めて『拳骨』を食らったんだっけ。
思い出すと頭頂部に幻痛が……。
「ソラちゃん! ソラちゃん!」
「——ん? あ、サチおばさん! どうしたの?」
帰宅中の僕に声を掛けてきたのは、近所に住むサチおばさん。
この人は爺ちゃんの奥さん——僕の婆ちゃんの妹らしい。 つまり、僕の親戚に当たる人だ。
そのサチおばさんは「おいでおいで!」と僕を手招きしており、僕は嫌な予感を感じながらそこへ駆け足で向かう。
目の前まで来た僕を認め、サチおばさんはニコニコしながら手に持っていた包紙を広げた。
そして、僕の嫌な予感は的中してしまったのである——
「あ、クッキー……」
「ふふふ、いっぱい作ったからお裾分けに来たのよ」
「あ、ありがとね、サチおばさん。爺ちゃんも喜ぶよ」
僕の祖父のバレル爺ちゃんは、その巨体に見合わず超甘党だ。
お菓子を家に置いておくと、目を話した隙に全て平らげてしまうほどの超が付くお菓子好き。
その超甘党による、お菓子盗み食い事件が度々家で起こるせいで『一緒に暮らしていた』僕の母さんはしょっちゅう怒っていた。
母さんは怒こると喋らなくなるから、あの時は苦労したなぁ……。
「違う違う、バレル兄さんの分じゃないわよ。これ全部ソラちゃんの分よ」
「——ええっ! ここ、これ全部⁉︎」
僕の驚きの声にサチおばさんは悪意ない笑顔で、うんうんと頷いた。
それが僕にとっての死刑宣告だとも知らずに・・・・・・。
「バレル兄さんに上げたら、ソラちゃん一つも食べられないじゃない? だから直接持ってきたのよ〜」
「え、ええ・・・・・・そ、そっかぁ・・・・・・」
チラッと見るだけでも、クッキーは六枚以上もある。
まじまじと広げられて包紙に乗るクッキーを見ると、クッキーには小さいドライフルーツがポツポツと生地に埋まっており、その表面には大量の砂糖が塗されて——いや、砂糖壺に直接漬けたの? というくらい付着している。
砂糖で薄いクッキーが膨らんでしまっているじゃないか……。
どこからどう見ても糖の塊——激甘の一品と見て取れる。
もしかして、これを今から僕が食べるのか?
正直、甘いものは好きじゃない——と言うか、普通に苦手だ。
僕は香辛料の効いたものの方が好みなんだけど……。
「ほら! 食べて食べて!」
「……ぅ、ぅん」
多分これを受け取ったら食べ切るまで家に帰してくれなそうだ。
だがしかし、そんなことで悩んではいられない。
このクッキーは、サチおばさんが僕のために丹精込めて作ってくれたものだ。
ニコニコしながら僕を見るサチおばさんの優しさを「甘いものはちょっと……」と断るなんて不可能だろう。
僕は覚悟を決めて、ゴクリと喉を鳴らした。
「い、いただきます……——うっ⁉︎」
口に入れた瞬間、口内で爆発的に広がる強烈な甘味。
ドライフルーツが口の中で踊り、まぶされた大量の砂糖が僕の口内で暴力を振るう。
——それは戦いだった。
幾度も広がる口内戦争。絶対に負けられない戦い。
えずきでもしたら、サチおばさんに悲しい思いをさせてしまうに違いない。
だから、誰も帰ってこさせてはいけないのだ……!
強靱な意思で『帰りたい!』と弱音を吐く食道を叱咤し、胃を空いた左手で無理やり押さえ付ける。
そして一枚、二枚、三枚。少しづつ減っていくクッキーに、迸る希望の光。
「どんどん食べて!」と悪意なく言うサチおばさんに戦々恐々しつつ、僕はクッキーを『完食』した——!
「ご、ごちそうさまっ……!」
「あらぁーよく食べたわねー! そうよそうよソラちゃん成長期だものね! また沢山作ってあげるわね!」
サチおばさん、僕はもう無理だよ。
これ以上用意されたら僕は負けるよ? 確実に。
絶望に染まった顔をする僕に気づくことなく、サチおばさんはニコニコしながら家に帰っていった。
「うっ、ぷ。帰ろう……」
そうだ、爺ちゃんに薪割り終わったって言わなきゃ。
無理やり激物を捩じ込んだ腹を優しく摩りながら、僕はフラフラと帰路につく。
「遅くなちゃったな」
気付けば夕方だ。日が沈みかけており、空が茜色に染まろうとしている。
薪割りに集中しすぎて時間を忘れていたようだ。
今何時だろ? 冬は陽が沈むのが早いんだっけ。
僕は夕焼けを目に焼き付けながら、家に帰るために丘を登る。
「ふう。やっと着いた……」
丘を登り終えると、村の中で一番大きな家に到着した。
ここは僕と爺ちゃんと……母さんの三人で暮らしていた場所だ。
今は僕と爺ちゃんの二人だけなのだけれど……。
暗い気持ちになりかけた僕はハッとし、いかんいかんと頭を振った。
気を取り直し、玄関の扉に手を掛ける。
「ただいまー」
「おかえり、ソラ。遅かったな」
「ああ、そこでサチおばさんと会ってさ、クッキーをもらったんだよ」
「むっ! クッキーか。で、どこにあるんだ?」
「……全部食べたよ」
その言葉に愕然としているのは、祖父のバレル爺ちゃん。
歳で染まった白髪に、母さんそっくりの薄緑の目。
僕の目は深緑色で似てないし、爺ちゃんはヒョロヒョロの僕とは違って筋骨隆々の偉丈夫だ。
もう七十は過ぎてるはずなのに、僕より断然力が強い。
僕と何も似てない祖父だけど、今はたった一人の家族だ。
とても、大切な人なんだ。
「そうか、全部か……」
「サチおばさんが「全部食べろ」って言ったからさ」
そんなこと言ってない気がするが、ここは力になってもらおう。
しょんぼりしてキッチンに向かう祖父を尻目に、僕はコートを脱ぎ、自分の部屋に戻る。
「ああああああーー……」
部屋に入った瞬間、ドッと疲れが襲いかかってきた。
僕は堪らずにベットに飛び込み、そのまま目を瞑る。
そして意識を暗闇に落とし——って、ダメだダメだ!
このまま目を閉じたら、そのまま寝てしまうに違いない。
もうすぐ夕食の時間だ、寝てしまうのはマズイ……。
パンっと両頬を叩き、襲いかかってくる眠気を飛ばす。
眠気覚ましに部屋を見回し、ベットの向かいにある本棚に近づく。
「んー……」
本棚には沢山の絵本があり、それの一冊に手を伸ばした。
《火巫女の伝説》
ずーっと昔、空に開いた穴のせいで国が滅んだって話。
なんでも、獣人のお姫様が空の穴を閉じに向かったけど、それに失敗して国もお姫様も空の穴に飲み込まれた。
とかいう、バットエンドな昔話だ。
これを初めて見た時は、何とも言えない気持ちになった。
僕は手に持っていた絵本を棚に戻し、他の本を手に取る。
《海割り人魚》
昔々、玲瓏な歌声を持つ、美しい人魚がいた。
その人魚は美しい歌声を海に響かせ、海を二つに割いた。
——っていう、ざっくりとした話。
結局この本が何を伝えたかったのか分からず終いなので、僕はあまり好きではない。
僕が一番好きなのはコレだな。
《秘境冒険記》
「我々は彼方の地を冒険中に『秘境』を発見した」
「これより、その地を調査に向かう——」って超古い話。
これは僕が爺ちゃんからもらった一冊だ。
何故かは分からないけど、母さんはこの本を見て良い顔はしなかったな。
あとは……これこれ。
《アトリエアのダンジョン録》
これもすごく面白い。
多種多様な『人工ダンジョン』を紹介していくやつ。
『二重の迷宮』に『焼熱地底』『氷雪霊園』『逆さ城』とか。
よく分かんないけど、名前がカッコいいんだよなぁ。
僕は取り出した本を棚に戻し、他の本を見渡す。
本棚に並ぶ本は、全て読み飽きるくらい熟読した。
今更読もうと思えないものばかりだ。
「はあ〜〜……」
ダメだ、眠すぎる。少しだけ寝ようかな、十分くらい良いよね。
僕は我慢の限界が来て、ベットでうつ伏せになった。
そして、気を抜いた瞬間。
僕は深い深い眠りに落ちた——……
* * *
『母さん!』
ここは夢の中。これは過去の記憶。
とても、とても懐かしい。五歳の時の『僕の記憶』。
『どうしたの?』
長い薄緑の髪に、優しい薄緑の目。
僕の呼び掛けに、母さんは目の前まで歩いて来てくれた。
『見て見て! これ!』
僕は、握り拳を作る両手を母さんに見せつける。
不思議そうに僕の両手を交互に見る母さんに、僕は楽しげに問いかける。
『なーんだ!』
母さんは首を傾げて、問いの答えを考え始めた。
ずーっと考えて、考えて……。
無言で微動だにしなくなった母さんに、僕は痺れを切らして両の手を広げる。
そして悪戯っ子のように、にいっと笑った。
『ジャーン!』
手の中にいたのは、小さい芋虫。
両の掌の上でウジャウジャと這い動く緑色の芋虫たち。
カカさんやサチおばさんが見たら悲鳴を上げて逃げ出すだろうそれを、母さんは不思議そうに見ながら首を傾げた。
『…………どうしたの?』
何も驚かない母に、僕は不満げに頬を膨らました。
驚かせるためだけに捕まえた芋虫たちを見ながら、どうしようか悩む僕に、母は言う。
『一緒に返しに行こうか……?』
その言葉に僕は満面の笑みを向けた。
『こっち! こっちにいたんだ!』
僕は玄関から飛び出し、芋虫を捕まえた爺ちゃん達がいる畑へ走って向かった。
駆け出す僕に、母はついて来てくれた。
最初は後ろをついて来てくれていたのに、突然走っていた僕をビューンっと飛び越えて行ってしまった母さん。
突然頭上を飛び越え、僕の前を走り出した母さんに「わっ!」と驚いた僕は「うわあっ⁉︎」と盛大にすっ転んだ。
芋虫を持った両手を地面につけることができなかった僕は、ズザザーっと顔面で地面を滑ってしまった。
『そ、ソラ!』
『うぅぅぅ……い、痛くないっ』
この後、顔を土で汚した僕を見て、爺ちゃんが大笑いしたんだっけ。
とても懐かしくて——とても幸せな夢。
——景色が遠のき、意識が夢から浮上する。
まだ、この夢を見ていたい。
まだ、この温かさを感じていたい。
でも、ああ——もう起きなきゃいけないみたいだ。
なんで、母さんは居なくなったんだろう。
どこに行ってしまったんだろう——……
* * *
「ソ……、ソ……ラ——ソラ!」
突然の大音声に僕は「うわっ!」と喫驚し、ベットから飛び起きる。
「ビックリした……爺ちゃんか」
「全くぅ、やぁっと起きたか。飯ができとるぞー」
僕はベットで胡座をかき、目を擦りながら情報を整理する。
ベットに突っ伏した僕はそのまま寝てしまった。
それで夕食の準備を終えた爺ちゃんが、僕を呼ぶけど反応がない。
とまあ、こんなところだろう。
「くあ〜……」
僕は大きく背伸びをして部屋を出る。
階段を駆け足で下りて、爺ちゃんが夕食を用意している居間に入った。
「早く食べるぞ〜。ワシは腹が減った」
「ごめんごめん。あ! 薪割り終わったよ」
「そうか」
「お疲れとかないの?」
「はいはい、お疲れさん」
「はあ……」
そんなこんなで、僕は爺ちゃんと居間にある食卓を囲む。
食卓の上には温かなシチューとパンが用意されていた。
シチューの良い匂いが僕の鼻から入り込み、クッキー戦争で酷使されてしまった腹を慰めてくれる。
僕は我慢できないとばかりに、早速手を合わせた。
「いただきます」
「さ、たーんと食べなさい」
「うん!」
スプーンでシチューを運び、口に入れる。
すると、口内でまろやかでコクのある味が瞬く間に広がり、甘味の暴力で機能を停止していた舌と、無理やり逆流を押さえ込んだ食道が回復したではないか。
あぁ、薪割りという重労働で疲弊した身体に染み渡るなぁ。
「美味しい」
「そうじゃろぉ。さ、パンも食べなさい」
「ありがと」
爺ちゃんから手渡されたパンを受け取り、頬張る。
パンはとても柔らかく、少しだけ甘い。
簡単に千切れて、簡単に飲み込める。
とても美味しいのだが——これは……。
もぐもぐとパンを噛んでいると、少し違和感を感じた。
爺ちゃんは焼き料理とかは得意だけど、お菓子作りとか、それこそパン作りなんかは苦手なはずだ。
——そう。
パン作りが苦手な爺ちゃんが、こんなに美味しいパンを作れるわけがないのだ。
「このパン、サチおばさんが作ってくれたの?」
「ああ。サチが持って来てくれたんだ。ワシにはクッキーくれなかったがな」
爺ちゃん、ちょっと拗ねてるな。
僕だって、あのクッキーを渡せれば渡してたよ。
でも、逃げられなかったんだから仕方ないじゃんか……。
「お前も、もうすぐ十六か……」
悲しげな顔をして、急にそんなことを言う爺ちゃん。
僕はパンを噛むのを止めて「どうしたの?」と、心配した表情で問いかける。
爺ちゃんは僕の言葉を聞いていないのか、俯いて黙り込んでしまった。
「爺ちゃん?」
「いや、なんでもないわい」
「そう……?」
爺ちゃんの様子は気になるものの、僕は夕食を進めた。
シチューを含み、パンを頬張る。
食事をしながら僕は爺ちゃんの顔をチラチラと確認し、さっきの表情の理由を探った。
爺ちゃんは先程までの表情が嘘みたいに、カチャカチャと食器とスプーンの音を鳴らしてシチューを食べている。
いや——心なしか、爺ちゃんの食べる量が少ない。
いつもは僕より多い量を、僕より早く食べ終わるのに。
本当にどうしてしまったんだ?
もしかして病気とか? もう歳だし有り得るんだよな……。
「病気……」
その言葉に祖父は動きを止めた。
そして何事もなかったかのように食事を再開する。
「——とかじゃないよね、大丈夫なの?」
「ああ、ワシは大丈夫だ。心配せんでいい……」
そう言って、爺ちゃんは自分の皿を持ち、それを注がれたシチューを匙を使わずに一気飲みした。
「えっ⁉︎ ちょっと! その食べ方は怒られるよ!」
「気にするなァ。これが男食いだ」
「もう・・・・・・」
意味分かんないことを自信満々に言ってのける祖父は、さっきの表情が嘘みたいに『あっけらかん』としている。
心配したのに、何だったんだ……。
爺ちゃんは早々に自分の食器を片付け、そのまま居間を出ていき、二階にある自室に戻っていってしまった。
「うーん……? よしっ」
僕は祖父が階段を上り、自室に帰っていったことを確認。
何者かに見られていないかをキョロキョロと見回して、爺ちゃんと同じ食べ方で一気に食事を終えた。
一体何だったんだろう……と、さっきの祖父の様子を心配に思いながら僕は食器を洗い、外に出て風呂に入るための湯を沸かした。
そして——
「爺ちゃん! 風呂が沸いたよ!」
「はいはーい!」
んん? 普通に元気そうだな。本当に何だったんだ?
* * *
ここは風の国『ソルフーレン』
その国の山奥にある山村が、今僕が暮らしている場所だ。
そんな何にもない村にも『冬』が到来した。
どこからか流れてきた冷気が村を冷やし、雪を降らせる。
窓の外に広がる山々は冬の吹雪で、その姿を隠していた。
白しか見えない窓の外を、じーっと眺めていた僕は窓に映った『虚無顔』の自分を見て「はあ……」と溜息を吐く。
暇だ。超暇だ。これが何もしようもない冬の日常。
猛吹雪で外出なんかできるわけがなく、暇を潰しの散歩に行けない。
かといって家でやることもない。
お互いにやることがないので、家事などの『暇潰し』は祖父と取り合いになってしまっている。
僕と祖父は思考が似ているのか『そうだ!』とやってない家事を思いつくと、大体祖父が先回りして終わらせており「ハハァ! やっておいたぞ」とにこやかに煽られる。
これが毎年、我が家の冬に行われる僕と祖父の戦い。
まあ、そんなことはどうでもいい。
最近、爺ちゃんの様子がおかしい。
ぼうっとしているというか、何かをずっと考えている様子で、僕が「爺ちゃん」と呼びかけても反応しないことが多々起きている。
歳で耳が遠くなった可能性は高いが、そうとは思えない。
まるで悩みでもあるかのように、夜中に食卓で頭を抱えているところを最近よく見るのだ。
それに対し「どうしたの?」って僕が問いかけても「何でもない」と言って、まともに答えないし。
「苦しいところがあるならカカさんに——」と言っても「病気じゃない」の一点張りだ。
村にいる僕の教師でもある『薬師のカカさん』に「病気なのか?」と聞いても「違うよ」と答えられるし、病気ではないんだろうけど。流石に心配してしまう。
爺ちゃんは、今は僕のたった一人の家族だ。
もし爺ちゃんに何かあったら、僕は一人ぼっちになってしまうかもしれない。
それは、すごく嫌だ……。
僕は母さんみたいに家族が目の前から居なくなってしまうのが、とても怖い。
膝を抱え、そこに顔を埋める。
そのままボーッと固まっていると、コンコンと扉から音が鳴った。
どうやら部屋をノックされたらしい。
僕はベットから立ち上がり、部屋の扉を開ける。
部屋の外には——何か、覚悟を決めたような顔をした祖父が立っていた。
「ソラ、少し話がある」
「う、うん」
真剣な表情のまま「居間に来てくれ」と言われ、頷いた僕は祖父の後をついて行く。
何の話かは分からないが、この話で僕の『何か』が決定的に変わるって——そんな予感がする。
正直、怖い。
でも……怖いからって逃げるわけにはいかないんだ。
居間に着き、僕は祖父の対面の椅子に腰掛ける。
僕達が囲うのは、いつも食事を摂っている食卓だ。
今回は食事ではなく、何か『重要な話』のために使う。
「…………」
祖父は椅子に座り、何かを言おうと口を開いて——そのまま口を閉じ、祖父は黙って俯いてしまった。
顔を上げて何かを喋ろうとしては、口をパクパクと動かして、また俯く。
それを何度も、何度も繰り返して——
僕から、祖父に問うた。
「どうしたの……?」
僕の心配した声音に祖父は口を開きかけたが、力無く閉じてしまう。
こんなこと生まれて初めてだ。
いつも気丈に振る舞っている祖父が、何だか弱々しい。
最近、食事の量が減っているし食べるのも遅い。
本当に何か『病気』なんじゃないかって、胸の内がバクバクと暴れている。
そんな僕を見ていた祖父は、意を決して口を開く。
「ソラは、もうすぐ十六か……」
「う、うん」
話してきたのは、そんなたわいもない話。
確かに、このまま冬を越せば僕は誕生日を迎える。
四月二日。その日『十五歳』だった僕は『十六歳』になる。
それは村の人達全員が知っていることだ。
今そんなこと言われても、どう反応すればいいのか。
「お前も、大人になるんだな……」
「じゅ、十六歳って大人かな?」
「そうだな。でも、ワシから見ればまだまだ子供だ」
祖父は僕をまっすぐ見つめて、そんな話をしていく。
覚悟を決めた目で。寂しそうな声音で。泣きそうな表情で——
「ソラは……まだ、母さんを待っとるのか……?」
「え……?」
そんなの当たり前だ。
僕は母さんが帰ってくるのを、あの日から——三年前から待ち続けている。
爺ちゃんも、母さんが帰ってくるのを待っているのに。
何故、いきなりそんなことを。
「ソラは……」
祖父は言い淀みつつも話を続ける。
「ソラは母さんを探しに行く気は、あるのか?」
「母さんを『探し』に?」
「ああ……」
『母さんを探しに行く』
それは何度は考えたことがある。
考えるたびに『諦めて』消え去っていった思考。
『故郷を出て——世界へ』
でもそれは、僕がこの村を出ないと出来ないことだ。
僕が村から——この家から出たら、祖父は一人になる。
家族が居なくなる寂しさを僕は知っている。
爺ちゃんがした母さんが居なくなった時の、あの悲しげな顔を僕は見ていたんだ。
だから爺ちゃんを一人にするなんて、僕には……。
「ソラッッッ‼︎」
「えっ——」
僕の「旅には出られない』と言うような顔を見た祖父は、ドカンっとテーブルに拳を突き下ろし、凄まじい轟音を立てテーブルが——いつも使っていた食卓が木っ端微塵に弾け飛ぶ。
僕は飛んでくる食卓の破片から、咄嗟に腕で顔を守った。
「うわあああああああああああああああああああ⁉︎」
なっ・・・・・・はあ⁉︎
い、いきなりすぎるだろっ⁉︎
後ろに避けようとしたせいで、椅子から転げ落ちたし!
でんぐり返しのように受け身はとれたけど、なんというか衝撃がすごい。
「す、すまん! 大丈夫か⁉︎」
大丈夫なわけないじゃん。
いや僕は無傷だけど、大切なテーブルが弾け飛んだよ。
祖父はバツが悪そうに、横たわる僕に手を差し伸べた。
その手を取り、僕は起き上がる。
食卓があったはずの目の前を見ると『隕石でも落ちたのか?』というくらい悲惨な状態になっていた。
これはもう、机とは言えないな。僕が割っていた薪よりも酷い『木片』だ。
呆然と『机だった』物を見る僕に、祖父はコホンと咳払いして強引に話を戻した。
「いや、そのだな。これを見て分かる通り、ワシはお前が心配するほど弱くはない! だからな、ワシの心配なんかする必要はない。どの道、ワシは老い先短いジジイからな。いつか……お前を置いて死にゆくジジイなんだ。だから、ワシは『ソラの好きなように生きてほしい』と伝えたかったんだ」
祖父は母さんそっくりの眼差しで、そう僕に伝えてくれた。
僕は目を見開く。それで考える。僕のやりたいこと、今の僕の望み。
僕は——
「僕は。母さんと、もう一度話がしたい。母さんと会って『育ててくれてありがとう』って、言いたい……」
僕は肩を震わせながら嗚咽を漏らし、涙を溢れさせる。
祖父はそんな僕の頭を優しく撫でてくれた。
「僕、母さんを探しに行くよ……」
「ああ、行ってこい。ソラはワシの孫だから、ワシそっくりの強い男なんだ。だから、大丈夫だ」
「うっ……うん……っ!」
僕は、母さんを探しの旅に出ることを決意した。
冬を越し、十六歳の誕生日を迎えた翌日。
僕の『旅』は始まる。
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