第10話 今の住居を去る日 Aランクの人々の住む場所

ノートを読むのに集中していて疲れたのか、昨日はベッドに入ってすぐに眠くなった。

一度も目が覚める事なく気がついたら朝7時半を回っていて、私はアラームが鳴る前に起き上がった。

「まだ起床時間ではない」とか警告が来るかと思ったら、大丈夫らしい。

移動が午前8時という事だったから、着替える時間くらいはくれるという事か。

着替えて顔を洗い、歯を磨いて、持って行く荷物を確認する。

そんなに大きい鞄は無いから、服や食器類、本など入らない物は沢山あるけれど仕方ない。

一番大切なノート、特に気に入っている本数冊、ブラシ、手鏡、化粧品、スマホ・・・小さい方の鞄に、使用頻度の高い物を入れた。

この鞄よりサイズがもう少し大きめの、もう一つの鞄には特に気に入っている服を入れた。

季節ごとの服に下着や靴下、パジャマもあるので、精一杯詰め込んでも全部はとても持っていけない。

父の荷物が処分された時の様子を思い、ここに残す自分の荷物が捨てられる事を思うと胸が痛んだ。

ここで食べる最後の朝食を戸棚から出して、電気ポットでお湯を沸かし、インスタントコーヒーを入れた。

時計を見ると残り時間があと5分ほどだったので、急いで食べた。


何とか食べ終わってコーヒーを飲んでいると、突然玄関の鍵が開けられて数人が入って来た。

父の荷物を捨てに来た時と全く同じだから、私は特に驚きもしなかった。


ゴミ袋を持った二人が私の部屋に入って行き、物をどんどん捨て始めた。

一人が戸棚の中の物を捨て、他の一人が私の飲みかけのコーヒーをテーブルから持ち去って流しに捨てた。

この分だと部屋から引きずり出されそうな気がして、それは嫌なので私は立ち上がった。

自分で歩いて行く方がよほどマシだから。

一人が、私の持っている鞄の大きい方を掴んで取り上げた。

「待って!これは着替えとか・・・」

相手は私の顔も見ずに、鞄を近くに居たもう一人に渡した。

ゴミ袋を持っていたその人物は、私の鞄をそこに放り込んだ。

持っていけるのは鞄一つだけという事か。

逆らっても何を言っても無駄な事は、昨日の状況から分かっている。

昨日のように争って突き飛ばされて怪我をしたり、無理やり引きずって行かれるのは避けたい。

私はすぐに鞄を諦めた。

こっちの鞄さえ取られなければいい。

無駄な体力は使うまいと思った。


一人が先導しているのか玄関の方に向かって歩いて行ったので、私はついて行った。

去り際に壁の表示を見ると、私の個人識別番号が消えるのが見えた。


エレベーターで下まで降りるとワゴン車が待っていて、後部座席の扉が開いているので私は乗り込んだ。

窓には覆いがかかっていて中は薄暗く、乗ったことはないけど警察の護送車ってこんな感じかと思うような車内の雰囲気だった。

昨日は、いきなり人が家に勝手に入ってきて父の持ち物を捨て始めるもんだから、面食らって固まってしまった。

びっくりしすぎて入って来た人達の事もよく見ていなかったけれど、今は少し観察する余裕が出てきた。


昨日も今日もそうだけど・・・家に入ってきて荷物を捨てたり人を運んだり、こういう作業をする人達というのは一言も言葉を発しない。

挨拶なんてもちろんしないし、無言で勝手に入ってきて全ての作業を黙々と行う。

こっちの質問にも一切答えない。

逆らえば腕力でねじ伏せにくる。

けれど、私が何か言ったり逆らったりした事に対して、怒りや苛立ちの感情は伝わってこない。

表情一つ変わらない。

ただひたすら機械のように、やるべき事を実行しているという様子。


制服なのか全員同じ服装をしていて、黒の長袖の上衣に黒のズボン。黒の帽子、マスク、手袋、靴。

服の胸と背中、マスク、帽子の前と後ろに個人識別番号らしき数字が書かれている。

その数字の横にC-2という表示があり、これは全員同じだった。

これはおそらく信用スコアの数字。

私のすぐ上のランクの人達という事か。

職業の種類の中には、こういう事をやる職業というのもあるらしい。

人の家に行き、荷物を始末し、人を運ぶ。

移動の理由が、治験でも召集でも結婚でも、多分やる事は同じ。

この車の運転も、おそらく同じ仕事の人がやってるのかなと思う。


言葉を発しないだけでなく、この人達には表情が無い。

見えている部分が少ないというのもあるけれど、それにしても・・・

表情が無い事に加えて何の感情も伝わって来ない。

最初、人間ではなくてAIを搭載されたアンドロイドか何かかと思ったくらいだ。

よく見ていると瞬きはするし、生きた人間の気配は感じられるので、アンドロイドでは無さそうだと分かった。

身長や体格の違いから、男性も女性も居るようだけど。

髪の長い人は居なくて、帽子でほぼ隠れているから分からないけれど髪型まで性別関係なく皆んな一緒なんじゃないかと思う。


今は、運転席に男性が一人。

この人は最初から車に乗ってここで待ってたらしい。

助手席に一人。

私の前のシートに並んで三人。

運転席の人以外の四人が、私の部屋に入って来た人達。

うち二人は女性だと思う。

今は後ろ姿しか見えないけど、この人達同士の会話も無い。

皆んな真っ直ぐ前を向いたまま、姿勢も変えずに無言で座っている。

一体どういう人達なのか・・・

この人達も、仕事を終えてプライベートな時間は、普通に人間らしく過ごすのかな。

何だか想像できない。

人間らしくという事で言えば、私の今の生活だって人間らしくないのかもしれないけど。

父のノートを読んでから、そう思うようになった。


私は、いつの間にか座ったままウトウトしていた。

この状況でも寝られるなんて、けっこう図太くなってきたかも。

寝ている事に関しては別に咎められもしないし、起こされもしないらしい。

ただ私を所定の場所まで運べばいいという任務なのかと思う。

前の席を見ると、相変わらず皆さん同じ姿勢で、真っ直ぐ正面を向いて座っている。


車に乗ってからどれくらい時間が経ったのか。

私はスマホを取り出して時刻を確認した。

この事も別に止められはしなかった。

時刻は午前9時半過ぎ。

1時間くらい寝ていたらしい。

外の景色はわからないけど、どんな場所に来ているのか・・・

普段は勝手に遠くまで行くのは禁止だし、家から徒歩10分圏内で生活の全てが済んでしまう場所に居たから・・・

こんなに遠くまで来たのって、微かに覚えている子供の頃以来だ。


それからさらに1時間以上走って、やっと車が止まった。

ドアが開いたので、降りろという事かと思って、私は外に出た。

降りようと足元を見た時に、最初に見えたのは土の地面で、すごく意外だった。

地面に立って前を見ると、目に飛び込んできたのは緑豊かな場所で更に意外だった。

林の中に小道が伸びていて、数十メートル向こうにあるらしい木製の門に向かって続いている。


先導していく一人がそこを歩いて行くので、私はついて行った。


なんか想像してたのと全然違う。


Aランクの人達の住む所だから、私が今までいた場所よりも更に近代的な場所だと思い込んでいた。

高層ビルがいくつも立ち並んで、自動運転の車が走り回り、ドローンが飛び回っている場所だと思っていた。


そういえば、父のノートに書いてあった。

支配層の彼らは、自分達は自然豊かな場所に住んでいると。

医療に関しても、効くかどうかあやしい原始的な民間療法と言われているようなものを、彼らは好んで使う。

私達が知っている最新医療というものは、彼らは決して自分達には使わない。

定期検診だの人間ドックだのと、頻繁な検査をすることもない。

何故なら、人間の体にとって本当は何が一番合っていて害が無く、副作用なども無いに等しいか、彼らは知り尽くしているから。

頻繁な精密検査で被曝するような、バカなマネもしない。

それでむしろ健康を害する事をよく知っているから。


健康に関してこれが標準という数値を設定して(しかもそれは度々変えられ、健康とされる範囲は狭まっている)その数値から外れると病気ということになる今の状況は、彼らの都合により作り出された。

そんな事が書いてあった。

そのあとに、医療ビジネスに関する事が詳しい内容が続いていた。


それを読むまで私は、頻繁に精密に検査する事で病気が早く見つかり命が助かると信じていた。


何なら病気になる前に、遺伝子を操作したり内臓を摘出して、病気になるのを未然に防ぐ事が最良のやり方だというのも信じていた。


今住んでいる住居や町の形が、最も近代的で便利で快適で、最高の環境だと信じていた。

上のランクの人は、それと同じような形の、もっと広い所に住んでいるのかなと想像していた。

父のノートに書かれている内容を読むまでは。


支配層の彼らは、高層ビルなんかに住まないし、アスファルトに覆われた場所にも住まない。

強い電磁波に晒され続ける環境にも身を置かない。

それが人体にとって強いストレスになり、有害だとよく知っているから。

私達が住んでいる町の形は、便利で安全で快適に生きられるように作られたという表向きの情報とは違い、彼らが私達を管理しやすいように作られていると、父のノートに書いてあった。


Aランクの人達は一体どんな場所に住み、暮らしているのか。

私は今からそれを見る事が出来る。




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