第18話 悪夢のはじまり
銃騎士たちの訓練から一夜。
橙色の陽が落ち、王都カピターレに再び夜の帳が下りる。
街を囲う城壁には、騎士たちの監視の目があった。
「今日も今日とて異常なし……か」
銀の鎧を身に纏った壮年の男は、何気なく呟いた。
彼は高くそびえ立つ城壁を背にして、周囲の状況に気を配っている。右腕にはマスケット銃が抱えられているものの、ここ数年彼がそれを活躍させたことは一度もない。
「夜の警備とか、毎回毎回ほんと嫌になりますよねぇ……」
分団長の隣で、茶髪の青年レナートは大きく欠伸をした。
そのだらしない立ち姿に騎士としての覇気はなく、今にも座り込んでしまいそうなほどである。上司の呆れたため息が増えるのも無理はなかった。
「交代まであと少しだ。それまではお前も気を抜くな」
「はいはい……」
やる気のない返事をして、レナートは欠伸を噛み殺す。
睡魔に負けて閉じられかけた彼の瞳だったが、その気だるげな視線はやがて、少し遠くの何かへと向けられた。
「分団長……あれ、なんですかね?」
彼の目が捉えたのは、クマを模した小さな人形だった。
両目の代わりに大きなボタンが二つ縫い付けられており、片腕は肩の部分がほつれて中の綿が露出している。どことなく不気味な雰囲気を纏うその人形は、自立歩行しながらヨロヨロと城壁に近づいていた。
「人形……か? いや、しかしあれは……」
「もしかして、新種の魔物じゃないですか? よし、とりあえずここは俺がこいつで――」
「っ、待てレナート! 今はまだ……!」
意気込んで銃を構えようとした部下を、男は制止する。
しかし、その横ですぐに一発の銃声が響いた。
飛翔した弾丸が、人形の頭部に命中する。
「ニコラ、お前勝手に……!」
発砲したのは、同じく城壁を警備していた騎士のニコラ。反撃もせずに倒れた人形を見て彼は銃を下ろすと、嬉しそうに口角を上げて笑った。
「や、やった……やりましたよ分団長!」
「……ああ。よくやった」
「ちぇっ、なんだよ。俺だってあれくらい……」
手柄を横取りされたレナートは悪態をつく。
が、その視界の隅でたしかに
人形に発砲したニコラの瞳が、紫紺に濁っていくのを。
「……ニコラ?」
そして次の瞬間、それは起こった。
「――っ、どけ、レナート!!」
ニコラは無言のまま、銃剣を突き出して走り出した。
レナートを庇った分団長の腹部に、剣先が深くめり込む。
「ぐ、う……っ」
低く唸った彼を見て、レナートの表情は青ざめていった。
「分、団長……?」
「っ、逃げるんだお前ら……今のこいつは、様子が……っ」
凄まじい力で銃剣をめり込ませるニコラを、分団長は腕力だけで押さえ込めようとする。腹部からは当然流血し口からも血を吐いていたが、彼は硬い意志で動こうとしなかった。
しかし、そんな膠着状態も束の間――
「――おい、奴ら大群で来てるぞ!!」
「侵入を食い止めろ! 撃ちまくれ!!」
城壁の近く、森の中から現れた人形たちの大群を前に怖気付いた騎士たちは、一斉に発砲を始めた。百体近くの人形たちに数発が命中して撃破するが、それから起きたことは
「よせ……撃つな、お前ら……」
分団長の掠れた声は、彼らには届かない。
そこに広がっていたのは、悪夢のような光景だった。
「うああああああああ! 来るな、来るなあああああ!!」
「おいやめろ! 俺たちは仲間だろうがああっ!?」
「どうなってんだチクショウ! 目ぇ覚ませよお前ら!!」
隊の自滅、あるいは仲間割れ。
人形を撃った騎士たちは跳ね返ってきた〈呪い〉で正気を失い、濁った目で近くの仲間を襲い始める。その因果に気づいた騎士たちは発砲を止めるが、代わりに迫ってきたのはクマの人形たち。
人形は騎士たちに近づくと、一斉に自爆を始めた。
爆発に巻き込まれた騎士たちの血肉や城壁が、辺り一帯に飛び散っていく。現場の混乱と狂った騎士たちへの対処は、もはや困難な状況にあった。
銃声。悲鳴。断末魔。
肉片。血飛沫。転がる四肢。
城壁を警備していた分団は壊滅。
生き残りの騎士たちが死を覚悟する中――
一人の少女が、戦場へ飛び込んだ。
「――――全員、
夜風に赤髪をなびかせながら、少女は剣を振りかざす。
その一閃は、迫り来る人形たちを横薙ぎにした。
「あ、あなたは……」
片腕を失った騎士が、顔を上げる。
その瞳に、微かな希望を宿して。
「……皆さんすみません。遅くなりました」
人形たちの〈呪い〉をものともせず、少女はそこに佇む。
騎士団長、エルダ・ファルネーゼがそこにいた。
「この人形は敵の仕向けた囮――いえ、罠です。ここは私が対処しますので、正気でいる皆さんは、医療班とともに被呪者の拘束と介抱をお願いします」
冷静に、そして的確にエルダは指示を出す。
人形の大群と対峙する彼女の後ろで、生き残った騎士たちは慌てて動き出した。少しづつ危機的な状況が回復へと向かう中、エルダは一本の剣を手に一人戦場を駆ける。
一体、また一体と、〈呪い〉の影響を受けない彼女は人形を斬り捨てていく。迷いのない剣筋が彩るその一幕は、まるで剣舞のようであった。
すると、一つの巨大な影がその剣舞に迷い込む――。
「――見事だ、小娘」
上空から飛来したのは、二メートルを優に越す巨体。
分厚く筋肉質な身体が、剣を握るエルダの行手を阻んだ。
「生まれながらの〈呪い〉への耐性に、その白いマント……。驚いたな。まさか、貴様のような小娘が
「……あなたは?」
刺すような目つきで、エルダはその魔族に訊ねた。
すると彼はわずかに笑みを覗かせ、
「――俺は〈十三魁厄〉序列七位、【厄星】のジガンテだ」
潔く名乗り、拳を握りしめる。
片足を退いて構えの姿勢をとった彼は、改めてエルダと真正面から対峙した。青色の隻眼と金色の双眸、二つの視線が空中で交わる。
「手合わせ願おうか。“騎士団長”」
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