第2話 孤独と不安
朝8時に、目覚ましのアラームが鳴った。
設定時間に変更は無かった。
ひとまず安心する。
日常のタイムスケジュールの方は、変更無しなのかな。
けれどまだ確実に安心は出来ない。
日常のスケジュールに変更が無くても、信用スコアの数字は変わっているかもしれない。
月末の昨日、査定が行われているはずで、変更が有れば深夜のうちに変わっていて、今朝見たら違う数字になっているかもしれない。
深夜明け方に一度見に行くという手もあるけど、やっぱり怖くて見れなかった。
どうせ数時間後には嫌でも分かるんだけど。
恐る恐る、壁の表示を確かめる。
私の個人識別番号の横には、C-3と表示されていた。
良かった。
変わっていなかった。
変わっていないで喜んでちゃいけないんだけど。
常に上を目指さなければ。
これからもっと頑張るとして、とりあえず今のランクだけは絶対に死守したい。
特に今年は私にとってすごく大事な年だから。
来月、25歳の誕生日を迎える。
去年の健康診断、適性診断、能力査定の結果、私は25歳を迎えたら結婚許可と出産許可がおりることが決まった。
Dランク以下の人には与えられない特権。
もしランクが下がったらその全てが無理になるから、何としても今のランクには留まりたかった。
もしかしたら、私より上のランクの相手との結婚もあるかもしれない。
父の個人識別番号に目を移した時、さっきまでの喜びが萎んでしまった。
来るべき時が来たということかもしれない。
昨日までD-2だった信用スコアの数字は、一気にE-3まで下がっていた。
回ってくる仕事量が減ったこともあるのかな。
それと、昨日の問題発言もそうだけど父はここ数ヶ月特に、やらかしてしまうことが多かった。
63歳という年齢を考えると、つい昔のことが懐かしくなったりしてしまうのも分かるけど。
特に食べ物の事とか、医療の事とか、通信システムとかお金とか、絶対タブーな内容にも触れてたし。
悪気無いんだろうけど。
国民全体の情報リテラシー向上のために誤情報を排除するのはすごく大切な事だって、テレビでも繰り返し言ってるし。
そこ分かってないと、さすがにまずいよね。
でも、今これを考えても仕方ない。
その分私が頑張って仕事して、そしたら家全体として働きは悪くないって評価してもらえるかな。
父の起床時間は8時半と決められているので、私はそれまでの30分に朝のルーティーンを終える。
服を着替え、ユニットバスに付いている水道で顔を洗い髪を整えて、歯を磨く。
化粧水と乳液で軽く肌を整えて、メイクを終えるのに15分ほど。
配給の食事を戸棚から出してきて、朝はこれの他にインスタントコーヒーを入れる。
数分で食べ終えた頃、ちょうど父が起きてくる。
信用スコアの事で父は落ち込むかなと思ったら、あまり気にしていない様子だった。
壁の数字をチラッと見て「下がったのか」と言っただけで、それ以上この事を話題にしなかった。
「俺が生きていた年月の中では、こういうシステムが無い期間の方がずっと長かったから」と、前にたしか言っていた。
この発言にも警告が入ったけど。
この事に関しては、実際今のシステムが始まったのが割と最近の事なのは私も知っている。
だけど、それを言ってしまうとまるで「このシステムが無くても人間は生きていける」と言っているような印象を与えかねない。
そうなると、公共の利益を損なう反社会的発言ということになる。
朝食を出して並べている父に、私は声をかけた。
「仕事始まる前に、ちょっとだけ出てくるね。お父さん、何か買いたい物ある?」
「買い物か。特に無いよ。気をつけて行っておいで」
父が見送ってくれて、私は玄関を出た。
エレベーターで下に向かう。
この時間出かける人はまだ少ないから、人には会わなかった。
仕事開始時間までちょうど30分ある。
月初めには、前月の評価に応じたポイントがもらえる。
スマホの画面を見ると表示されていて、これを見るのが毎月の楽しみ。
近くのコンビニで、細かく何回も好きな物を買うか、一度で思い切って使ってショッピングモールで服でも買うか。
どっちでもいいんだけど、楽しみは何回もあるほうがいいから、私は大抵コンビニで買い物の方を選ぶ。
一番近いコンビニは歩いて5分で行ける場所にあるので、余裕で行って帰ってこれる。
(お父さん何も要らないって言ってたけど、買って帰ったら食べるかな)
私はあれこれ迷ってからスナック菓子3つと、菓子パンを2つ取って店を出た。出た瞬間に、会計は終わっている。
一応スマホの画面を確認。
買った物と金額が表示されていて、貰ったポイントが今使った分だけ減っている。
コンビニから出て集合住宅前まで戻ってくると、前に止まっていた車がちょうど発信するところだった。
そのワゴン車は私の横を通って、走り去って行った。
あれは役所の車で、人を運ぶ時に使う物だ。
こんなに朝早くから、一体何だろう?
特に何のお知らせもなかった気がするけど・・・・
帰ったらすぐ仕事開始だけど、今買った物をお昼と今晩に食べられるから今日は楽しみが多い。
お父さんには、帰ったら先に渡してあげようかな。
聞いたらいつも「特に要らない」って言うけど「自分のために全部使えばいい」って思ってくれてるからに違いない。それくらいは分かる。
それでも買ってきて強引にあげたら要らないとは言わないし、喜んでくれてるのかと思う。
私はエレベーターで18階まで上がり、ドアを開けた。
「お父さん。お菓子買ってきたよ」
返事は無かった。
入ってすぐ玄関、リビングまで見渡せる狭い空間。
私の部屋も父の部屋も、扉は大抵開けっぱなしにしているし、聞こえているはず。
もしかして具合悪くなって倒れたりしてないよね。
父の部屋を覗いて見ても居ないし、トイレで倒れてるかもしれないとトイレのドアも開けて見た。
「お父さん!お父さん!どこ・・・」
悪い予感がする。
心臓の鼓動が激しくなり、嫌な汗が出てきた。
頭がパニックになってくる。
私が出た後、出かけたとか?
でも出かけるなんて言ってなかったし。
黙って出て行くなんて無いし。
徘徊するような認知症なんかじゃないし。
ちょっと待って・・・さっきの車・・・ここの前に止まってた。
「9時になりました。仕事を開始してください」
AIからの警告のメッセージが流れた。
それどころじゃない。
私は動けなかった。
「開始時間を過ぎています。仕事を開始してください」
ものの数十秒もしないうちに、再びメッセージが来る。
警告のブザーが鳴り始めた。
うるさい!
思いついて父の個人識別番号に目を向けると、信用スコアの数字の横に「移動」の文字が出ている。
やっぱり思った通りだ。
そんなこと聞いてなかったのに。
ランク下がったけどまだEなのに。
だけど、足りない場合は次のランクから補充するというのもたしか決まっていたような気がする。
下のランクの人間が足りなかったってこと?
今予定されている新薬の治験は・・・
私は、パソコンで検索をかけて調べた。
「開始時間を1分過ぎています。仕事を開始してください」
再び警告のブザーが鳴る。
パソコンの前に座っていても、違うことをしているのはAIにバレているらしい。
違うことをした経験なんて無いから知らなかった。
・・・あった。これか。これから感染拡大が予想される新型インフルエンザの治療薬として・・・これもそうか。新型のウィルスに対応する新しいワクチンの・・・
「開始時間を2分過ぎています。仕事を開始してください」
また警告のブザーが2度3度連続で鳴る。
うるさい!うるさい!うるさい!
今までずっと時間通りにやってきて、1分2分過ぎたくらいでこんなに言われるとは知らなかった。
新薬の治験、予防接種の治験のため、合わせてこの地域で千人を集めている。
特にお知らせはこなかったのに。
緊急と書いてあるから今回は特別?
この人数集めるにはFランクの人だけで足りなかったのかも・・・
私が外出してるほんの僅かの間にこんな事になるなんて。
父は、納得して行ったんだろうか。
今の法律では、国家、組織、公の利益が個人の意思よりも優先される。
本人が納得してようがしてまいが関係ないけど。
ついさっきまで、父の信用スコアが下がった分私が頑張ればいいなんて呑気に思ってた。
そんな悠長なことを考えている場合ではなかった。
「警告します!開始時間を3分過ぎています!直ちに仕事を開始してください!」
ブザーの警告音が、ずっと連続で鳴り始めた。
耳障りな音が脳内で反響するようで、叫び出したくなる。
うるさい!
うるさい!
うるさい!
それどころじゃない!
それでも私は、仕方なくいつもの仕事を始めた。
警告のメッセージとブザーの音が止まない限り気が狂いそうだし、仕事を始めればとりあえず止まるなら・・・
頭の中では他のことを考えているのだから、入力のスピードはいつもの半分も無い。
とりあえず最低限やっているだけという感じだ。
開始して15分も経たないうちに、警告のメッセージが来た。
「集中力が途切れています。スピードアップしてください」
こんなことまで分かるのか。そ
いつも同じスピードでやってきたから、これも知らなかった。
今はとにかく仕事をしよう。
休憩時間まで何とか・・・
焦ってもダメ。
持ち堪えろ。
どうするか考えろ。
治験をやっている施設の場所が分かったとしても、私が一人で乗り込んでいって何とかなるものでもない。
周りに相談出来る人も居ない。
仕事もプライベートも、ずっとパソコンの画面かスマホの画面を見て生きてきた。
人との交流なんて無かった。
そういえばいつから?
もう思い出せない。
ここは集合住宅で周りに人はたくさんいるけど、どんな人が住んでるのかほとんど知らない。
隣の人がどんな人なのかさえ知らない。
それでも今までは、父が居たから良かった。
家の中の空気が、急激に冷えていくような気がした。
不安と心配と恐怖。
言いようの無い孤独感が押し寄せてきた。
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