第32話 王都へ
微かに届く潮風を受けながら、馬車は進む。
その小さな車窓から見える景色を、ユースティアは漫然と眺めていた。海辺にあった彼女の家は今や遠く、代わりに壮大な王都の風景が少しずつその姿を現しつつある。
「五年ぶり、かぁ……」
頬杖をつき、感慨深げにユースティアは言った。
向かいの席に座るローゼオはそれから少し間を置いて、
「ユスティアたん……感傷に浸ってるところ悪いんだけど、そろそろ詳しく話してくれないかしら。『戦争が始まる』なんて急に言われても、アタシたちには何がなんだか……」
ローゼオの問いに、ユースティアはこともなげに答える。
「停戦協定で人類との共存を図っていた非戦派の魔王が、開戦派のエストリエに殺された……それによって魔王軍側のトップがエストリエになり変わっても、状況的には何もおかしくないでしょ」
「だからって、何も今すぐ戦争が始まるってわけじゃ……」
「今すぐじゃなくても、あいつの性格上、今後必ずなんらかの形で動きを見せてくるはずだよ。もう今までみたいな軽いちょっかいで済むと思わないほうがいい。備えは万全にしておくべきだ」
いつになく真剣かつ緊迫した雰囲気で話すユースティアに、隣に座っていたネーヴェも気圧されていた。しかし今の切迫した彼女の態度こそが、「銀詠のユースティア」として活躍していた当時の姿そのものなのである。
ネーヴェは半ば嬉しそうに、彼女の横顔を見て言う。
「また戦争が始まるなんて、俺には想像もつきませんけど……師匠が戻ってきてくれるなら心強い限りです! 王都に着いたらきっと大歓迎されますよ!」
「歓迎なんて、受けてる場合じゃないけどね……」
「……あら、そんなこと言ってる間に着いたみたいよ」
車窓の外に目をやって、ローゼオが言う。
王都カピターレを囲う市壁が近づき、南側に面する巨大な門が一同を迎えた。壮大な正面門の前では、衛兵として警備にあたっている憲兵たちが気難しい顔を並べている。
馬車に気づいた憲兵たちは、検問のために彼らの歩みを止めた。
「あら、こんなときに検問なんて……面倒ねぇ。ここはサルヴァトーレ聖騎士団副団長であるアタシから、直々に話を通すべきかしら?」
「それなら、私も行く。こんなとこで足止めなんて食らってられない」
ローゼオに続いて、ユースティアも馬車を降りた。
まさに一刻を争う状況の今、彼らは少しでも早く王都の中へと入らねばならない。ユースティアの姿を見た憲兵たちの間に微かな動揺が走るが、二人は迷わず彼らに詰め寄った。
「ごきげんよう、騎士団副団長のローゼオよ。急用があるの。検問なら手短にしてくれないかしら」
「っ……で、ですが、そちらは……」
「魔族側との関係で、私も色々と事情が変わったんだ。今はとにかく時間が惜しい。わかったなら早くここを通して——」
『——通すわけにはいきませんねぇ』
まくし立てるユースティアの言葉を遮るように、低声が響き渡った。聞き馴染みのある声に一同が振り返り、その方角から一人の長身の男性が歩いてくる。
ハットの下から眼光を覗かせるその佇まいは、まさにガンマン。
銀の
「……久しぶり、アルジェント。その様子だと、私を歓迎してはいなそうだね」
「ええ、立場上それはできませんからねぇ。あんたをこの先通すことは、俺らには今んとこできないんですよ。わかるでしょう、ユスティア嬢?」
たしなめるように上からものを言うアルジェントに対し、ユースティアは苛立ちから顔を歪めて反駁する。
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃない。魔王が死んで、魔族側のトップが入れ替わった——今すぐにでも戦争の準備をしないと、この街だっていずれは……!」
「それを伝えるだけなら、あんたじゃなくたってできるでしょう。何度も言いますけどね、今あんたをこの門の先に通すことは俺らにはできないんですよ」
浅く溜息をついて、アルジェントは目線を落とす。
そして左手を腰のリボルバーに添えて、
「それとも——俺らを倒して、押し通ってみますかい?」
銀色の銃口を、彼はユースティアの額に向けた。
思わぬ敵対にローゼオや憲兵たちが驚くなか、ユースティアは微塵も動じずに目の前の銃士を睨めつける。しかし、彼女の瞳に浮かんでいたのは諦めの色だった。
「……わかった。私はここに残るから、ローゼオたちはこのまま通してあげて」
「ユスティアたん……!」
銃を向けられたまま、ユースティアは続けた。
「その代わり——私と少し話をしよう、アルジェント」
◇◇◇
同刻、カピターレ市内。
突如として死神が降り立った街は、混沌と化していた。
「んだよぉ……逃げんなっつってんだろーが、あァ!?」
リヴァーレは金の長髪を振り乱しながら、両手に形成した鎌で無差別的に斬撃を放つ。遅れて避難を始めた周囲の市民たちが次々に負傷していく中、その場に居合わせていたヴァネッサたちは意を決した。
「姐さん、今すぐ市民の避難を……!」
「ああ——レベッカとアドルフォ、それからグロリアは奴から市民を守りつつ避難誘導を頼む。奴はアタシとダンテで叩く! わかったら各自行動開始!」
「「「「はい!」」」」
避難誘導組の三人が散開し、それぞれ逃げ惑う市民のもとへ駆けつける。
隊長であるヴァネッサは腰に携帯したマチェットナイフを抜き取り、地面を蹴り飛ばして敵のもとへ急行した。なりふり構わず振り続けられたリヴァーレの鎌を封じるように、正面から刃が当てられる。
「なんだァ? いい度胸してんなぁ、女ァ!」
「テメェこそ、勝手に人ん家の庭入って暴れやがって……アタシらに出会ったこと後悔させてやるよ!」
「ギハハッ! そいつァ楽しみ——だっ!?」
ヴァネッサとは別方向、背後から迫ったナイフがリヴァーレの首筋に突き刺さる。気配を消して接近していたダンテは、丸眼鏡の奥の瞳で死神を睨め付けた。
「隙が多いぞ、魔族」
「そりゃあ——どーもッ!!」
背後に向けて、リヴァーレが斬撃を飛ばす。
しかしダンテは軽い身のこなしでそれを躱すと、右肘で彼の顎に一撃を入れ、体制を崩したところにすかさず強烈な蹴りを見舞った。胴を蹴られたリヴァーレの体は吹き飛び、付近の民家の壁に衝突する。
「ひゅ〜、さっすがダンテ」
「姐さん、奴はまだ死んでません」
「わーってるよ。あいつはアタシたちで徹底的にボコボコにしてやらねーといけないらしいな」
立ち上る砂塵と瓦礫の中から、リヴァーレがふらふらと姿を現す。興醒めしたように鋭い眼光を飛ばす彼に対し、ヴァネッサはナイフを構えたまま大声で訊ねた。
「なぁ、テメェ【凶月】のリヴァーレだろ。アタシのこと覚えてるか?」
「……あァ? 覚えてねぇよ、女の顔覚えんの苦手だからなぁ〜」
「なら、きっちり胸に刻んどけ。アタシの名前をな」
マチェットナイフを片方肩に担ぎ、ヴァネッサは叫ぶ。
「アタシは〈聖王の五刃〉隊長、ヴァネッサ・ヴェンデッタ。
昔、テメェに両親殺されて騎士団に入った女だ」
恨み言を吐くように、雪辱を果たすように。
刃の先にいる宿敵を睨むその眼は、狩人のそれであった。
「——ぶち殺される覚悟はいいか?」
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