第18話 敷地内からの脱出に成功
この時間なので、誰にも会う事無く倉庫まで行けた。
彼らもまだ帰ってきていない。
倉庫の中に入り、一番大きなダンボール箱を軽く押すと、地下への入り口が開いた。
下に降りると、微かな音が聞こえてきた。
何か叩いているような、響く音が伝わってくる。
人の声。騒めきのようなのも聞こえる。
真っ直ぐ行った先から?それとも脇道の方から?
どちらから聞こえてくる音なのか、ここに居てはまだ分からない。
誰か居るとしたら、上手く避けないと見つかる可能性もある。
私は、今日一度来た道を引き返す方向に進んだ。
進むにつれて、微かだった音が少しずつはっきり聞こえるようになってきた。
大勢が騒いでいる?
この地下道を知っていて使っているのは彼らだけのはずだから、今この近くで何かやってるって事?
この屋敷に数人の来客があって、しばらく滞在した後、屋敷の主も含めて全員で他の家に移動。
最初はそこの庭に集まってたみたいだけど。
あの家の倉庫から、この地下道は続いているから、あの家から皆んなでここへ来るのは考えられるけど、一体何のために?
地下にも、彼らが集まって楽しめる娯楽施設みたいなものがあるのかもしれない。
お金はうなるほど持ってるんだし、何でも作れるよね。
この道をまっすぐ進んで来た時はそんなものは無かったから、二ヶ所あった脇道のどちらかの先に、それがあるのかな。
それとも、ここの入り口みたいに壁のどこか押したら扉が開くとか?
考えながら、私はとりあえず先へ進んだ。
今のところ、壁の中から音が聞こえている感じはしないから、やっぱりどっちかの脇道の方かと思う。
近くまで行けば、二つの道のどちらから音が聞こえてきているのか分かるかもしれない。
彼らが集まっているようなら、そっちは避けて反対の道へ行けばいい。
先へ進むほど、騒いでいる人の声らしきものは、大きく聞こえてきた。
近付いたからだけじゃなくてボリュームが上がっている感じがする。
何かを打ち鳴らす音。
叩きつける音。
ただ賑やかな宴というのとは明らかに雰囲気が違う。
屋敷に来客があって、彼らが飲んで騒いでいた時とも全く違う。
話している言葉の内容までは、はっきり聞こえないけど。
攻撃的。
破壊的。
興奮状態。
狂宴。
これって・・・
大勢の人間が叫び騒ぐ声がひときわ大きくなる。
その時、人の悲鳴が、それに重なるように聞こえてきた。
今、漂ってきたのは血の匂い。
もしかしたらこれは・・・・
父のノートで読んだ、彼らが好む儀式。
誰かが今、その犠牲になってるって事?
生贄を捧げる儀式を行うのは、ここに居る彼らよりもっと上の立場の存在達で、国内ではないはずだけど・・・それを模倣して何かやっているというのはあり得る事だ。
私は、道を走りながら考えた。
どちらの道の先で、それが行われているのか。
脇道の近くまで来ると、はっきりと分かった。
こちらから見て手前にある方の道ではなかった。
彼らがいるのは、奥の方の脇道に違いない。
ということは、こちらから行って手前の方の脇道を進めば、少なくとも彼らとは鉢合わせなくて済むということか。
運が良ければそこが、市街地へ抜けられる道なのかもしれない。
違ったとしても、道がどこへ繋がるか確かめて、見つからずに戻って来れれば・・・今日は何食わぬ顔で部屋に戻って、また次の機会を狙うことが出来る。
だけど・・・今誰かが犠牲になっているのに知らん顔で通り過ぎて行くのか?
行ったからといって、おそらく私に何が出来るわけでもない。
相手は大勢居るし、助けられるわけない。
もう遅いかもしれないし。
むしろ見つかって捕まり、ここから脱出するチャンスを潰してしまうかもしれない。
もっと悪くすれば殺されるかもしれない。
それでも・・・・
冷静に考えたらきっと、無茶な選択をしていると思う。
けれど黙って通り過ぎる事は出来なかった。
脇道に入ると、今まで歩いてきた道の半分ほどの道幅で、一人が通れる程度だった。
彼らの浮かれ騒ぐ声が、だんだんはっきりと聞こえてくる。
血の匂いが濃くなってくる。
犠牲者の悲鳴はもう聞こえない。
行っても手遅れかもしれない。
それでも私は、走り続けた。
もし、まだ生きている人が居るなら・・・
放っておくことは、やっぱり出来ない。
歩道の横の石の壁には、くり抜き棚がいくつもあった。
そこには燭台、斧、剣や槍、盾、鎧など、色々な物が置いてある。
装飾品だとすれば刃の部分は使えないとしても、何か持っていれば素手よりもマシかもしれない。
私は、何か武器になる物は無いかと探しながら進んだ。
壁に固定されていなければ使えるはず。
私の力では重くて振れないかもしれないけど・・・・
刀身があまり長くない剣があったので手に取って見た。
固定はされていなくてすぐに取ることはできたけれど、予想以上に重い。
走って逃げる時には、こんな物を持っていたら不利になる。
それでも今は、何も無いよりは武器がある方が少しでも安心できた。
進んでいくと、目の前に扉があった。
頑丈そうな鉄の扉。
普通に押したくらいでは全く動かなかった。
剣を一旦下に置いて取手の部分を両手で持ち、全体重をかけて力いっぱい押すと扉は少しずつ動き、ゆっくりと開いた。
鍵がかかっていなかったのは良かったけれど力を使い果たし、これを開けるだけで私は肩で息をしていた。
扉を半開きにしたまま、再び剣を持って私は先へ進んだ。
扉は重くて普通に押したくらいではとても動かないから、逆に自然に閉まる心配は無い。
この扉が防音の役目を果たしていたらしく、彼らの声が急に大きくはっきりと聞こえてきた。
さらに奥へ進むと道は緩やかに曲がりくねっていて、突き当たりにある扉から明かりが漏れているのが見えた。
鉄製の引き手が付いた木の扉で、上の部分に黒い鉄格子の入った窓が付いている。
外から入ってくる者の顔を見て確かめるための窓かもしれない。
中では狂宴が続いている様子で騒がしく、私の履いている靴もスニーカーなので、足音で気付かれるような心配はほとんど無かった。
扉の側まで行って、私は中を覗いて見た。
中の方が明るくて、私が居る通路はそれよりも随分暗い。
中から外は見えにくいはず。
彼らは自分達の楽しみに夢中で、こちらに全く意識を向けていなかった。
梟を模った大きな石像が、正面に置かれている。
燭台がいくつも置かれていて、その前に祭壇があるようで、彼らが周りに集まっていた。
祭壇の上に何があるのか、彼らが前に居るのでここからは見えない。
彼らの人数は、ざっと見て二十人くらい。
黒いローブを着た人間の姿の者もいれば、本来の姿に戻っている者も居て、全員が興奮状態で浮かれ騒いでいる。
以前に、屋敷の二階に居る彼らを見た事があるから、彼らの正体そのものにはもう驚かなかった。
何度見ても恐ろしいものではあるけれど。
今はあの時とは違って、ただ酒を飲んで騒いでいるだけではない。
彼らの手や顔は、血に染まっている。
悍ましい儀式がここで行われている事は間違いない。
私に背中を向ける位置で祭壇の前に居た数人が、奥へ移動した。
それで初めて祭壇の上が見えた。
恐怖に目を見開いたまま息絶えている女性の顔。
私は、その顔に見覚えがあった。
何度も部屋に食事を運んでくれた人。
屋敷の使用人の女性だった。
部屋には何人か違う人が来ていたけど、数人で回していたようでその中の一人。
私が会った中で彼女が一番若くて、20歳になるかならないかに見えた。
屋敷の使用人は誰も私とは話さないので言葉を交わしたことは無かったけれど、何度も顔を見た事がある。
彼女が生きている姿を見てから、何日も経っていない。
その女性が今、目の前で死体となって横たわっている。
ぱっくりと開いた首の傷。
そこから吹き出した血を浴びて、彼らは狂ったように浮かれ騒いでいた。
悍ましさに全身が震え出した。
ここで何が行われているか知っただけで、私にはどうする事もできなかった。
また助けられなかった。
精神的ショックで気分が悪くなり、一瞬眩暈がした。
倒れそうになり、扉に手をついて体を支えた。
その時、私が持っていた剣が、扉に付いている鉄製の引き手に当たって音を立てた。
中に居た数人が、一斉にこっちを向いた。
見つかった。
私は、すぐに扉から離れて走り出した。
彼らが大勢で追ってくるのが分かる。
このままだと追いつかれる。
追手の気配をすぐ後ろに感じた時、私は一瞬で体の向きを変えて夢中で剣を振った。
相手が目の前で、ドサリと倒れた。
それを見て、後ろから追ってきていた者達が一瞬怯んだのを感じた。
私は、剣を捨てて全力で走った。
扉まであと少し。
半開きにしておいた扉から、体を滑り込ませる。
扉の取手に飛びついて、力の限り引っ張った。
重い鉄の扉が、バタンと音を立てて閉まる。
開ける時はかなり時間がかかったのに。
とりあえずこれで少しでも時間が稼げる。
私は全力で走った。
どこに繋がっているか分からないけれど、もう一本の脇道へ。
今はそれしかない。
あそこに居た者の中にはきっと、私の結婚相手も入っていたと思う。
顔を見られたとしたら、一旦屋敷へ戻るという選択肢はもう無い。
使った事の無い重い剣を振り抜いて相手を倒した事も、重い鉄の扉を一瞬で閉められた事も、自分でも信じられなかった。
私は格闘技やスポーツをやっているわけでもなく、特に筋力を鍛えているわけでもない。
普段の私の力ではとても無理だ。
これが火事場の馬鹿力というやつなのかもしれない。
こんなところで死にたくない。
私は生きてここを出て、父に会いに行く。
その思いが強いから、何でも出来たのかと思う。
脇道を抜けた時、向こうから走ってくる人の姿が見えた。
すぐそこに見える。
隣の屋敷の方角からだ。
もう連絡が行って追手が来たのか?
走ってくるのは一人で、若い女性だった。
敵?そうじゃない?
追手が差し向けられるなら、もっと大勢で来るのでは?
考えながらも私はそのまま走り続けて、もう一本の脇道に入った。
すぐ後から、さっきの女性が追いついて来た。
「このまま真っ直ぐ走って!市街地へ出られる」
後ろから、彼女が私に向かって叫んだ。
これが本当なら、抜け道を教えてくれるかもしれない。
彼女は誰?
もし罠だったら?
それでもここを進む以外、どちらにしろ他に選択肢は無い。
グズグズしていたら彼らに追いつかれる。
さっきの脇道と同じく、一人通るのがやっとの細い道を、私は走り続けた。
すぐ後ろを走っている彼女が、息を切らしながら私に向かって話し続けた。
「突き当たりの・・壁まで行って・・・」
「右側にある・・・レバーを・・引いて」
「・・壁を押して」
それを聞いて間もなく、緩やかに曲がりながら続いていた道の先に、突き当たりの壁が見えた。
右側のレバー。
確かにそれらしいのがある。
あれが見える前から彼女は言っていたから、知っていたということか。
私がレバーを引くと、ガタンと音がした。
目の前の壁を軽い力で押すと、回転扉のように開いた。
私は外へ出て、彼女がそのあとに続いた。
目の前に広がるのは、市街地だ。
外へ出られた。
「助けてくれたの?」
私は、彼女の方を振り返って聞いた。
「あなたも逃げて来たんだって分かったから」
「もしかして同じ立場とか?」
「私は半年前にここに来て、屋敷から逃げて来た。今日は留守になって、逃げ出せるチャンスだったから」
「私は来てまだ日が浅いけど、偶然地下道見つけて、今日がチャンスだと思ったから逃げて来た。ありがとう。助かった」
「お礼言われるのはまだ早いよ。逃げた事はもうバレてるから、これから追手が来る」
「私は山間部を目指すつもりだけど」
「それでいいと思う。塀に沿っていけば、方角はこっちで間違ってないはず。私は途中寄るところがあるけど、目指す方向は同じだから」
私達は、塀に沿って走り始めた。
「大軍で追ってくるのかな?」
私は走りながら聞いてみた。
「それは無いと思う。誰かを逃した不手際を、市街地の人達に知られたくないと思うから」
追ってくるのはせいぜい数人ということか。
絶対に逃げ切ってみせる。
一人で逃げる覚悟をしていたけれど思いがけず道連れが出来て、私はとても心強かった。
彼女は23歳で、思った通り同年代だった。
女性らしくたおやかで可憐な雰囲気の、とても美しい人だ。
小柄で華奢に見えるけれど、あの屋敷からここまで走って来た所を見ると体力はそれなりにあるらしい。
名前を聞くと「明日香」と教えてくれた。
私と同じで元は市街地に住んでいた彼女は、結婚によって隣の屋敷に入ったのが約半年前。
結婚相手の子供を妊娠しているかもしれないと言う。
子供の頃に父親を亡くして母親と二人暮らしだというところも、私と境遇が似ていて親しみを覚えた。
さっき「途中寄るところがある」と言ったのは、今は一人で暮らす母親の所へ行くということだった。
私の状況を話すと、暖かい言葉で励ましてくれた。
「根拠なんか無くても、そういうカンってけっこう当たるものだから。お父さんはきっと無事だと思うよ」
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