第5話 幸せと信じていた今の生活は「見えない檻の中」


「この家には鉄格子があるわけでもないし、玄関から外へは出られるし、自由だと思うかもしれない。けれど、本当にそうなのか。今の状況は自由と言えるのか、一度疑問を持ってみてほしい。そこから全てが変わってくる。怖いと思うためにではなくて、これを知らないと本当の自由を選ぶことは出来ないから。


俺が若かった頃から、色々な規制はあって自由とはとても言えなかったけれど、今の世の中よりはかなりマシだった。

あの頃よりも今は、ずっと酷い状況になっている。

酷い状況などと言われても、希望はピンとこないかもしれないが。

表面上は「便利になった」「安全になった」「幸せに暮らせるようになった」という情報しか出てこないから。


彼らはそうやって少しずつ、長い時間をかけて支配を強めてきている。

ここで言う「彼ら」というのは後に説明するが、国のトップである個人や組織の事を言っているわけではない。

彼らはそのずっと上に居て、それより下に居る人間達は全て、彼らの思惑通りに動いているにすぎない。

今ある信用スコアのAランクと言ったって全部この位置だ。

彼らに最も近いごく少数の者を除いては、彼らの思惑通りに自分が動いているとは知らない者の方が多いと思う。


俺達の今の状況は、本当は自由などではなく、表向きのトップの上に、決して姿を現さない本当の支配者が存在している。


こんな話は、映画か漫画かゲームの中の事だと思うか、お父さんは認知症が始まったんだと希望は思うかもしれないが。


何年もかけて調べてきて、やっぱりこの結論に辿りついて、俺はこれが間違っているとは思わない。


今の日常を、一度じっくり振り返ってみてほしい。

そして「当たり前」だと思っている事に対して疑問を持ってみてほしい。


なぜ、起きる時間、寝る時間を自分で決めてはいけないのか


なぜ、働く時間、休日を自分で決めてはいけないのか


なぜ、どんな仕事をするか自分で選んではいけないのか


なぜ、住む場所を自分で選んではいけないのか


なぜ、食べる物を、食べる時間を、自分で選んではいけないのか


なぜ、全ての個人情報が一括管理されているのか


なぜ、信用スコアというランク付けがあるのか


なぜ、外にも家の中にも監視カメラが付いていて行動の全てを見られているのか。


同じく、なぜ会話の全てを聞かれているのか


普段と違う行動をしたり、示されている「正しい情報」と違う発言をしたら、なぜ警告が来るのか


なぜ、人間関係を好きに作ってはいけないのか


なぜ、自由に恋愛してはいけないのか、結婚相手を選んではいけないのか


なぜ、自由に子供を作ってはいけないのか


なぜ、子供を自分で育ててはいけないのか


なぜ、彼らが人を集めるとなれば俺達には断る権利が無いのか



他にもあるが、まずはこれくらいのところで。


ここに一度、疑問を持ってみてほしい。


希望は、これは全部当たり前だと思っているだろうし、お父さんは何を急に変な事を言い出すんだろうと思ったかもしれない。

けれど、数年前までこれは当たり前では無かったんだ。

希望の子供の頃の事も、よく思い出してみてほしい」


疑問って・・・

今の生活って、全部普通だよね。

皆んなにとって、これが一番いいんだよね。

何で疑問なんだろう。


Aランクの人達より上に支配者が居るって・・・

そんな事絶対あり得ないよね。


そう思ったけれど何故か私は、ここで読むのを止めたいとは思わなかった。

何でそう思うのかわからないけれど、読み続けなければいけない、私にとって何か大切な事が書かれている気がした。


子供の頃の事・・・

私は、ぼんやりと浮かんでくる過去の記憶を辿った。

少しずつ少しずつ、子供の頃の体験が、断片的に思い出される。


お父さんもお母さんも元気で、お爺ちゃんとお婆ちゃんが居て・・・

犬も猫も居たっけ。

今は動物と暮らしてはいけないけれど。

今みたいな形の家じゃなくて、小さいけど一軒ずつ分かれた家で・・・

畳の間があった。

土の庭があった。

花が咲いていた。

畑で採れた野菜を、近所の人が持ってきてくれた。

近所の畑って、家の近くにあって、夏にはキュウリとかトマトとか見たような・・・

蝶が飛んできたりとか、地面にも虫が居たり・・・

季節・・・

そういえば、春夏秋冬を感じる事があった。

毎日見る景色の変化。

山の色、空の色、雲の形、花や虫などの生き物の様子。

食べ物も、あの頃のご飯って、今みたいな感じじゃなくて・・・

そう。食べ物でも季節の変化を感じた。

お母さんが作ってくれたお味噌汁とか、煮物のおかずとか、ふっくら炊き上がった白いご飯とか。

季節ごとに、出てくる野菜が変わっていった。

食べたらすごく、元気が出た気がする。

食べることって体を維持するだけじゃなくて、楽しみでもあったかも。


何だろう。

すごく暖かい感じがする。

この感覚って何?

胸の奥から湧き上がって来てるような・・・


今の生活に疑問を持つなんて。

普通はあり得ない。

父の言っている事は、一般常識から大きく外れている。

知らない人が聞いたら間違いなく頭がおかしいと思うだろうし、それこそAIに聞かれたら病院送りに決まっている。


それでも・・・何だろう。

私には父の言っている事がおかしいとは思えない。

頭で考えたらめちゃくちゃだし、理屈が通ってないんだけど。

頭じゃないところで、何かわからないけど。


さっきも、子供の頃のことを思い出すと胸の奥に何か温かいものを感じた。

今までずっと、何で忘れてたんだろう。


今は・・・・


ライフスタイル、住所、職業、結婚相手などを自分で選ぶより、最新の個人情報分析と適性検査によって決めてもらった方が、失敗の無い人生を歩める。


次世代の育成を考え、優秀な遺伝子を持つ子供を作るためにも、最適な者同士の結婚は不可欠なこと。


食べ物やタイムスケジュールも管理してもらう方が、健康でいられる。


監視カメラがあるから、犯罪に巻き込まれたりする事もなく生涯安全に暮らせる。


信用スコアによって管理してもらう事で、能力人格共に本当に優秀な人が高い地位について、間違いない方向に導いてくれる。


犯罪を犯しそうな人を事前に予測して、逮捕、隔離してくれる事によって、私達は安全に生きられる。


信用スコアのランクの低い人達に対しても見捨ててはいない。そういう人達は戦争や治験に参加する事によって国全体の役に立つ事ができて、意義のある人生を送れる。


子供は自分で育てるより教育機関に預ける事によって、幼い頃から正しい知識を身につける事ができて、信用スコアの高ランクを目指す事ができ、立派な人間になれる。


今までずっと、教えられてきた事、正しいと信じてきた事を、心の中で繰り返してみる。


何故だろう。

これは正しいはずなのに、さっきまで感じていた温かさが急激に引いていくような気がした。

体が緊張でガチガチになって、胸の奥が冷えていく感じ。


父のメッセージは、私が信じていた事を根底から覆すものだった。


それでも私はノートを読み続けた。


ゆっくりゆっくり内容を確認しながら、自分の事に照らし合わせながら、一冊目を読み終える頃には急激に眠気がきた。


どれくらい眠ったのか。布団の中でノートを広げたまま、私は熟睡していたらしい。


「起床時間になりました」

AIからのメッセージが聞こえる。

同時に、自動設定されている目覚まし時計のアラームが鳴る。


まだ頭がスッキリしなくて起きる気がしない。


30秒も経たないうちに再びメッセージが来る。

「起床時間になりました」


何とか上半身を少し起こした。


けれどこれでは、起きたとみなされないらしい。

アラームの鳴る感覚が短く速くなる。


「起床時間になりました。起床時間になりました。起床時間に・・・」

メッセージの音声のボリュームと、アラームの音がどんどん大きくなり、頭の中で反響し始めた。


頭の中から金槌で叩かれているような気がする。

続けて聞いていると気分が悪くなり、吐きそうになった。

これってものすごいストレスだ。


まだ起きたくはないけれど、これ以上この音を聞きたくなくて、私は無理やり体を起こしてベッドから出た。


「何で今起きないといけないんだろう」


私は初めて疑問に思った。



















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