見えない檻

ゆき

第1話  2030年 私の日常

呼び出し音が鳴っている。

私は椅子から立ち上がって、玄関まで行った。

狭い集合住宅の部屋の中で、わずか数秒で行ける距離。

ドローンが配達してくれた食料の箱を持って部屋に戻る。

常温の方と、青いシールの方が冷蔵庫に入れる方。

それが済むと、再びパソコンの前に座って作業を開始する。


私の仕事はデータ入力で、家から一歩も出なくても全てが完了する。

朝、チャイムが鳴ったら作業を開始し、食事休憩もチャイムが知らせてくれる。仕事は朝の9時に開始で、昼休憩15分を挟んで夕方の6時に終了。

通勤とか、残業とか、そういうのは無い。

以前の日本では、ほとんどの人が満員電車に乗って通勤していたらしい。

サービス残業といって、賃金の発生しない残業もあったという。

その経験は無いから聞いた話だけど、それって随分ハードだと思うし、それに比べたら今はすごく恵まれてるなと思う。

一昔前は、勤めていた会社が潰れて失業ということも多かったみたいだけど、そういう心配も無い。

今日本国内にある企業は数えるほどしかないけど、潰れる心配なんて無い大企業ばかりだから、その中のどこかの仕事は必ず回ってくる。

自分で仕事を選んだ経験はないけど、それでもちゃんと仕事がある。

ノルマ分の仕事をしている限り、ここに住んでいられるし食べ物も配給で届けてもらえる。


夕方には仕事終了のチャイムが鳴って、パソコンの電源をオフにする。

この部屋は窓が無くて一定の明るさにいつも保たれているから、外が明るいのか暗いのかわからないけど。

チャイムが鳴ることで時刻が分かるし、机の上にはデジタル時計もある。

壁の表示を見ると、2030年5月30日という今日の日付の表示の横に、今日の記録が出ている。

今日は仕事の途中トイレに立った回数が3回。

脈拍、心拍数、体温は正常。

作業量は通常通り。良かった。及第点だ。

個人識別番号の表示の横に表示されている、信用スコアの数字を見る。

C-3の表示は変わっていない。

上がってもいないけれど、下がってなくてホッとする。

そういえば明日は月末で、査定がある。

この1ヶ月の感じだと、大体いつも同じだから下がる事は無いと思うけど。

Cランクの中の三段階で、一番下の3はギリギリのライン。

油断するとDランクに転落してしまう。

AからFまで、それぞれがさらに三段階に分かれている。

Aランクはエリートと呼ばれる人達で、私達庶民とは格が違う。特別な頭脳を持ったごく少数の人達。

Bランクは管理職。ここにも、私達庶民では滅多に行けない。Cランク以下の人達を管理する立場にある。

Cランクは管理職補佐。Bランクの人達の仕事の補助的役割。ここまでなら、庶民でも頑張れば行けることがある。

私も学校の成績は悪くなかったからここに行けた。ギリギリだけど。

Dランクになると普通業務で、ここの人達が最も多い。

Eランクは出来る仕事が平均以下の人達。

Fランクになると、問題行動のある人、もしくは病気などで仕事ができなくて国からの援助に支えられて生きている人達。


「仕事終わったのか。夕食にするか?」

リビングから、父が声をかけてきた。

「うん。もう終わったし。ちょっと待ってね」

私は立ち上がって、数歩歩いてドアを開けた。

四畳半一間の私の部屋と、それよりもう少し狭い父の部屋と、小さな電磁調理器と流し台が付いたリビングダイニング。

ここはテーブルと椅子を置くといっぱいになって、ほとんど隙間が無い。

父が配給の食べ物を出してきてテーブルに並べていた。

紙コップに入ったスープとコッペパン、ミートボール。それにいくつかのサプリメント。これを日に3回で、1日の栄養は足りるらしい。

材料に何を使ってどうやって作っているのかは知らないけど、特にお腹が空くことも無いからきっと足りてるんだと思う。


私は電気ポットでお湯を沸かして、紙コップに注ぐ。

父は、リビングの片隅に置いてある母の遺影に手を合わせた。

朝起きた時も3度の食事の前も寝る前も、これが父の習慣。

私も日に一度は「お母さん。今日も元気でやってるよ」と遺影に声をかける。

父の仕事は機械の修理で、毎日コンスタントに仕事があるわけでは無いからDランクの2。

父は物静かな人で、自由時間には部屋で一人で過ごしていることが多い。

テレビを見るわけでもなく部屋で一人でぼーっとしてたって退屈なんじゃないかと思うけど、それでいいから気にしないでくれと言う。

別に機嫌が悪いわけでもないし、そういう父に私ももう慣れたかも。

リビングには壁に埋め込まれたテレビが設置されていて、ニュース番組の他6つのチャンネルが選べる。

バラエティ番組やドラマ、スポーツ、音楽なども放映されていて、私はこれを見るのがとても楽しみ。

スマホでもテレビと同じような番組も見れるし、電子書籍も読めるけれど、パソコンを使う仕事で目が疲れている私はテレビの方がいい。

そういえば以前は紙の本というのもあったようだけど、今ではほとんど作られなくなっし、検閲に引っかかった本はどんどん処分されたから今ではあまり見かけなくなった。


母が亡くなったのは、私が大学を出て社会人になって間もない頃だった。

あの時の予防接種がどうも体質に合わなかったのか、それまで元気だったのに急に体調を崩し始めた。

私は同じ予防接種を受けていて全く平気だったし、父は一時期体調崩しただけですぐ回復したから、親子でも体質の違いはあるみたい。

私が一番丈夫なのかな。それとも単に若いからというだけか。

母は年齢も更年期が来る頃だったし、運悪くそういうのも重なったのかもしれない。


ちょうどその頃、各家庭の電気使用量を測る装置が遠隔で測定できる最新の物にに変わったり、通信システムも最新の物に切り替わって、街中にも新しい機器が取り付けられた。

この事に対しても、何か体に合わない気がすると母は言い始めた。

特にスマホを最新の機種に買い替えた時から、全身の倦怠感や頭痛吐き気がひどくなったと言う。

きっと、新しい機種になると使い方が分からなくて、苦労したから頭も痛くなったのかなと思う。

今はもう第五世代の物がほとんどで、第六世代に移行しようという段階なのに、第四世代の物をまだ使ってるような人だったから。

年齢もいってるから仕方ないけど、そういうことになるととことん遅れている人だった。

ネットで調べてみると「今日本国内で使われている物の中で、電磁波が人体に悪影響を及ぼす様なことは無い。科学的データからはっきりしている」というようなことが書いてあり、私は母の気のせいだと思った。

体調が思わしくないと人は色んなことを考えるのかもしれない。


念のために病院へも行ったけど、更年期障害がきっかけで鬱の症状が出ていると診断された。

心療内科へも行って薬を飲むようになったけど、それでもスッキリと良くなることは無かった。

電磁波がどうとか言ったって、いつまでもアナログな物を使ってるわけにもいかないし、通信速度を速くしたり人件費を削減するのにはどうしても必要な事なのに。

私だって、母には昔のように元気になって欲しかった。

でも年齢を考えると、それなりに弱っていくのは悲しいけど仕方ないのかなとも思った。

女性の場合、更年期から急激に体調が変わることは珍しくないらしい。


その次の年に母は、健康診断で乳癌が見つかり、手術のあと抗がん剤治療を続けたけれど三ヶ月後に亡くなった。

この時は今までの人生で一番悲しかった。

父は、私よりももっと辛かったと思う。

それでも、母は十分頑張ったし病気と闘ったし、治るのが難しいならこれ以上長く苦しみが続かなくて良かったのかもしれないとも思う。

日本人の二人に一人以上が癌になることを思うと、これも仕方ないのかもしれない。

年を取れば病気になるのは普通だし、健康なまま天寿を全うする人なんて0.0001%という統計が出ているとテレビでも言っていた。

中年期以降は十年二十年寝たきりになるのが普通だということもテレビで言っていたし、それが無かっただけでもラッキーだったのかもしれない。


夕食を食べ終わって、私は戸棚からスナック菓子を取り出した。これも定期的に配給で貰える物で、昆虫のパウダーを使った物で栄養価も高いらしい。

紙パックのジュースを冷蔵庫から出して、私はテレビの前に座った。

「今度のこれ、新しい味の物みたい。お父さんは食べないの?」

「俺はいいよ。菓子はあまり好きじゃない」

「パンも残してたし、体大丈夫?」

母の具合が悪くなり始めた頃から、父はだんだん食が細くなっていった。

精神的ショックも大きかったのか、単に年齢的なものもあるかもしれないけど。

若い頃はスポーツ万能で体力があり、50代以降でも年齢の割に大食漢だったのに。

今でも、60歳を過ぎてることを思うとそれにしては、見た目はまあまあ若いけど。

食欲や体力的なところはやっぱり落ちてくるのかもしれない。


「昔は、畑で採れた新鮮な野菜があったもんだ。あれは美味かったなあ」

父が不意にそんなことを言った。

「そうなの?私はもうあんまり覚えてないけど・・・」

そういえば、十代の頃はそういう物も食べたような気がする。

美味しかったのかなあ。

よく思い出せない。

「俺が子供だった頃は、畑から直接取って食べたりしたもんだ。夏ならトマトとかキュウリ・・・」

父がそこまで言った時、ブザーが鳴り始めた。

壁に埋め込まれた装置で、警告の赤いランプが点滅する。

「今の話題。まずいんじゃない?」

「そうなのか。すまなかった」

鳴り続けるブザーの音に続いて「警告します」というAIの声が響いた。

「すみません。間違えました。取り消します」

「言ったのはあなたではありませんね」

声の識別もされているらしい。

「記憶違いでした。取り消します」

父がそう言って、やっとブザーの音は消えた。

「すまなかったな」

「いいよ。私も気がつかなくてごめん」

話題には気をつけないといけない。

私がすぐ気がついて止めれば良かった。

禁止されている話題の種類は毎月増えていくから、うっかりしてるとついやってしまう。

細心の注意を払わなければ。

「俺は部屋へ行くよ」

「分かった。おやすみ」

「おやすみ」

減点されたかな。

父は最近、今みたいに妙な事を言い始める時が増えた。

あまり何度も減点されると、ほんとにまずいことになるっていうのに。

年齢のせいで認知症が出てきたのかも。

一度病院へ行った方がいいかな。


でも今気にしても仕方ないし、次から気をつけよう。

続く様なら病院へ行けばいい。


私は気を取り直して、テレビの画面に目を向けた。

テレビを見ている時間が、やっぱり一番幸せ。

最新のは音もすごく良くなったし、映像も綺麗。

ここに座って見ているだけで、夢の世界へ誘ってくれる。














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