第25話 葬送
白い砂浜に、黒の棺桶が佇んでいる。
無機質なその箱の中に収まる人物に、私は思いを馳せた。
「……この中に、フェデリカが?」
砂浜を歩いてきたローゼオに、問いかける。
すると彼は少し目を伏せて、
「ええ、そうよ。彼女の所持品も一緒にね」
「……そっか」
黒の棺に収められているのは、魔族によって殺された私の教え子――フェデリカだ。王都の墓地への移送前に、なんとか私もこうして会わせてもらうことができた。
けれど当然と言うべきか、棺の中までは見せてもらえないらしい。
険しい表情をしたローゼオが、隣に並び立つ。
「彼女の身体には、洗脳魔術の被術者特有の魔力の『混ざり』があったわ。おおかた、あの魔族の洗脳を受けて行動していたんでしょうね」
「……うん。私もそう思う」
ローゼオの言葉に頷きつつ、あの日の記憶を回想する。
ネーヴェを刺した直後、フェデリカの浮かべていた歪な笑み。好意の対象だった私に刃を向けるという、彼女にしては不可解な行動。そして、死の直前に流した一粒の涙――。
一人の人間において噛み合わないそれらの行動は、「洗脳」というたった一つの言葉で説明がついてしまう。
シャロがいなくなる前、私の家を訪れる前から、フェデリカはあの魔族に操られていた――そんな救いようのない結論に、私自身も嫌気がさしてくる。
こんなの、あんまりじゃないか。
「可哀想な子だよ、フェデリカは」
棺の前でしゃがみこみ、独り言のように呟いた。
海水で濡れた手で砂を掬って、軽く握り込む。
それから地面の砂を固めていき、私はあるものを形作っていった。
「あら、それは何を?」
「……まだ内緒だよ」
地面から二本の「脚」を生やし、胴体、腕と順にその身体を整えていく。昔の記憶を掘り起こしながら、童心に返った私は黙々と砂を固めては「それ」を作り上げていった。
(……できた)
やがて完成したそれを、ローゼオは覗きこんで、
「これは……人形?」
私は軽く頷いて、その砂の人形を遠目から眺めた。
それは、私の中に残っていたフェデリカとの思い出の欠片だった。
「私も、
生前に言ってあげられなかったのが悔やまれるそんな言葉を、私は棺に向かってかけてあげた。無情にも散ってしまった彼女の魂が、せめて天国で救われると信じて。
片手を前に突き出し、水平線を見つめる。
唱えるべき言葉は、あのときと同じだ。
「――【
それは、今となっては無意味な魔法の詠唱。
しかし私とフェデリカにとっては、大いに意味のある合言葉だった。
(……さようなら。フェデリカ)
当然、魔法は発動しない。
死者を甦らせる魔法もない。非情なこの世界で私が捧げられるのは、海風に飛ばされてしまいそうなくらいか弱い祈りだけ。
けれど奇跡というのは、起こり得るもので。
「……あら、綺麗な虹ねぇ」
見つめる水平線の上、私が手を伸ばした先。
雨上がりの空に、七色のアーチが架かっていた。
それは奇しくも、私の詠唱に応えるように――。
「うん。とっても……綺麗な虹だ」
せめて、この虹が彼女に届いていればいい。
非業の死を遂げた、彼女の魂に。
少しぼやけた青の海を見つめたまま、私はそう思った。
「やり残したことはできたかしら?」
家に戻ってまもなく、ローゼオが訊ねてきた。
つもる話でもしようかとコーヒーを淹れていた私は、海の見えるバルコニーにいた彼にカップを差し出して席につく。
「まあね。フェデリカのことで思い残したことは、もうないよ」
「そう。それは何よりだわ」
ローゼオは柔く微笑んだ。
するとそれから少し神妙な表情で、
「ねぇ、ユスティアたん。あの黒猫ちゃんのことだけど」
「ああ……シャーロットのこと?」
「ええ。残念……だったわね」
シャーロットの生死については、私にも詳しくはわからない。彼の口ぶりやあの夜のフェデリカの発言からして、生存に期待できないのは明らかだけれど……。
「森の中で、袋に入れられた遺体が発見されたわ」
「…………そう」
彼にしては、やけに包み隠さず言ってくる。
まるでそこに、彼なりの意図があるかのように。
「黒猫ちゃんの遺体は、
いつになく真剣な表情でローゼオは言う。
それから彼の放った問いは、私の予想通りだった。
「ユスティアたん……あなた、何か隠してることがあるでしょう?」
◇◇◇
同刻。
王国北部の廃教会にて。
「やれやれ。作戦も練り直しってところか……」
ベンチに腰掛けた白髪の魔族――エストリエは、気怠げに頭上を仰いだ。既に半壊状態のその教会には屋根もなく、常闇の夜空が地上を包み込むように広がっている。
と、彼女のもとへ重々しい足音が近づく。
「……随分と今更なことを言うんだな」
「おや、ジガンテ。どういう意味だい?」
シェイナを背負ってやって来た彼に、エストリエは訊ね返す。するとジガンテは責めるような表情で、
「カタリーナの作戦だけ、明らかに
「そんなのわかってたさ」
「……っ、ならば何故――!」
「――カタリーナには、捕まってもらう必要があった。それだけだよ」
平然と言い放ったエストリエに、ジガンテは絶句した。
黙りこむ彼を横目に、エストリエは続ける。
「腐っても彼女は〈十三魁厄〉の一人だ。同時刻に城壁に襲撃を受けている騎士団は、捕えた彼女を拷問してでも、こちらの情報を得ようとする。いわばメッセンジャーの役割なんだよ。……ユースティアが優勢だったら、話はまた別だったかもしれないけれどね」
「貴様、では最初から彼女を……!」
「だったら何だい? ボクたち魔族に、仲間を思いやる人情が必要だとでも?」
依然として動じず、エストリエはジガンテの顔を見上げた。
魔族らしからぬ人情味。そんな異端で理解の及ばない感情を、エストリエは彼の表情に垣間見る。
価値観の異なる両者が、静かに睨み合う中。
「――失礼する」
突然、教会の扉が開いた。
入り口の方向、二人が目にしたのは、少年の姿をした魔族だった。軍服らしきものを身に纏っており、帽子を押し除けるようにして伸びた角は漆黒かつ巨大である。並の魔族ではない――二人は一目見てそう感じとった。
「……どちら様かな」
機嫌を損ねたように、エストリエが低い声で訊ねる。
少年の魔族は毅然として、静かに口を開いた。
「僕の名はアイム、魔王様の腹心だ」
「……魔王の部下がどうしてここに?」
「言伝を預かっているんだ。魔王様から、貴様へのな」
怪訝そうに眉を顰めるエストリエを前に、彼は淡々と告げる。
他ならぬ〈魔王〉から預かった言葉を、そのまま。
「――魔王城へ来い。エストリエ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます