第19話 その名を背負う者
剣閃が弧を描く。
巨体が繰り出した拳は、それを迎えうった。
「ふむ……剣筋は悪くない」
そう冷徹に言い放つジガンテの拳に刻まれた斬撃は、まだ浅い。途轍もない
そこへすかさず、エルダは片手剣で斬り返す。
わずかに血飛沫が上がるが、その太い腕は断ち切れない。
文字通り「鋼」と化した、彼の腕は。
「――【
ジガンテは今一度自らに魔術を重ねがけし、肉体の強度を極限まで高めていく。特別な能力を持たぬ代わりに与えられた彼の鋼の体は、すでに人智を超えた領域にまで練磨されていた。
血管の浮き出た腕に力を込め、再びエルダに視線を向ける。
「さあ来るがいい。“騎士団長”」
「――っ!!」
地面を蹴り飛ばし、エルダは駆け出した。
殺人的な速度と質量をもって襲い来る拳を身軽にかわしながら、一気に敵の懐へと飛び込んでいく。体格とパワーに差こそあれど、スピードでは小柄な彼女の方に
(断ち、切れ……ッ!!)
片手剣の刃が、ジガンテの脇腹に滑り込む。
そのまま肉を断つべく、エルダは全力を賭して剣を振り切ろうとする。よく研がれた彼女の刃は、敵の肉体の表面を抉るように進んでいくように見えた。しかし――
「無駄だ」
無慈悲にジガンテが時間切れを告げる。地面を深く抉りながらのアッパーが、エルダの正面に迫った。
エルダは攻撃を中断して拳を蹴り飛ばし、宙返りで回避。
ジガンテと距離をとり、素早く体制を立て直す。
「お前の剣では、俺は斬れん」
すると彼は低い声を沈ませ、そばにあったクマの人形数体を鷲掴みにした。次の瞬間、凄まじい膂力でそれらはエルダに向けて投擲される。
「――っ!?」
反射的に剣を構え、エルダは人形を斬り払う。
すると破壊された人形はその場で爆発し、紫煙がエルダの視界を奪った。擬似的に発生した煙幕の中、ジガンテの影が彼女に迫る――。
(! しまっ――)
煙を突き破って登場したのは、鋼の拳。
強烈な右ストレートが、少女の小柄な身体にヒットした。
防御のために構えた剣すらもへし折られ、踏ん張りの利かないエルダの身体は吹き飛んでいく。なす術なく城壁に叩きつけられた彼女を、砂ぼこりと瓦礫が包み込んだ。
「が、はっ……」
その場から起き上がれぬまま、エルダは吐血する。
全身に走る激痛に耐えながらも剣を握り、途切れそうになる意識をなんとか保つ。並の女性と比べても見劣りする体格の彼女には、今の一撃が決定打であった。
ジガンテは人形を引き連れながら、エルダに歩み寄る。
「少し、期待をかけすぎたようだな」
落胆気味に、ジガンテは吐き捨てた。
「ファルネーゼ家の人間とはいえ……所詮は小娘か。膂力も体力も気概も、何もかもが中途半端だ。ここまで噛み応えのない奴だとは思わなかったな」
(そんなの、私だってわかってる……)
薄れゆく意識の中、エルダは奥歯を軋ませる。
嫌というほど味わってきた劣等感を再び叩きつけられ、戦意すらも次第に薄れていく。折れた剣の柄から、彼女の指は
失意の表情を浮かべるジガンテは、さらに続ける。
「……エストリエの言った通りだ。お前のような者がトップに立たざるをえない程、今の騎士団は
(――!!)
閉じかけていた瞼が、開く。
その瞬間、少女の胸の闘志が再燃した。
「平和に慣れすぎた人間は、やはり――」
「――そんな事、言わせない……!!」
息も絶え絶えの状態で、エルダは立ち上がった。
光の灯った左眼が鋭く敵を射抜く。ジガンテは少し関心したように、ほう――と声を漏らした。
「私の騎士団を……私たちを、侮辱するな!!」
気力を振り絞ったような声で、少女は叫ぶ。
そして今度は上空に向かって、
「カルロさん!
「あいよ!」
城壁の上から屈強な男の声が応え、エルダのいる戦場へと「それ」は投げ込まれた。少女の目の前に突き刺さったそれを見て、ジガンテは瞠目する。
「っ、その剣は……」
エルダは迷わず、その
すると大剣の刀身は金色の輝きを放ち、埋め込まれた晶石が少女の思いに応えるように眩く発光する。重厚かつ神聖な雰囲気を纏うその大剣を、エルダは誇示するように振りかざした。
ファルネーゼ家にて代々受け継がれる聖剣、『ディリジェンテ』。
この世に二つとない、唯一無二にして伝説の一振りである。
一族の人間しか使用を許されないその剣を、若き騎士団の長であるエルダは初めてその手に収めた。再燃した闘気も相まって、その姿はかつての英雄を彷彿とさせるものであった。
「この国の皆は、私が守る。守らなきゃいけないんだ」
決意を固めた彼女は、自らの胸に言い聞かせた。
やがて左目を覆い隠していた眼帯も千切れて外れ、風に流される。
その下から露わになったのは、痛々しい傷などではなく、澄んだ瞳。
父のベルナルドから受け継いだ、金色の瞳であった。
「さあ来い、魔族……」
一族の証である大剣を手に、
自らが背負うものの大きさと、使命を自覚して。
「サルヴァトーレ聖騎士団団長、
エルダ・ファルネーゼが相手だ……!!」
自分の弱さも劣等感も、少女は振り払った。
一人の「騎士団長」として、彼女はただそこに立つ。
◇◇◇
同時刻、王国南端にあるユースティアの住処にて。
わずかに灯りが漏れるその一軒家を、遠巻きに眺める影があった。
「本当に、こんな作戦でいいのかしら……?」
太い木の枝に、一人の少女が腰掛けている。
腰より長いピンク色の髪は地面に垂れ下がっており、傾けた頭の額から生えているのは、魔族特有の黒い角。エストリエ一派に属する魔族、カタリーナがそこにいた。
(ま、あたしの手が汚れないならいいか……)
静かに自己完結し、カタリーナは瞳を閉じる。
木の上で両脚をぷらぷらと揺らしながら、彼女はユースティアの家を眺め――
自らが舞台に上がる、その時を。
「あとは上手くやりなさいよね、“人間ちゃん”」
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