第20話 怪演
明日、ネーヴェが帰る。
ベッドに寝転んだ私の頭は、ただそれだけを考えていた。
今日はフェデリカが来てから、三回目の夜だ。
ようやくネーヴェとフェデリカとの関係も改善してきたというところだけど、ネーヴェの居候には一応「一週間だけ」というルールがあるらしい。
初めの頃にさらっと言われたことで私も忘れてたけど、居候開始から七日が経った今、ともかく彼は一旦王都へ戻らねばって感じなんだとか。
夕方のうちに支度を終えて、ネーヴェは眠りについている。
明日、早朝の出発になるとのことだ。
(わかってはいるけど、なんか寂しいな……)
ネーヴェがいなくなったからといって別に、急に一人になるわけでもない。これからはフェデリカが(多分私が死ぬまで半強制的に)一緒にいてくれる。
けれど、ほとんど五年ぶりの弟子との共同生活は、短くともそれはそれで思い出に残るものだった。少なくとも、ここで一人で過ごした五年間よりも濃密だったと思えるくらいには。
だから今は、弟子との別れをどうしようもなく悲しく感じる。
ただ……
(明日からは、フェデリカと二人暮らしかぁ……)
正直、不安の方が大きいかもしれない。
二人きりになった途端、フェデリカが何をしてくるかわからないし……。
だからもし万が一、私の身になにかあった場合のために、昨日のうちにローゼオへの手紙を書きあげておいた。昨日投函したし、仕事の早いピッチョが届けてくれたのなら、早ければ今日にはローゼオは手紙を読んでいるはずだ。
悩み事が一つ消えて、少し……清々している。
と、そのとき、ドアをノックする音が私を呼び戻した。
「……フェデリカかな?」
ベッドから起き上がり、ドアの方に目をやった。
ネーヴェはもう別の部屋で寝ているはずだし、ドアを叩くとすれば料理の後片付けをしていたフェデリカだろう。いいよ、とだけ私は口頭で答える。
するとフェデリカはゆっくりとドアを開けて、
「ごめんなさい、先生」
やけによそよそしい態度で、彼女は開口一番に謝罪してくる。
何か家事のことで失敗したのかな、と軽々しい推理をしていたその時の私は、多分まだ気づいていなかった。というか、見落としていた。
彼女の左手に隠れていた、血のついた包丁を。
「……私、ネーヴェさんのこと刺しちゃいました」
上手く、声が出なかった。
金縛りにでもあったみたいに、体が動かない。
フェデリカの言葉が、頭で何度もリフレインする。
「…………え?」
彼女の握るナイフから、赤い血が滴っているのが見えた。
本当に、刺した? フェデリカが? ネーヴェを?
なぜ? どうして?
なんのために?
「……フェデリカ? ねぇ、なん」
「――仕方なかったんです!」
私の言葉を遮って、フェデリカは叫んだ。
悲痛な叫びのはずなのに、その表情は……
「なんで、笑って……」
フェデリカの口は、綺麗に弧を描いていた。
まるで、何かが嬉しくて仕方がないとでもいうような、清々しいほどに狂気的な笑み。やがてその笑みは歪み始めて、両の瞳は深い紫色に染まっていく。
「えぇ……? だって、せんせぇをこれから独り占めできるって考えたら、本当に、本当に嬉しくって……だから別に、変じゃないと思いますよ。えへへ」
「っ、ネーヴェ……ネーヴェは――!」
やっとのことで動き出した体で、私は別の部屋にいるであろうネーヴェのもとへ向かおうとした。しかし私がベッドから降りたところでフェデリカが立ち塞がり、
「ああ……ダメですよ、せんせぇ」
直後、私は両手首を掴まれ、ベッドに押し倒された。
私を押さえつけるその力は明らかに、ただの女の子のそれじゃない。この紫の瞳といい、フェデリカは今――
(
抵抗する私をよそに、フェデリカはとろけるような目で、
「せんせぇ、私、あなたが好きです。だからせんせぇも私を愛してください。愛してください愛してください愛してください愛してください愛してください愛してくださ」
「フェデリカ!! 痛いから離して!!」
「いやです」
その瞬間、右の手のひらに鋭い痛みが走った。
何かがずぶっ、と通り抜けていったような、激痛。
「いっ……ああああ゛っ!!」
刺された。というか、手のひらを貫通してる。
痛みを感じるのが久しぶりすぎて、思わず叫んでしまう。
「声、抑えなくていいんですよ?」
ぐり、と手のひらを掻き回すように、ナイフがねじ込まれる。
痛い。痛いものは痛い。あたりまえのことだ。
抵抗しようにも、力で勝てない。
魔術を使おうにも、これじゃあ刻印が……
「私だけのものになってください、せんせぇ♡」
「や、やめ……っ」
誰か。誰でもいいから、誰か。
この子を、正気に戻して――
「――――あら、楽しそうにやってるじゃない」
聞き慣れない声が、耳に届いた。
いつの間にか開いていた窓から、夜風と一緒にその影は入ってくる。ピンク色の髪に、醜く目立つ黒い角。その姿は、まるで――
(魔族……!?)
どうして、魔族が私の家に。
いや、まさか、じゃあシャーロットは……
「あ、カタリーナさん……私、やりましたよ!」
私からいくらか視線を離して、フェデリカはその魔族に話しかける。窓から入った月明かりが、狂気に染まった彼女の横顔を照らし出す。
フェデリカの頬には、なぜかうっすらと涙が伝っていた。
「邪魔な飼い猫も男の弟子も、みんな私が殺しました!」
「そう。人間にしては上出来ね」
「あ、あの……これで、条件は満たしましたよね? 私とユースティア様はこれで一生、二人っきりで平和に……」
私に馬乗りになったまま、フェデリカは懇願するように言う。
しかし魔族は興味のなさそうな顔をして、
「条件? ああ、まあそうね。あんたはあたしの与えた仕事を全部こなしたわ」
「! じゃあ……っ!」
「――だから、
魔族の女が、ゆっくりとフェデリカへ手を伸ばす。
次の瞬間、フェデリカの頭は吹き飛んだ。
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