第13話 高い塀に囲まれた彼らの居住区
今までの人生で来た事もないくらい遠くへ来た。
それに今日は朝から今までだけでも、ものすごく色んなことがあった。
そのせいか、すごく長い時間が経ったように思うのに時計を見たらまだ午前中だ。
ここへ来る途中でも車の中で寝たけれど、それでも足りないのかまた眠くなってきた。
父のノートの入った鞄をクローゼットの奥に押し込んで、私は服のままベッドに横になった。
部屋が一階だった事はありがたい。
逃げる段になった時、二階から飛び降りたり、ロープでつたい降りるようなマネをしなくて済みそうだ。
外に見張りが居るのか、建物の周りにはどんな囲いがあるのか。
その辺りを調べないと始まらない。
もし脱走に失敗したら、その場で始末されるか、連れ戻されたらもう次は無い。
必ず一回で成功させなければ。
いきなり逃走経路を確保しようとして動いたりすれば怪しまれる。
安心しているフリをして、とりあえず半月くらいは行動は控えよう。
ここの建物全体に、どれくらいの人数が居るのか。
それも確かめないといけない。
考えているうちに寝てしまったようで「昼食の時間です」というAIのメッセージに起こされた。
家で聞いていた音声と全く同じ。
庶民の私達の家でも、Aランクの人の家でも、AIだけはどこの物も同じなのかなと思った。
体を起こしてベッドの端に座っていると、トントンと2回ノックの音がして同時に「失礼します」という声が聞こえた。
この部屋には、中から閉められる鍵は無い。
なので、外から突然入ろうと思えば入れるけれど、それはしなかったということか。
そう思うと、以前の暮らしより少しはマシなのかもしれない。
私は、つい最近突然家に入られた経験を思い出した。
今日案内してくれた人とは違う人が食事のトレイを持って部屋に入ってきた。
30代くらいに見える女性で、グレーの制服を着ている。
やっぱり表情は無く無言で、真ん中の丸いテーブルの上にトレイを置いた。
「ありがとうございます」
私が言うと、無言で一礼して部屋から出て行った。
ここの誰かから、何か聞き出そうというのは無理そうかな・・・・
いや、決めつけてはいけない。
まだ来たばかりだし、すぐ諦めるのも早い。
上部だけでは、一人一人どんな人なのか分からない。
そういえば今朝は8時出発だったから、配給の朝食を大急ぎで食べて、コーヒーを飲んでいる間に出発時間がきてしまった。
なので、いきなり入ってきた彼らに、コーヒーを途中で捨てられた。
やっとゆっくり食べられる。
昼食のメニューは、焼き魚、炊き込みご飯、味噌汁、小鉢が二つ付いていて中身は冷奴とほうれん草胡麻和え、温かい緑茶、デザートの果物。
食器は瀬戸物で、ご飯は炊きたて、味噌汁もお茶も熱くて、どれも驚くほど美味しかった。
和食なんて本当に久しぶり。
そういえばほんの数年前までは、こういうメニューも普通に食べることが出来ていた。
配給の食事が当たり前になって以降それに慣れていたけれど、食べ物ってこんなに美味しかったんだと改めて思った。
食べ終わって窓の外を見ると、気持ちのいい天気だ。
さっき食事を運んできてくれた時も外から鍵を閉められた音はしなかったし・・・普通に開くのかな?
そう思って扉を押してみると、すんなり開いた。
出ていいって事?
考えたら、普通はそのはずだ。
仮にもこの家の主と結婚したわけだから。
拉致されたわけじゃないし、閉じ込められる方がおかしい。
ここに来る以前も、居住場所は決められているし遠くまでは行けなかったけれど、家から一切出てはいけないという決まりは無かった。
それと同じだとしたら、玄関から出てこの近辺を散策するぐらいかまわないはず。
それくらいなら怪しまれることでも無いし。
私は部屋から出て、廊下を通って玄関へ行った。
この部屋は玄関から近いので、すぐ外に出られた。
廊下にも、玄関を出てすぐの場所にも、制服姿の使用人が居て姿を見られたけれど、誰も何も言わなかった。
相変わらず皆んな無表情で、一切話しかけてこないし、もしかして私の姿が見えてないんじゃないかと思うほどだ。
そういう風に教育されているのかもしれないけど。
外の様子は、ここに来た時にも一度は見た。
けれど今度は、もっとゆっくり見ることが出来た。
昼の時間帯なので、今朝よりも外に人が居る。
果樹園や畑で作業している数人の姿が見られた。
庭の掃除をしている人も居る。
外で働く人達も屋敷内に居る人達と同じ色合いの制服で、作業着のような服装だった。
私が近くを通っても無関心、無表情で黙々と作業している。
この様子は、中にいる人達と変わらない。
けれど何となく、醸し出す雰囲気が少しだけ柔らかい気がした。
空気が綺麗で広々とした、環境のいい場所で働いているからかもしれない。
裏庭にある畑、水田、果樹園がある場所を歩いてさらに先へ進んでみると、来た時にもチラッと見た建物が向こうに見えた。
こちらの建物の離れが何かか?
母家の敷地との間には木の柵があるけれど、出入り口が付いていて自由に出入り出来る形になっている。
私はそのまま近づいていった。
母家が西洋風なのに対して、こちらの建物は純和風だった。
離れといっても相当の広さがある。
生垣に囲まれた美しい日本庭園があり、その奥に立派な瓦屋根の住居。
少し離れたところに茶室のような建物もある。
庭の掃除をしている人と、生垣の剪定をしている人の姿があった。
生垣に沿って通り過ぎ、さらに奥へ進むと、雑木林が広がっていた。
真ん中には細い遊歩道があり、散歩コースになっているのか。
緩やかに曲がりながら続いている道を歩いて行くと、色とりどりの花が咲いていて、果物の木もあり、鳥のさえずりが聞こえる。
小動物や昆虫の姿も見られた。
どこか懐かしい気がする。
子供の頃見た景色に、どことなく近いような・・・
道は一本道なので迷う心配は無く、私は行けるところまでどんどん歩いていった。
雑木林を抜けると、目の前数メートルのところにいきなり高い塀が現れた。
3メートル以上の高さはあると思う。
鉄製の丈夫そうな物で、その塀に沿って所々木が植えられていたり花壇があったりして、見栄え良く整えられている。
けれど、塀の最上部には有刺鉄線が張られている。
さっきの、母家と離れの間にあった柵とは大違い。
この塀は・・・・この場所と、外の世界とを区切っている壁。
それは、遥か向こうまで続いている。
この塀の長さは一体どれくらいあるのか・・・・
数百メートルどころでは無いか・・・1キロメートル位?もしかしてもっと長いのかも。
今朝ここに来た時は、外が見えない車に乗っていたから、どこからこの敷地内に入ったのか分からなかった。
方向的にはこっちは母家の裏庭がある方で、私が来たのは玄関の方からだから・・・・
そっちにも多分これと同じ塀があって、敷地をぐるりと囲んでいるのかと思う。
父のノートに書いてあった事を思い出す。
「支配層の彼らの居住区は、高い塀に囲まれている。
一般庶民と、彼ら特権階級を隔てる壁だ。
壁の向こうにあるのは、大きくて立派な家と広々とした庭。
彼らの住居は本当に美しく自然豊かで、家同士の間も広く空いている。
特権階級の彼らだけがそこに住むために、嘘の理由をつけて庶民をそこに近付けないようにしている。
土砂崩れなどの自然災害があったり凶暴な野生動物の出没などで、近付くと危険な場所とされている区域があるのは、希望も聞いた事があると思う。
実際、一般庶民の居住区側から見ると、危険区域、立ち入り禁止と書かれている。
それを知らないほとんどの一般庶民は、本当に危険な場所なのだと信じてそこへは近付こうとしない。
希望がもし上のランクの相手と結婚する事が有れば、この塀の内側を見ることになると思う」
これも、父のノートに書いてあった通りだ。
不自然に高い塀。
彼ら特権階級と、一般庶民とを隔てる壁。
ここからは塀の内側しか見えないけれど・・・・
危険区域で入ってはいけない場所があるというのは、ここに来る前の生活の中で、そう言えば何度か聞いたことがあった。
何が危険区域だ。
一般庶民を平気で騙して、環境が良く贅の限りを尽くした自分達の生活を守っている。
それが彼らのやり方ということだ。
私が今日見たのは今のところ、広大な敷地の中に建っているこの家一軒だけ。
けれど、彼らの居住区という事は、きっと他にも家があるんだと思う。
それぞれの家が、一軒につきこのくらいの敷地を持っているという事なのか。
私の今までの生活と比べると、あり得ない広さだ。
「平均的生活」と言われていた私達の住む集合住宅には、庭どころかベランダも窓も無かった。
私がもし父のノートを読んでいなかったら、庭を散策してここまで来たとしても、これが何のための塀なのか気が付かなかったと思う。
敷地内の他の場所と比べて、高い塀に有刺鉄線って、ここだけなんか雰囲気違うなとは思ったかもしれないけど。
裕福な人達だから防犯には気をつけているのかと、その程度に考えて納得していたと思う。
ここで働いている人達は、これが何のための塀なのか知っているんだろうか・・・・
この屋敷の人達は、私が庭を歩いてここまで来る可能性は分かっているはず。
それでもこの塀が何のための物で、塀の向こうに何があるか、気がつくとは思っていないという事か。
たしかに私は、父のノートを読まなければ気が付かなかったと思うし、それは彼らの考え通りだと思う。
ということは、塀まで来たからといって私が塀を乗り越えて逃げるとは全く思っていないはず。
それなら勝算はある。
問題は、この高さの塀をどうやって越えるか。
それか塀を越えなくても、どこかに出入り出来る場所があるならそれを探し当てればいい。
まずはどんな方法でもいいからこの塀の外に出る。
彼らの居住区から出て市街地に入り、街の中心部から外れた方向へ進む。
市街地を囲むようにまだ残っているはずの山間部を目指す。
そこまで考えたところで、私はそろそろ引き返そうと歩き始めた。
自由に散策が出来るなら、毎日普通に散歩しているフリで、あちこち見て回れる。
それをしながら、逃げる方法をじっくり考えればいい。
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