第33話 本音
「わざわざ
鉄の檻の向こうで、フィオーレが呆れ気味に言う。
一方の私は現在、憲兵隊の管理する地下牢に閉じ込められていた。もちろん罪を犯したわけでもないけれど、「話をする」ための場所としてアルジェントがここを指定したのだ。こればっかりは仕方ない。
「おかげで私まで足止め食らう羽目になりましたし……」
「それは……なんか、ごめんね」
ローゼオたちを通す代わりに、アルジェントはフィオーレだけを私とともに置くことだけを許した。最悪武力で反抗されたとしても戦力にならないという理由が大きいのだろうけど、王都への案内役がいる分には、私は誰でも構わない。
ただ……ほんの少し気まずいけれど。
「というか、どうしてユースティアさんだけ入れないんです?」
フィオーレは不満げに、私を見て訊ねる。
確かに、彼女がその辺の事情を知らないのは当然か。
「退魔戦争終了時、魔王軍側と停戦協定が結ばれたことはフィオーレも知ってるよね?」
「はい、それはもちろん……」
「じゃあ……締結された協定に、
俯き加減だったフィオーレが、そこで驚いたように顔を上げた。やはりこのことは、今でも王国軍上層部の人間にしか知らされていないのだろう。
「本来の停戦協定には、『ユースティア・エトワールとサルヴァトーレ・ファルネーゼ両名の、王国軍における一切の活動および王都での居住を禁じる』と書かれた条文があるんだ。だから……まだ停戦協定を破棄するつもりもない国王に仕える憲兵たちは、私をそう易々と王都に入れることはできないってことだね」
「……そんな条文があったんですね。知りませんでした」
そう淡白に返事したフィオーレは、何かに気づいたようにまた顔を上げ、
「それじゃあ、ユースティアさんがあの家で暮らしてたのは、まさか……」
「うん、条文に従わざるを得なかったからね」
だからあの暮らしはいわば、半強制的なスローライフだったと言っていい。王国軍への協力と王都での暮らしを制限された私は、なかば左遷されるように南の方へ流された。
まあ結果的には、その暮らしも悪くなかったわけだけど。
「そっか……そうだったんですね」
納得がいったとでもいうように、フィオーレは少し頬を緩める。そして何かを解き放ったような、見たことのない表情を見せて言った。
「じゃあ別に、逃げたわけじゃなかったんですね」
私は一瞬、自分の目と耳を疑った。
さっきまで温厚そうに話していたフィオーレが一転、まるで皮肉でもいうように仄暗い笑みを浮かべたのだから。私に恨みでもあるかのような、含みのある笑みを。
「逃げた、って……どういうこと?」
「……自覚はないんですね」
フィオーレの顔から、するりと笑みが剥がれる。
そして彼女の口から堰を切ったように溢れ出たのは、私にとって耳の痛くなるような言葉の数々だった。
「〈
淡々と話すフィオーレは一度、そこで言葉を区切った。
そして今度は、語りかけるように私の目を見る。
「ユースティアさん。あなたに嘘をついても仕方なさそうなので……ここから先、少し残酷なことを言いますね」
「……何?」
「
その瞬間、点と点が線で繋がり——そこでようやく、私は彼女の恨むような瞳の真意を知ることになった。
「ビアンカ・ソレンティーノ——植物を扱う魔法が得意だった、私と同じ灰色の髪の魔法使いです。覚えてますか?」
ビアンカ。
その名前を聞いた瞬間に蘇ってきたのは、記憶の奥底に沈んでいた、在りし日の思い出だった。
『師匠、あたしやっぱり魔法好きだ!』
『あたしさ、魔法使いになってよかった。師匠の弟子になって本当によかったよ。おかげで毎日すごい楽しい!』
ビアンカ。ビアンカ・ソレンティーノ。
ネーヴェに次ぐ、私の二番目の弟子。魔法の楽しさを誰よりも実感し、こんな私を師匠として慕ってくれていた、太陽のような笑顔が印象的な女の子。
そして、その最期は……
『師匠、行って』
『ここは、あたしたちがなんとかする。だから早く!』
私を逃がすため、彼女はその身を犠牲にした。
あの時私が何もできなかったばかりに、ビアンカは死んだのだ。
私の不甲斐なさが、弱さが、彼女を——
「……私が殺したんだね。君の姉を」
目の前に座るフィオーレを、今一度見つめる。
髪の長さは違うにせよ、その整った鼻筋や凛々しい目元、翡翠色の瞳にはたしかに——姉であるビアンカの面影を、ひしひしと感じることができた。
ただし、その顔に浮かぶのは、決して明るい笑みなどではない。
「ええ、そうです。覚えてたんですね」
私に対する憎悪を孕んだ、暗い笑み。
その表情は、彼女の姉とは似ても似つかなかった。
「とはいえ……私もわかってはいるんです。直接的に姉を殺したのはあなたではないし、あなたは姉の死から逃げたかったわけでもない。私が憎むべきは、あなたではないんです。元第魔法使いであるあなたには、あなたなりの考えがあるんですから。ただ、それでも——」
フィオーレは俯いて、両手でスカートの裾を握りしめる。何かを必死で押し殺そうとするみたいに、その声と拳は小刻みに震えていた。
「ユースティアさん……あなたがこの五年もの間、あの海辺の家で一人、姉さんの死から目を背けるように自堕落に暮らしていたことを知って……私は……あなたのことを、どうしても許すことができずにいるんです。だから……ごめんなさい」
「私は、今でもあなたを憎んでいます。大嫌いです」
涙ぐみながら、フィオーレはふっと笑った。
ああ、これが彼女の本心なのだと、私はやけに冷静に思っていた。
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