第17話 少女の弱音

「ローゼオさん、そろそろ役職交換しませんか……?」

 


 弱々しい声でぼやきながら、エルダは執務机にずるずると突っ伏していった。かろうじて保っていた騎士団長としての威厳はそこにはなく、気弱そうな少女の表情があるのみである。


 コーヒーを淹れたローゼオは、そこでふっと笑みをこぼした。


「もう、またそんな冗談言って」


 突っ伏したエルダの前に、コーヒーが差し出される。


「冗談じゃないですって……。だいいち私みたいなポンコツが騎士団長だなんて、無理があるんですよ。実力や人望、カリスマ性だって、私よりもローゼオさんやアルジェントさんの方が……」

 

「そんなことないわよ。エルダちゃんだってもう、ファルネーゼの名を継ぐ騎士団長として、立派な風格と実力を兼ね備えてる。ただ今は、それをがないってだけのことよ」


 カップを両手で持ち、底を覗くようにエルダはうつむく。


 たしかに騎士とは、何かを守り抜いて戦ってこそ騎士たりえるものだ。守るべきものと強大な敵が揃ってこそ、彼らは指導者のもとで団結することができる。


 しかし今の時代、騎士団という組織は単なる保安隊へと成り下がった。

 取り立てて命をかけて戦うような敵組織もおらず、たまの任務の内容は王国内の盗賊の取り締まりや、〈魔界〉から迷い込んできた魔物たちの退治が主である。国のために戦う「騎士」という職業は今や、名ばかりのものとなったのだ。


 そんな今の状況下で、ましてやというだけで選出されたエルダに、誰が敬意を表して追従するだろうか。


「ベルナルド……いえ、あなたのお父様は、たしかに偉大な方だったわ。初代サルヴァトーレ卿に続く二代目の騎士団長として、立派に責務を果たして散っていった」


「……」


「けどねエルダちゃん、あなたはそうである必要はないのよ」


 ソファに腰掛け、諭すような口調でローゼオは続ける。


「あなたが団長の座に就いてから、もう五年近くが経った。平和な時代の騎士団の象徴として、エルダちゃんは十分に役目を果たしているのよ」


「平和な、時代……」


 それってつまりはお飾りってことですよね、と思わずあふれそうになった卑屈な言葉を、エルダは飲み込んだ。ローゼオの言うことを大人しく受け止めて、少し冷めたコーヒーを啜る。


 その蒼の右目は、どこか遠くを見つめるようだった。


「ユースティア様も、そんな風に言ってくれるでしょうか……」


「ええ。今のエルダちゃんの姿を見たら、きっとね」


「……そう、ですよね」


 その言葉を、自分に言い聞かせるように。

 

 

(もっと頑張らないと。あの人の前で、胸を張れるように)


 

 いつかの憧憬が、少女の脳裏をよぎる。

 心なしか瞳に輝きを取り戻したエルダは、その心に再び強い決意を宿すのだった。


 


        ◇◇◇




 同時刻。

 王国南部にある、ユースティアの家では。


「うーん……なんて書いたらいいんだろ」

 

 一枚の便箋を前に、ユースティアは思い悩んでいる様子だった。手遊てすさびに羽ペンを揺らしながら、頬杖をついて窓の外の海を眺める。


 ローゼオ副団長殿へ、とだけやたら丁寧に書かれた便箋にペン先が走ることは、一向になかった。


「あれ、お手紙ですか? せんせぇ♡」


 しばらくして、洗濯から戻ってきたフェデリカがふらりと近づいてきた。ユースティアの両肩を背後から抱くようにして、彼女の手元を覗き込む。


「ローゼオ副団長……? えっ、せんせぇって今の副団長とお知り合いなんですか!? すっご~い!」


「まあ、知り合いっていうか戦友っていうか……」


「さすがせんせぇ、交友関係も広いんですね!」


 好意をむきだしにして、フェデリカは淡く微笑む。

 しかし――


「でも、男の人の友達は警戒しないとですよ……隙をついてせんせぇにすり寄ってくるような輩がいるかもしれませんから……」


「そう、だね……私も気をつけ」


「まあ、私がいる限りはそんな輩もせんせぇには近づけませんけどねっ! せんせぇを狙う男はみんなけちょんけちょんにしてあげますから♡」


 仄暗い笑みを浮かべながら、フェデリカはユースティアの首元に抱きついた。物騒な言葉をかけられ続けたユースティアの顔が引きつっていたのは、もはや言うまでもない。


「あっ、コーヒーのおかわり持ってきますね♡」


「うん……ありがとう」


 カップを手にキッチンへ戻っていくフェデリカ。

 やっと脅威が去っていったとでもいうように、ユースティアは疲弊気味にため息を吐いた。


(ダメだあの子……早くなんとかしないと)


 冷や汗をかきながら、彼女は羽ペンを握り直す。

 ローゼオ宛ての手紙を仕上げるべく、真摯に机に向き合った。返事を待っているらしい彼のためにも、それ相応のものを返さねばならない――と意気込んで。


 と、海釣りから帰ってきたネーヴェに彼女の視線は滑り、


「あ、ごめんネーヴェ、ちょっといい?」


 ペンを置いてユースティアは顔を上げる。

 ネーヴェは釣り竿を壁に立てかけて、首を傾げた。


「……はい?」






「――えっ、シャーロットがいない?」


 ユースティアから事情を聞き、ネーヴェが言った。

 

「シャーロットって、あの黒の飼い猫ですよね?」


「そう。昨日の朝を最後に見てなくって。たまにふらっと家を離れることはあるんだけど、丸一日見ないのは初めてでさ……」


 あの子がいないとちょっと困るんだよね、と気がかりそうに床に目をやる彼女に、ネーヴェはことの重大さを察する。気弱に何かを憂うユースティアの姿は、彼の目にも新鮮なものであった。


「昨日の朝って……フェデリカが来る前じゃないですか」


「……うん」


 ユースティアは小さく頷く。

 しかしネーヴェよりも先に口を開き、


 

「でも、ネーヴェが今思ってるようなことはないと思うよ」


 

 先手を打つように、彼女は言った。


「っ、それは……」


「あの子は人間だよ。魔族じゃない。ましてや私の飼い猫に勝手なことするはずないでしょ」


 まるで自分に言い聞かせるように、ユースティアは言った。ネーヴェはその言葉の危うさに気づいていながらも、否定も肯定もせずに押し黙る。


「ネーヴェもさ、フェデリカのこと信じてあげようよ」


 羽ペンを握り直し、彼女は机上に視線を向けた。

 どこか物憂げな横顔で、静かにペンを走らせる。


 

「さもないと私たち、本当に殺されちゃうかもしれないよ?」


 


 

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