第20話 深夜の山中で人との出会い
このまま山間部まで行けたらいいのに。
そう願いながら私は、車の窓から油断無く外を確認していた。
明日香ちゃんのお母さんの家には、勝手に鍵を開けて、黒い制服の二人の人物が入って来たらしい。
明日香ちゃんが逃げたと屋敷から知らせが行き、命令に従って元の住居へ先回りしたのだと思う。
明日香ちゃんのお母さんは、鉄パイプで倒した相手のポケットから車のキーを奪って、近くに置いてあった彼らの車を盗んだ。
この事もおそらくもう知られていると思うし、いつ追いかけて来られるか分かったもんじゃない。
それでも、歩いて山間部へ向かうつもりだった事を思うと本当に助かった。
足の裏が痛いし、足全体が筋肉痛でもう限界な感じ。
普段の生活では、全力で走ったり長距離を歩く事なんて滅多に無かったし。高校の部活以来かも。
山間部に入っても彼らは追ってくるかもしれないけど、歩かなくていい今のうちに出来るだけ体力を回復しておきたい。
視線だけは油断なく外に向けながら、私は痛む足をさすったり揉んだりしていた。
「来てる!後ろから」
追ってくる車が見えて、私は二人に伝えた。
「前からも来てる」
明日香ちゃんが、私の方を振り返って言った。
前後から追い詰めて、諦めさせて停車させるつもりなのか。
それとももっと強硬手段に出て、体当たりしてでも止める気なのか。
昼間なら運送や配達の自動運転の車など沢山走り回っているけれど、この時間になると街中にほとんど車の姿は無い。
今もそうで、他の車は見かけなかった。
多少無茶な運転をしても、他の車とぶつかって事故を起こす可能性はほとんど無さそうに思える。
「運転が荒くなるかもしれないけど、頑張ってつかまってて」
そう言われて座り直した途端、車は大きく揺れた。
車一台やっと通れるくらいの細い路地に入る。
一方通行を逆走しているかもしれないけど、今気にしてるどころじゃ無いのは分かる。
前と後ろから来られたら、横に逃げるしかない。
車は、路地を抜けるとまた別の細い道に入り、さらに途中に分かれ道があればそこに入り、追ってくる相手を翻弄するように複雑に走り回った。
私はすでに方向感覚が無くなっている。
「お母さんは逃げる事だけ考えて。道順は私が把握してるから大丈夫」
「頼むよ」
前で交わされる二人の会話を聞いて、私は安心した。
こっちは何の役にも立ってないけど。
散々路地を走り回った後、広い道路に出た。
前を見ると、道を塞ぐように彼らの車が止まっていた。
「まだ居たのか。しつこい」
再び素早くハンドルを切って、すぐ横の路地に入った。
この道は行き止まりだ。
抜けられない。
おそらく三人同時にそう思った。
その瞬間、こっちに体当たりする気で後ろから追って来ていた彼らの車が、止まるタイミングを失ってそのまま突っ込んでいった。
次の瞬間、道を塞いでいる車に激突して派手な音を立てた。
「一旦戻って。すぐ道があるから」
「了解」
明日香ちゃんが言って、お母さんがバックで車を出し、来た道を戻る方向に走らせる。
路地から出た時にチラッと見えたけれど、彼らの車は二台とも大破したらしい。
それでもあれくらいなら、死人は出てないと思うけど。
すぐには追って来れまいと思う。
「そこ。右に入って。そのまま真っ直ぐ」
「次のところ左。このまま行けば出られる」
明日香ちゃんの言った通り、再び広い道路に出た。
振り返ると、さっきの二台とはまだ別の、追ってくる車が見えた。
けれど、かなり距離はある。
少し引き離してから再び路地に入り、明日香ちゃんの案内で方向を変えながら走った。
「もう大通りに出なくても、この道を真っ直ぐ行けば山の方に行けるはずだけど・・・」
明日香ちゃんの記憶は合っていたらしい。
途中から、同じ形の集合住宅を見かけなくなった。
工場のようなのが沢山ある中を抜けて行くと、ついに山が見えてきた。
「そろそろ車捨てる?」
「山道の手前まで行ったらね」
「あそこから入ったって丸わかりになるけど。まあ仕方ないか」
「山に入ってから道を変えれば大丈夫でしょ」
山道に入る手前で、私達は車を降りた。
私は、さっき車の中にあった懐中電灯を盗って来ていたので、それを使って足元を照らした。
舗装されていない土の道を、木の枝をかき分けながら進む。
並んで歩ける道幅は無く、懐中電灯を持った私が先頭で一列になって進んだ。
歩き始めて数分経った頃、背後で物凄い爆発音が響いた。
私は思わず、ギャーと叫び声をあげて飛び上がった。
さっき乗り捨てた車が、遠隔で爆破されたらしい。
振り返って見ると二人は、頭を低くしてしゃがんだだけで声は立てなかった。
急に恥ずかしくなってきた。
「やっぱりやられたね」
「乗ってなくて良かったよ」
「私達が死んだかどうか見に行くと思うし、その間は時間稼げるね」
「死んでないと分かったらまた追ってくるだろうけど。この道だと車では来れないね」
「今のうち、少しでも遠くへ行こう」
私はまだ体の震えが止まらないのに、二人は平然と話している。
足がガクガクしている事に気付かれないように、私は平静を装って歩き続けた。
土の道を歩くのは、アスファルトの上を歩くのと違って不思議と疲れ方が少ない気がする。
急な上り坂というのでもないし、足元に注意して木の枝を避けながら、慎重に進んでいれば問題無かった。
ある程度奥まで進んだというところで、少しだけ開けた場所に出たので、ここで一旦座って休憩を取ることにした。
照明はこの懐中電灯しかないけど、今日は月明かりだけでもけっこう明るくて、夜の森の中と言ってもそんなに怖い感じはしなかった。
夜中にこれ以上奥まで行くと、道に迷ったり野生動物に襲われる危険もあるかもしれない。
それなら夜が明けるまでもう間も無くだし、ここで少しだけ休んだ方がいいという話になった。
考える事は大体、三人共通らしい。
明日香ちゃんのお母さんは、リュックの中にペットボトルの水を入れて持ってきていて、それを私達にも少しずつ分けてくれた。
体力の消耗と精神的緊張で、喉はカラカラだった。
水をこれほど美味しいと思ったのは、生まれて初めてかもしれない。
私は地下道を探すことだけで精一杯で、そこまで頭が回らなかった。
飲み水の事まで気が付いて、持ってきてくれた事が本当にありがたい。
やっぱり別行動もしなくてよかった。
飲み水も無く一人で山の中を歩き回っていたら、今頃どうなっていたかと思うと恐ろしくなる。
家でお父さんが居なくなって一人になった時の、心細さを私は思い出した。
やっぱり、人との繋がり、周りの人の存在って大きい。
今日は危機的状況の中で会って、相手の顔もしっかり見ていないような状況だったので、やっと少しゆっくりお互いの事を話せた。
明日香ちゃんのお母さんの名前は、みゆきさんと言って幸という漢字一文字で書く。
見た目はもっと若く見えたけど、年は51歳だった。
明日香ちゃんがまだ3歳の頃に、旦那さんは交通事故で亡くなってしまい、働きながら女手一つで子育てをしてきたらしい。
なるほど逞しいわけだ。
「だけど知識の方はさっぱりでね。明日香から聞かなかったら、この生活に何の疑問も無かったし」
「子育てとか仕事とか忙しかったからじゃないですか?」
私は思ったままを言ってみた。
「それもあるけど今思えば、意図的に忙しくさせられてるんだよね。考える暇を与えない。長時間働いてヘロヘロに疲れて帰ってきて、ぼーっとテレビ見て一日が終わる。そうなったら表に出てるニュースしか頭に入ってこないし、何にも考えずに全部信じるからね」
「お母さんだけじゃなくて、ほとんど皆んなそうなんだよね。だから彼らが君臨していられる」
「私もつい最近までそうだったから、人のこと言えないです。父のノートを見てなかったら、多分今でもずっと何の疑問も無くあの生活してたと思うし」
「知らない方が良かったと思う?」
明日香ちゃんが聞いてきた。
「それは思わない。支配者がどういう存在なのか・・・それ以前に支配者が居ることさえ知らなかったけど。知らないでそこに居るのって最悪だと思う。知っててもそこに居たいって私が決めて居るんならいいけど。私は二度とあの生活に戻りたいとは思わない。知ったから、こうやって選べるんだと思う」
私は、父が連れ去られた時の事と、その時見つけたノートの事を、もう一度簡単に話した。
「荷物はほとんど捨ててきたけど、このノートだけは鞄に入れて持ってきたんです。だけど、食糧と水は持ってくるべきでしたね」
「希望ちゃんも多分私と同じような状況だったと思うけど、あの屋敷から持ち出すのは難しいよ。すぐあやしまれる」
「それはそうかもね」
「鞄に重い物入れてたらあんなに走れないし」
背後でガサッと音がした気がして、私は振り向いた。
「誰!?」
突然、近くの草むらから獣が飛び出してきた。
それは低く唸り声を上げていて、今にも飛びかかってきそうに見える。
もしかして狼とか?
冷たい汗が背中を伝い落ちた。
「逃げたらダメだよ。走ったら追いかけてくるから」
幸さんが、小声でそう言った。
そうだ。こういう時、相手を刺激してはいけない。
私は懐中電灯も地面に向けた。
「背中を向けないで。相手の方を見たままゆっくり後ろに下がって」
私は頷いて、言われた通り一歩ずつゆっくり下がった。
獣が現れた方から、再びガサガサと音がし始めた。
今度はさっきよりはっきりと聞こえる。
仲間を連れてきたとか?
私はもう生きた心地がしなかった。
突然、獣が激しく吠え始めた。
この鳴き声って、犬?
狼じゃなくて野犬とか?
だとしても怖いには違いない。
それともまさか追手が、犬を連れて探しに来たとか?
だったら更に最悪。
激しい絶望感が襲ってきて、私は気を失いそうになった。
「どうしたんだい。ウメキチ。何か居るのかい?」
犬の後ろから草むらをかき分けて、小柄の人物が姿を現した。
声からして、どうも老人らしい。
え?追手じゃなかったの?
私は、持っていた懐中電灯でゆっくりと相手を照らした。
小柄なお婆さんが立っていて、その横にはお爺さんも居る。
彼らの前にいるのは、逞しい体つきの黒い犬だった。
「もういいよ。ごくろうさん」
お婆さんは、犬に向かってそう言って背中を撫でた。
「あらまあ。人間が三人も」
「脅かしてすまなかったねぇ。侵入者かと思ったもんだから、こいつは吠えて知らせてくれたらしい」
追手ではなかったし、この人達に敵意は無いみたい。
一気に力が抜けて、私はその場にへたり込んだ。
「希望ちゃん大丈夫?」
「大丈夫。もう終わったかと思った」
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