第22話 敗走

「……貴様、何者だ」



 威嚇するように、低い声でジガンテは訊ねる。

 その視線の先にいるのは、古い剣を携えた老爺ろうや


 真っ白な髪を後ろで結び、黒い宮廷服に身を包むその姿は、どこか紳士的である。しかしその顔に刻まれた皺はかなり深く、両目はまるで死者のように固く閉じられていた。



 ――亡霊。



 それ以外の言葉で形容できない、幽静なる立ち姿。



(なんだ、この男の雰囲気は……)



 ジガンテは無意識に身構え、左足を退く。

 彼の四肢は、小刻みに震えていた。



のか? 俺が……)



 血や肉、彼を構成するすべてが、その老爺を拒絶する。

 本能的な恐れ、畏怖。


 しかしジガンテは、鋼の精神でそれを跳ね除け、



「名乗るつもりもないのなら、こちらから……!」



 治り切らない右手の代わりに、左手を握り込む。

 

 警告と、予備動作。

 ジガンテの見せた隙は、老爺にとって十分すぎた。


 

 刹那、白い剣閃が走る。


 

「……ッ!?」



 ジガンテの左腕が、飛ぶ。

 老爺は、彼の背後に移動していた。


 その刀身は、すでに鞘に収められている。



「――貴様っ!!」



 振り向きざまに、ジガンテは右腕を振り上げた。

 ただ老爺を殺すため、焦燥とともに繰り出された拳が、殺人的な速度で迫る。拳が鼻先に触れるか否かというところで、老爺は動き出した。


 

 目にも止まらぬ速度で、敵の右腕を一閃する。


 

「……遅、い」



 喉を震わせ、掠れた低声で老爺は言う。


 直後、吹き飛んだジガンテの右腕が落下した。

 常人では刀身すら捉えられないほどの、早業である。

 

 またもジガンテの背後をとった老爺は、剣を握ったまま振り返った。汗ひとつかかないその表情に宿っていたのは、純粋かつ明確な、透き通った「殺意」。



「……っ、バカな――」



 一瞬にして両腕を失ったジガンテは、戦慄する。

 治癒能力の限界。己の終わりを悟った。


 やがて老爺は、また重々しく口を開き、



「……逃げ、なさい。魔族」


「――!?」



 思いがけず投げかけられた、老爺の忠告。

 ジガンテは後退りながら、肩で息をする。


 


「さもなければ……私の剣が、君を殺してしまう」

 



 殺意を滲ませながら、静かに老爺は言った。

 敵に情けをかけつつも、老爺の肉体が戦闘態勢を解くことはない。次動けば、必ず首を刎ねられる――そう敵に確信させるほどの圧倒的な実力差が、そこにはあった。


 唇を噛み締め、ジガンテは屈辱を飲み込む。


 残っていた数体の人形たちを引き連れながら、彼は走り去った。森の中へと戻り、木の陰に身を隠していた魔族――シェイナを見つけて呼びかける。



「……撤退だ、シェイナ」


「ん、わかった……」



 両腕を失ったジガンテに、シェイナは追従する。

 敗北を痛感させられた二人の姿は、森の奥へと消えていった。






 ジガンテらの退却後、城壁周辺にて。

 気絶したエルダを回収した騎士たちは、胸を撫で下ろしていた。



「終わり、ましたね……」

 

「ああ。まさか、魔族の襲撃とは夢にも思わなかったが」



 負傷していた分団長は、部下たちの前でようやく一息つく。人形の呪いで操られていた騎士たちも、術師であるシェイナの退却により正気を取り戻していた。



「にしても、さっきの老剣士は一体……?」

 

「ん? ああ、そうだな……」



 静まり返った戦場に、分団長は目を向ける。

 そこには既に老爺の姿はなく、彼の残した斬撃の痕があるのみ。多くの騎士たちが彼の姿を目撃していたはずだが、彼が立ち去るところを見た者は誰一人としていなかった。


 分団長は逡巡し、冗談めかして言った。


 

「――あれは、英雄だよ。昔のな」





        ◇◇◇




 一方、老爺を前に敗走したジガンテとシェイナは。



「……ジガンテ、大丈夫?」



 一体の人形を抱きかかえたまま、シェイナは不安げに訊ねた。肩から切断されたジガンテの腕は魔力不足のために再生しきっておらず、二の腕までの復活にとどまっている。



「ああ、心配はいらない……」


「その腕……治る?」


「放っておけばそのうちな。シェイナは怪我してないか?」

 

「ん、してない……」



 健気に頷くシェイナを見て、ジガンテも微笑んだ。

 すると、そんな彼らのもとへ一つの影が飛来する。




「作戦失敗……ってところかな?」

 



 白髪の魔族、エストリエは木々の間に降り立った。

 マントについた砂ぼこりを手で払おうとする彼女を、ジガンテは恨めしそうな目で見つめる。



「よくもまあ、そこまで他人事のように言えるな。お前も少しは手を貸してくれてもよかったんじゃないのか?」


「いやぁ、いきなりボクが出たら流石にまずいでしょ。今回のはあくまで、敵情視察とちょっとした陽動って感じだったんだけど……」



 両腕のないジガンテの姿を見て、エストリエは数秒黙り込む。



「こっぴどくやられたね。正直びっくりしたよ」

 

「……うるさいな。あんなのがいたらこうもなるさ」



 笑い事じゃない、とジガンテは不満を漏らす。

 しかしエストリエは引っ掛かりを覚えたように、



「“あんなの”って?」


「……年老いた剣士の男だ。持っていた剣は古いものだったが、俺の目では刀身を捉えることすらできなかった。あんな化け物がいるなんて聞いてないぞ」



 先ほどまでの恐怖を打ち明けるように、ジガンテは語った。やってられない、とでも言いたげな彼の表情だが、エストリエは目もくれずうつむいて何かを考え込む。



「そうか、まだのか……」


「エストリエ?」



 ぶつぶつと独りごちる彼女に、ジガンテは訊ねる。

 するとエストリエは微笑とともに顔を上げ、



「君たち、よく生きてたね」


 

 

「彼はサルヴァトーレ・ファルネーゼ、だよ」





 

 

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