第19話 山間部を目指す
塀に沿って、私と明日香ちゃんはひたすら進んだ。
最初は必死で走ったけれど、ずっと走っていては体力がもたない。
まだ追手が来る様子も無いので、途中からは歩いた。
時刻は深夜なので、全ての住居が明かりを消していて、辺りはシーンと静まりかえっている。
私達は、歩きながら色々な事を話した。
私が父のノートのことを少しずつ話しても、明日香ちゃんは特に驚かなかった。
数年前から色々な事に疑問を持って、できる限り調べようとしていたらしい。
その頃が、まだインターネット上にも自由に閲覧出来る様々な情報があり、本も自由に読めたギリギリの時期という事だった。
私の方が年上なのに・・・何も考えずその頃を、ぼーっと生きていた事が少し悔やまれる。
明日香ちゃんは、母親がむしろそのタイプで、最初全然わかってくれなかったけれど根気よく話していったという事だった。
どこの家も似たようなものなのか。
しっかりした人が一人居れば何とかなるらしい。
明日香ちゃんは私と同じ信用スコアCのランクで、母親が一つ下のDランク。
私とほぼ同じような家に住んで、同じような生活をしていたらしい。
ある時「結婚許可」が来て、一人暮らしの母親を残して移動したと言う。
私もそうだったけど今思えば、あれは許可じゃなくて命令そのものだ。
市街地のこちら側の壁には「危険区域」「立ち入り禁止」の目立つ表示があちこちにある。
上には有刺鉄線が張ってあるし、こっちから見ると本当に入っては危ない何かがあるように見える。
真実を知ってしまうと、よくもこれだけ堂々と図々しい嘘が吐けるもんだと、怒りを通り越して感心するばかりだ。
塀のあるこの地域は、最も貧しい人達の住居が並んでいる。
信用スコアでFランクと言われる人達。
父のノートを読んでからは、支配者で非人類種の彼らが決めたそんなランク付けなど、何の意味も無いと思ってるけど。
ランクの低い者から、一番危険とされている立ち入り禁止区域の近くで、上になっていくほどそこから離れられるという建前らしい。
本当は、塀一枚隔てた向こうには広大な敷地を持つ美しい庭が広がっているのだから、こっち寄りの方がむしろ環境はいいのかもしれないけど。
Fランクの人達が住むコンクリートの箱のような集合住宅は、小さな通気口が付いているだけで窓も無く、一部屋のスペースも寝るのが精一杯な位狭いようだ。
共同トイレと、コインを入れれば数分間使える共同シャワーが外にあるけれど。
ゆっくりと湯船に浸かる楽しみも、自分の好きな物を所有して部屋に置く楽しみも、ここには存在しない。
雨風がしのげるだけ外よりマシというだけで、刑務所とさほど変わらないのではないかと思う。
信用スコアA-1の彼らの生活を見てしまった後で、あまりの違いに愕然とする。
市街地にいた時の私の生活だって、ここと大して違いはしない。
ユニットバスが室内にあって、ここよりは部屋がちょっとだけ広い程度で、同じようにコンクリートの箱。
常に監視カメラで見張られ、会話も聞かれていて、決められたスケジュール通りに生活しなければ、すぐに警告のメッセージが来る。
彼らの支配下に居る限り、私達にとって自由に無い。
以前は、あの生活が普通だと思っていたけれど・・・父のノートを読んで、彼らの生活を実際に見て、彼らに支配されている事をはっきりと知った。
知る事はショックだったけれど、だからこそ抜け出したいと思えた。
「半年も居るとね、屋敷で働いてる人達とも少しは繋がれるようになるよ」
「本当?挨拶しても誰も返してくれないし、機械と接してるみたいだったけど」
「私も最初はそうだった。おそらく会話は禁止だから。それでもあの人達の中にも色んな個性の人が居て、本当は屋敷から抜け出したいと思ってる人も居たよ。長く居ると少しずつ分かってくる」
「それはそうだろうね。私も一度、すごくショックな光景を見たから。今日もそうだけど、それより前にも・・・」
使用人の制服姿の若い男性二人が、脱出計画を話していた時すぐに殺されたらしい場面。私はそれを見てしまった。
明日香ちゃんにそれを話すと、そういう事があそこでは度々あったと言う。
「いつも助けられなくて、ただ見ているだけでどうする事も出来なくて、
本当に悔しかったし悲しかったけど」
「遠隔で何か操作しているとしたら、周りに誰が居てもどうする事も出来ないよね」
「屋敷で働いている人達はおそらく皆んな、体にマイクロチップ入れてるから・・・それだと、自分の生殺与奪の権利を握るのは、雇い主側って事になる」
「私は、お父さんがそれを知ってたから助かった。マイクロチップ入れるの止めてくれたし。普段あんまり感情出さない方なのに、あの時だけはすごい剣幕で言われたから今でも覚えてる。私はその頃何にも知らなくて、入れたら色々と便利なんだろうぐらいに思ってたし」
「表ではいい事しか言わないからね。ほとんどの人はそう思うよ。もしあの時、流行りに乗ってマイクロチップなんか入れてたら、希望ちゃんも私も今頃生きてなかったからね。逃げたと分かった時点で即消される」
「ほんとだね。怖すぎる」
その時は何気ない決断が、後で生死を分ける。
止めてくれた父に本当に感謝だ。
明日香ちゃんは、じっくり半年間かけて脱出を計画していて、私よりもかなり多くの事を知っていた。
屋敷から通じる地下通路が、どんな風になっていて、どうやったら市街地に出られるか。
市街地に出たら、そこからどっちへ向かえば山間部を目指せるか。
塀の向こうの市街地は、どんな形で住居が並んでいるか。
市街地と彼らの居住地を隔てる塀は、どこまで続いているのかと思うほど長かった。
いくら履き慣れた靴でも歩き通しで足の裏が痛くなってきた頃、明日香ちゃんが、自分はここから一旦市街地の中に向かうと言ってきた。
そこに住んでいる母親と会って合流するためで、私に無理について来てとは言わなかった。
「市街地は監視カメラだらけだし、彼らに雇われた人間も多いのは知ってるよね?ここでグズグズしている間に捕まるかもしれないし、真っ直ぐに山間部へ向かった方が逃げ切れる確率は高いかもしれない。ここまで一緒に居られただけでも随分と心強かったから、本当にありがとう。ここからは、別行動で行く?後で会えるかもしれないし」
「私の事考えてくれてありがとう。だけど、良かったら一緒に行くよ。一人より二人三人の方が、何かあった時も対処出来る気がする」
「分かった。ありがとう」
私達は、二人で連れ立って市街地の奥へと進んだ。
信用スコアFランクの人達の居住区から、Eランクの人達の居住区へ、そこを抜けてさらに先へ進んで行く。
「私達の住んでた所と、ほとんど同じだね」
私と父が住んでいた場所と同じような、集合住宅がズラリと並んでいる。
「集合住宅の形って全部一緒だから。先に場所の見当つけてないと、多分迷うと思う」
「そうだよね。今は暗いし余計わかりにくいかも。まだかなり先?」
「もう近いはず。この辺りは見覚えあるから・・・」
言いかけて、私の一歩前を歩いていた明日香ちゃんが突然振り返って方向を変えた。
「見つかったかも。逃げよう」
小声でそう言ったあと、すぐに走り出した。
私も続いて走った。
私は全く気がついてなかったけど、誰か潜んでいたのか。
「先回りされたかも」
路地に逃げ込んでから、明日香ちゃんがそう言った。
「私がお母さんに会いに行くって予測されてたかも。希望ちゃんは家に今誰も居ないから帰らないだろうし、家に寄るとしたら私だから。追手が先回りして待ってたみたい。黒い制服の人が二人見えた」
黒い制服というと、私がここから移動する時も家に来た彼らか・・・汚れ仕事を請け負っている人達のようだから、逃げた人間を捕まえるのも彼らの役目なのかと思う。
「暗闇であの格好だと見つけにくいよね。こっちが不利か」
「そうでもないよ。彼らだけ夜目がきくわけでも無いし。この辺りの道なら、多分私の方がよく知ってる」
「お母さんとの合流は?」
「これくらいの期間で私が逃げてくる事は、予想して待っててくれるはずだから。いつでも出られる用意はしてくれてると思う」
「家が分かるなら表通りを避けて、とりあえず行ってみる?」
明日香ちゃんが見たと言う追手の二人は、路地に逃げ込んだ私達を見失ったらしい。
この辺りは似たような道ばかりで、一度見失うと見つけにくいはず。
私は明日香ちゃんの後から走って、お母さんの住む家の方へ向かった。
向かいながら、考えまいとしても最悪の予想が、頭の中をよぎる。
私達の家は、外から勝手に鍵を開けられてしまう。
私は以前それを体験した。
先回りした彼らが、お母さんを拉致して家の中で待ち伏せしているということも、あり得なくはない。
少し先の建物の中から、誰かが走って出てきた。
追手が来た?
そう思って逃げかけた時、明日香ちゃんが「待って」と私を止めた。
「お母さん」
「え?そうなの?」
走ってこっちに向かって来たのは、確かに女性だった。
「良かった。もしかしたらあいつらが先に家に行ったんじゃないかって思って・・・」
明日香ちゃんも、言わなくても考えている事は私と同じだったらしい。
「来たよ。返り討ちにしてやったけどね。来るだろうって前々から予測してたから良かったよ。何にも考えずに普通に暮らしてたら、間違いなくやられてたと思うけど」
部屋をわざと真っ暗にして、追手が鍵を開けて入ってきたところでフラッシュライトを使って視覚を奪い、その間に鉄パイプで殴り倒したと言う。
なかなか逞しい人だと思う。
お母さんは見たところ40代半ば位で、明日香ちゃんとは全然似ていなかった。身長165センチの私と同じくらいだから、この世代の人にしては大柄で筋肉質。明るめの色に染めた髪はショートカットで、直線的な濃い眉と切れ長の目が凛々しくて、ちょっと中性的な感じ。
明日香ちゃんが、お母さんに私を紹介してくれた。
気さくな人みたいで、すぐに打ち解けて話せた。
「そっちに車隠してるから行こう。歩いて行くよりその方が早い」
「車ってどこで調達したの?」
明日香ちゃんが聞いた。
私達のランクの人間は、個人で車を所有する事は出来ない。
「かっぱらったんだよ。奴らが乗って来た車」
お母さんが運転して明日香ちゃんが助手席に乗り、私は後部座席に乗って後ろから追手が来ないか確認し続けた。
「この車も多分追跡されてると思うけど」
「そうだろうね。それでも行ける所まで行って、山間部に行ったら乗り捨てればいいし」
「遠隔で爆破とかされたらヤバくない?」
「市街地でそれはやらないと思うよ」
「そうか・・・そうだよね。市街地の人達に知られたくないから、派手な追跡はしないとは私も思った。爆破だったら事故で誤魔化せるかと思ったけど、やっぱり目立つもんね」
「山間部でならやるかもしれないから、それまでに車を捨てないとまずいけど」
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