第3話 父の部屋で見つけた私へのメッセージ

夕方の6時まで、何とか頑張って仕事をこなした。

「終了時間です」とパソコンの画面に表示が出て、仕事が終わる。

普段は、終わったらすぐにリビングに行って配給の食品を食べるのに。

今日は気持ちが落ち込み過ぎていて食べる気がしない。

昼もそうだったけど、食べないでいると「食事の時間です」というメッセージが繰り返されるので、無理やり食べた。

味も何も感じないし、食欲のない時の食事は苦痛でしかなかった。

今もまだ胃が重たい感じがして、吐きそうでムカムカする。


多分、今日のことでかなりストレスがかかってるのかと思う。

しばらくボーッとしていると「食事の時間です」というAIからのメッセージが流れた。

私は、重い体を引きずるようにしてリビングへ行き、戸棚から夕食を出してきて無理やり食べた。  

これって、こんな味だったっけ?

味が無くてボソボソして、おが屑でも食べているような気持ちになる。


頭はボーッとしているのに無意識に電気ポットのスイッチを入れていたようで、気がついたらお湯が沸いていた。

カップスープの入った紙コップにお湯を注ぐ。

これも今は飲みたくなかったけど、無理やり喉に流し込んだ。

一人で食事をしていると、昨日までの夕食は父と一緒だった事が思い出される。

気が付いたら涙が溢れていて、私は泣きながら食べていた。


泣いてはいけない。

父はまだ帰ってこないと決まったわけじゃないのに。

治験に行った人達が、どれくらいの期間どこへ行って、どんな内容の治験に協力しているのか、私も詳しい事は何も知らない。

連れていかれるのはFランクの人がほとんどで、たまに人数が足りなければEランクからという感じだった。

なのでこの事が起きるまで私は、自分と父はそれより上のランクだから関係ないし大丈夫と思っていた。

こうなってみて初めて、治験に行った人達のことを考えた。

皆んな、家族が居たかもしれないし、一人だったとしても自分のやりたい事とかあるかもしれないのに。

ある日突然そのお知らせが来て、来たら最後、断るという選択肢は無い。


そんな事を思いながら、食べ終えてしばらくボーッとしていると「シャワーの時間です」というメッセージが流れた。

シャワーなんか浴びる気もしないし、今はこのまま、何もしないでただ蹲っていたかった。

「シャワーの時間です」

またメッセージが流れた。

これでもまだ動かなければメッセージが繰り返され、次には多分警告のブザーが鳴る。

今まで、食事やシャワーの時間を守らなかった経験が無いし知らなかったけど。

食事の時もメッセージが流れたし、警告のブザーの音を聞くのが嫌で、私はのろのろと立ち上がった。


無理やりでもシャワーを浴びて、髪や体を洗って歯を磨くと、少しだけ頭がスッキリしてきた。

「休憩時間です」というメッセージが来て時計を見ると、ちょうど7時。

いつもはこのメッセージが来る前にテレビを見始めるから、メッセージを聞いたのは初めてだった。

今日はテレビを見る気もしなくて、リビングの椅子に座ったまま目を閉じてじっとしていると、いきなりブザーが鳴った。

サイレン音に近い警告のブザーとは、少し音の質が違う。

細く響く、ピィーッという音。

大きくはないけれど、嫌な感じで耳に残る。

「まだ就寝時間ではありません。まだ就寝時間ではありません。まだ就寝時間ではありません。まだ就寝時間ではありません。まだ・・・」

鳴り続けるブザーの音に被せるように繰り返されるメッセージは、私が目を開けて立ち上がるまで続いた。

いつも、寝るまでの休憩時間にはテレビを見るか、スマホの画面で動画を見ている。

いつもと違うことをすると警告がくるらしい。

これも、いつもと違うことをした経験など無かったから知らなかったけど。


実際見てなくても、見ているフリをすれば大丈夫かもしれない。

画面も音量も大きいテレビより、スマホを見ているフリをする方が楽そうに思えたので、私は自室へ向かった。

反対側に、扉を開けっぱなしにしたままの父の部屋が見える。

私は、ふと思いついて父の部屋に入ってみた。

ベッド、机、椅子、仕事道具を入れた棚と、その上に本が20冊ほど並んでいる。

それだけでいっぱいになってしまう狭い部屋。

母が生きていた頃は両親が今の私の部屋の方で、私がこっちの部屋を使っていた。

父は、母が亡くなって一人になった事と、私の仕事には広い部屋が要るだろうと言って代わってくれた。


几帳面な性格の父らしく、ベッドは綺麗に整えられている。

机の上には、開いたままのノートと見本帳、万年筆がそのままになっていた。

父の趣味はペン習字で、以前は書道も得意だった。

万年筆の文字も達筆で美しい。

今は手書きの文字が使われる機会も無いから、実際に普段使うことは無かったみたいだけど。

父はそれでも、趣味として文字を書くことを続けていた。


手書きの文字なんて前に書いたのはいつだったか・・・私は思い出せないくらい、今の生活では文字を書くことが無い。

それでも何の不自由も無いから、今まで忘れていた。

でも、今こうして丁寧に書かれた手書きの文字を見ると、やっぱりいいなあと思うし美しいと思う。

父のこういう特技は、今の世の中では一切評価されないけれど。

左側に、開かれた見本帳。

その見本帳の文字を丁寧に書き写した1ページ目。

B5のノートに、びっしりと文字が並んでいる。


何気なく次のページを開いてみた時、私は息を呑んだ。

(これって・・・・)

辛うじて、声には出さなかった。

そこに書かれているのは、見本帳の写しではなかった。

パラパラとめくる感じで、他のページを開いてみる。

そこにも、見本帳の写しとはまるで違う文字が並んでいた。

1ページ目だけが、見本帳の写し。

これは、次のページ以降に書かれている文章を隠すための、カムフラージュに違いなかった。

2ページ目の最初には「希望へ」と書かれている。

これは父から私へのメッセージに違いない。

漢字で希望と書いて「のぞみ」と読む、父と母が色々考えた末に付けてくれた、私も大好きな名前。


ノートは、今開いてある物の下に、もう2冊あった。

1ページ目だけを見ると、何の変哲も無い文字の練習用ノート。

1冊目の「希望へ」という文字の部分に、2冊目は②の表記、3冊目には同じく③の表記があった。

あとの2冊も1冊目と同じく、文字の練習とはまるで違う文章が書かれている。

内容は、3冊にわたって続いているらしい。


「リビング又は自室に戻ってください」

父の部屋に入って1分も経っていないのに、もうAIのメッセージが来た。

こんなことまで言われるのか。

これも今までずっと、仕事が終わったらリビングでテレビを見るか自室でスマホを見ている事しか無かったから知らなかった。

部屋に何ヵ所か付いているはずの監視カメラ。どの位置にあるのか・・・

今までは、突然の体調不良や犯罪から私達を見守ってくれている監視カメラの存在を、疎ましく思ったことなどなかった。

けれど今は・・・このノートは見られてはいけない。

わざわざ隠すように工夫してまで、父が私に伝えようとしたメッセージを必ず最後まで読みたいと思う。

それまで、絶対に見つかってはいけない。


私は、1冊目のノートだけを素早く服の中に隠した。

今着ているのがゆったりしたパジャマだから、隠しやすかった。

警告のメッセージが来ないところを見ると、見つかっていないはず。

あとは何食わぬ顔で、見本帳はそのままに、2冊目のノートの最初のページを開いておいた。

パッと見たくらいでは、最初の状態と変わった事などわからないと思う。

それに、父がやっていたのが見た目通り趣味のペン習字だとAIに認識されていたなら、このノートに関して注目はされていないと思う。

もし内容が見つかっていたなら、このままここにあるわけないし。


私は、部屋に戻ってベッドに寝転び、スマホの動画を見るフリをして過ごした。

実際は、スマホを枕に立てかけて動画を流しながら、うつ伏せに寝そべって目を閉じた。

この姿勢なら、眠っていてもバレないかなと思ったから。

服の中に入れたノートは、そのまま体の下に敷いている感じだ。

今のうちに出来るだけ睡眠を取ろう。

夜中にノートを読むために。







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