第三章 新たな王の望むセカイ

第24話 再会

『師匠、あたしやっぱり魔法好きだ!』


 その女の子は爽やかに、私に向かって言った。

 魔法で生成した緑のつるを背にした彼女の髪が、優しい夏風に吹かれて揺れている。笑顔が眩しい子だ。


 一瞬フェデリカかと思ったけれど、違うみたいだ。

 名前も顔も、うまく思い出せない。


 私を師匠と呼ぶのだから、昔の弟子なのだろうけど……



『あたしさ、魔法使いになってよかった。師匠の弟子になって本当によかったよ。おかげで毎日すごい楽しい!』



 眩しくて、懐かしい笑顔。

 けどそれは、もう二度と見ることは叶わない――どういうわけか、そう思ってしまう自分がいた。彼女の太陽のような笑顔の輝きが、今は途轍もなく遠く感じる。


 そうだ、これは過去の記憶。

 都合のいい、私の夢だ。



 そのことに気づいた瞬間、私の『世界』は一変した。

 


(っ……これは、の――)



 視界一面を覆う、炎の海。

 たおれ、地面に折り重なった仲間たちの姿。


 魔法使いわたしたちが敗けたあの日の光景を――この五年間ずっと目を背け、忘れようとしていた惨劇を、私はまた夢に見た。



『師匠、行って』



 さっきの灰髪の少女が、強い口調で訴えかける。

 夢の傍観者に過ぎない私は、何も答えない。



『ここは、あたしたちがなんとかする。だから早く!』

 


 私は、何も答えない。

 アストレアの影が、少女の背後に近づく。


 直後、黒い光が彼女の姿を包みこむ――。



『……妹のこと、頼んだよ。師匠』


 

 そう言い遺して、彼女は消滅した。

 私の『世界』も同時に、淡く光を帯びて崩れていく。


 


        ◇◇◇




 意識の覚醒。あるいは、目覚め。

 私はしばらく、何もない天井を仰向けに見つめていた。


 見慣れた木目の天井。鬱陶しい角度で入る陽光。

 そこは、紛れもなく私の家だった。



(私、いつから眠って――)



 曇り空が晴れるように、次第にクリアになっていく意識のなかで思考をめぐらせる。最後に残っている記憶を、必死に洗い出していく。


 血のついたナイフ。笑うフェデリカの顔。

 痛む右手。ベッドに飛んだ血飛沫。倒れるフェデリカ。


 部屋に入ってきた、女の魔族。


 それから、そのあとは――



「――あら、目が覚めたみたいねぇ」



 停滞した思考を打ち破るように、その男の声は耳に入ってきた。私は慌てて上体を起こして、彼の顔を確認する。



「ロー、ゼオ……」



 無駄に整ったピンクの髪に、やたら濃い化粧。

 騎士団の制服のしたから分厚い胸筋を覗かせるその男は、間違いなく私の……かつての「戦友」で。



「おはよう、ユスティアたん。久しぶりね」



 ローゼオ・アンドレッティ。

 今は騎士団の副団長を務めている彼が、そこにいた。



「一昨日のこと、思い出せるかしら?」



 ローゼオはスツールに腰を降ろし、訊ねてくる。

 


「一昨日……?」



 ということは、あれは一昨日の記憶?

 私は……ローゼオが助けに来てから、ずっと眠っていたの?



「……君が助けに来てくれたところまでは、記憶があるけど」


「まあ、そうよね。アタシがあの魔族ちゃんを拘束したあと、あなたはすぐ倒れてしまったもの……」



 どうしてまた倒れたりなんか……と思ったけれど、そういえばあのときはろくに止血もせず動き回ってたっけ。


 私の体格じゃ、あの失血量でもすぐ気絶してしまうだろう。出血の処理なんて長年魔法に任せっきりだったから、いつの間にかそんなことも忘れてしまっていた。



「そっか……でも、ありがとね。来てくれて」



 馬鹿をやった自分が笑えてくると同時に、あの手紙ひとつで本当に助けに来てくれたローゼオには頭が上がらない。かつての戦友を前に、素直な感謝が溢れ出た。


 するとローゼオはなぜか意外そうな顔をして、



「あら、うそ……あのユスティアたんが『ありがとう』だなんて……っ!! まあっ!!」


「え、私なんか変なこと言った?」


「……いいえ。でも、ふふっ……あなたも丸くなったのねぇ」



 感慨深そうに彼は笑う。

 何目線の発言なんだよ、それは。


 少し気恥ずかしいので、話題を変えてみる。

 というか、訊かなきゃいけないことが多すぎだ。



「ねぇ、私が眠ってた間のこと訊いてもいい?」


「ええ。もちろん」



 頷くローゼオを見て、私は質問を決めた。

 

 


「……ネーヴェは、あのあとどうなったの?」


 

 

 数秒の沈黙。

 黙り込む彼の姿に、私は最悪の可能性を想起する。



「そうねえ、ネーヴェたんは……」



 重々しく、ローゼオが口を開く。

 そんな、まさかとは思ったけど本当に……



「生きてるわ」


「生きてんのかい」



 って、思わずツッコんでしまったけれど。



「……生きてるんなら、よかった」



 正直、あの腹の傷と出血量だったからどっちでもおかしくないと思っていた。けれど、弟子の生存を聞けて思わず心から安堵してしまっている自分がいる。本当に、生きていてよかった。



「ネーヴェたんなら、ユスティアたんより先に目覚めて今は元気にしてるわよ。気になるんなら、会いに行ってあげたらどうかしら?」


「……そうだね。そうするよ」



 大人しくローゼオの提案に乗って、ベッドから降りた私はネーヴェのいるらしい部屋へと歩いていく。


 今はとにかく、愛弟子の無事をこの目で確かめたい。

 その一心で、休みすぎの身体に鞭打った。



 


 

「またあなたは、本当になんて無茶を……」

「いや、俺は無茶なんて別にしてな」

「してます! 私がいなかったら死んでたんですよ!」



 部屋の扉越しに、そんな会話が聞こえてきた。

 片方は多分ネーヴェの声だけど、もう片方の女の子の声は聞いたことがない。ローゼオ以外にも、騎士団の関係者が来ているのだろうか。



「ネーヴェ、入るよ?」



 おそるおそる、扉を開く。

 すると、ベッドにいたネーヴェはすぐにこちらを向いて、



「師匠! 良かった、生きてたんですね!」

 

「それはこっちのセリフなんだけど……」



 ネーヴェの上半身には包帯が巻かれていたけれど、それ以外は特に何ともなさそうだった。元気そうで何よりだと思う反面、存外に頑丈な弟子に少しだけ引……驚いてしまう。


 と、そんな彼の隣には。



「あ、紹介しますね師匠。彼女は俺の隊の医療班メンバーの――」


「……フィオーレです。初めまして」



 椅子に腰掛けたその少女は、軽く会釈をした。

 灰色の髪に翡翠色の瞳、それからリボン付きの黒いカチューシャをした華奢な女の子だ。座る姿勢も良くて几帳面さも感じるその子に、私は一瞬、誰かの面影を見たような気がした。



「勝手にお家に上がってしまってすみません。なにぶんこの同僚バカが死にかけていたもので……」


「いやバカって何だよ!?」


「あの量の出血でろくに止血もせず動き回ろうとしていた時点であなたは大馬鹿です。もう少し自分の体を大切にしたらどうなんですか馬鹿なんですか?」


「うぐっ……」



 やけに親しげに話す二人。年齢が近いのもあるんだろうけど、タメ口で話すネーヴェの姿を見るのは久々だからなんだか微笑ましい。忘れてたけど、ネーヴェもまだそういう年頃なんだ。



「ネーヴェが元気そうで何よりだけど、私も無茶はよくないと思うよ。血流しながら這いつくばって来たときは、さすがに私も焦ったんだから」


「ご、ごめんなさい……」



 とはいえ、私もだいぶ無茶をしたのは否めない。

 まあそこは黙っておくとして、



「でも、本当に無事で良かった。フィオーレもありがとね」


「いえ……私は、務めを果たしたまでですから。彼のことはひとまず私にお任せください」


「うん。頼んだよ」



 そう手短に話を終えて、私は退室した。

 窓の外を見やると、何やら王都の騎士らしき人たちが慌ただしく動いている。仮にもここは、あのピンク髪の魔族が襲撃してきた現場だ。騎士団も事後処理やら捕まった魔族の身柄の移送やらで忙しいのだろう。



(騎士団、か……)



 王都には、王国軍には戻らないと決めていたはずなのに、思わぬ形で軍の面々と再会することになってしまった。もう私も、意地を張っていられる状況でもないのかもしれない。



「愛しのお弟子ちゃんには会えたかしら?」



 リビングで突っ立っていた私に、ローゼオが歩み寄る。



「ん。元気そうで安心した」


「でしょうね。そんな顔だわ」



 ローゼオは昔と変わらぬ大らかな笑みを見せて、疲れたように壁に寄りかかった。彼も仮にも副団長だし、今日まで激務に追われていたのだろう。


 けれど私は、まだ彼に聞かなければいけないことがある。



「ローゼオ……もう一つ、質問していい?」


「ええ、もちろん」



 それは人として、私が見過ごしてはいけないことだ。


 

 

「フェデリカは……あの子は今、どこに?」


 


 生死については、あえて訊くつもりもなかった。

 私はあの子の死を、今となっては不可逆な終わりを、この目で見てしまったのだ。だからせめて、あの子の残された体の行く末を、私は知っておきたかった。



「……あの女の子の遺体なら、今はこっちで回収してあるわ。今日にも王都に運んで、埋葬してもらうつもりよ」



 声のトーンを一段階落として、彼は言った。

 私も彼も、あの子に抱く感情が複雑なのは一緒だ。


 でも私は、逃げるつもりはなかった。



「まだ、会わせてもらえるかな」


「……っ、でもあの子は――」


「わかってる。でも最後に一つだけ、してあげたいことがあるんだ」



 それは、私にできるせめてもの救い。

 報われなかった彼女に捧げる、最後の救済だ。




 






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