第42話:緊急事態
「坂理、一旦落ち着いて」
速水は、水の入ったコップを差し出し、ソファに座るよう促す。
「ありがとうございます」
坂理はソファに腰掛け、水を一口飲むと、ゆっくり乱れた呼吸を整える。
「お前がそんなに慌てるなんて珍しいな」
「ごめん、事が事だったからつい」
驚く多香屋に、坂理はつぶやくように答える。
「それで、何があったんだ? 」
速水が落ち着いた口調で問いかける。
「ナノビーンズが人身売買に関わっているのがわかったんです」
「えっ? 」
坂理の一言に、数人が思わず動揺の声を漏らす。
青野は自分の耳を疑った。この現代日本で、しかも、人目に付くようなところで人身売買が行われているなんて信じられない。もし過去の自分であったなら、冗談だと笑い飛ばしたことだろう。だが、今は状況が状況である。それに、この情報を持ってきたのは他でもない坂理なのだ。到底現実とは思えない話だが、嘘や勘違いである可能性は極めて低い。
「どうやらカフェに来た女の子たちをさらって、海外に売り飛ばすつもりらしいんです」
坂理は言葉を続ける。
「なるほど、それは確かな情報か? 」
速水は険しい表情で尋ねる。
それは、坂理を疑っているというより、受け入れ難いがために出た質問だった。
「はい、もちろん証拠はあります」
坂理はスマホを操作し、皆から見えるよう、テーブルの上にそれを置いた。
「マジか…… 」
多香屋は驚愕とも落胆とも取れるような声を漏らす。
スマホの画面には、複数枚の写真が映し出されていた。暗くてはっきりは見えないが、複数人の少女が、ガタイのいい男たちに抱えられ、どこかへ連れて行かれる様子がばっちり写っている。
「さすがに動画撮るのは怖かったので、遠くから写真だけは撮ってきました」
「そうか、よく帰ってきたな」
速水は、坂理の行動力の高さに感心する。
「それで、ここからが本題なんですけど、この女の子たちの中に、学園の生徒も何人かいるんです。おそらく湖森も…… 」
坂理はスマホを回収し、言葉を続ける。
「確かに、学園の生徒も巻き込まれてるとなると尚更無視できないな」
速水は難しい表情で考え込む。
「あと、時間もあまりなくて…… 」
「それはどういう? 」
言い淀む坂理に、川辺が続きを促す。
「男たちが、取引は明日の夜だって言ってるのを聞いたんです」
恐る恐る告げられた坂理の言葉に、皆が絶句した。
もしその話が本当だとすれば、時間がない。一刻も早く女の子たちを助け出さなければ、取り返しのつかないことになるだろう。考えれば考えるほど心配になり、青野は、今すぐにでも部屋を飛び出して行きたい衝動に駆られる。
「ちなみに、その男たちがどこに行ったのかわかるか? 」
「すみません、さすがにそこまでは…… 」
速水の問いかけに、坂理は静かに首を横に振る。
「いや、気にするな。むしろ深追いしなかったのは賢明な判断だ」
「ありがとうございます」
穏やかな口調で答える早見に、坂理は小さく笑った。
「先生、探しに行かなくていいんですか? 」
とうとう我慢できなくなり、青野が尋ねる。
「そうだな、明日の朝にでも捜索に行こうと思う」
「え、時間がないなら今すぐにでも動いたほうが…… 」
冷静に答える速水に、千春が納得できないといった様子で反論する。
「いや、俺も先生に賛成だ。この時間から外に出るのはかえって危険だと思う。そういう組織は夜活発に動くからな」
「まあ、確かに…… 」
川辺がたしなめるようにそう言うと、千春はうつむきがちにうなずいた。
「とにかく、探しに行くとしたら明日の朝からだ。危険だから参加は強制じゃないが、みんなどうする? 」
速水は皆に向かって問いかける。
「もちろん、言い出したのは俺なので参加します」
坂理が言った。
「俺も行きます、やっぱり心配なので」
それに釣られるように、青野も手を上げる。
いくら危険だとはいえ、金のカケラをすべて集めると宣言した以上、ここで引き下がるわけにはいかない。それに、何より、さらわれた女の子たちが、湖森彩音のことが心配なのだ。
それからは、言葉が伝染していくように、多香屋、千春、川辺が手を上げ、最終的にはその場にいた全員が参加の意を表明した。
「結局全員か」
速水が苦笑まじりにつぶやく。
「刹那さんも行くんですか? 」
「うん、今回はできるだけ人手が多いほうがいいだろうからね」
千春の問いかけに、刹那は優しい口調で答える。
「それじゃあ、今日はこれで解散。明日の7時にまたここに集まって。朝食をとってから出発しよ」
速水はそう言うと、食器を洗うため、両手に皿を持ち、キッチンへと入っていく。
「坂理くんお疲れ様。今ご飯温めるからちょっと待ってね」
そう言って、刹那もキッチンのほうへ歩いていく。
「あ、ありがとうございます」
坂理は戸惑いつつもその背中に感謝を告げた。
「青野、風呂行こうぜ! 」
青野がぼーっと立ち尽くしていると、多香屋の能天気な声が聞こえてくる。
「わかった」
もはや恒例行事と化してしまった親友の誘いに、青野は軽くうなずき、多香屋と共に共有スペースを後にした。
★★★★★★★
青野は、着替えなどを撮りに一度自室に戻ってくる。
こうしている間にも、時間は刻一刻と過ぎていく。彩音は、他の女の子たちは、今どうしているのだろうか。心配でたまらないが、今の青野にはどうすることもできない。ただ準備を万全にして、朝が来るのを待つことしかできないのだ。
彼女の優しい笑顔が脳裏に過ぎる。わかっている。自分はすでに彼女にとってただのクラスメートで、彼女の隣にはもう別の誰かがいることくらい、ちゃんとわかっている。それでも、心配するくらい許されるはずだ。助けたいと思うくらい許されるはずだ。
「おーい、まだかよ! 」
部屋の外から親友の声が聞こえ、青野は我に帰る。
どうやら手に着替えを持ったままぼーっと考え事をしていたらしい。一人になるとついよくないことばかり考えてしまうのは、青野の悪い癖だ。
「今行く! 」
部屋の外にも聞こえるよう、大きな声で返事をすると、青野はそっと扉を開けた。
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