第16話 エルダ・ファルネーゼ
フォルトゥレグノ王国王都、カピターレ。
騎士団本部に隣接する、射撃訓練場にて。
「銃士隊、撃ち方用意!」
顎髭を生やした男の声が、空を貫いた。
横一例に並んだ騎士たちはマスケット銃を構え、一斉に射撃姿勢をとる。数十個の黒い銃口が、一直線上に並んだ。
「撃てええぇっ!!」
教官役の男が、叫ぶ。
直後、騎士たちの構えた長銃が火を吹いた。
弾丸が空を裂いて翔け、数メートル先の的を貫く。
的の中心を射た者は、いなかった。
「次! 転換遅れるな!」
教官の怒声で、最前列にいた騎士たちが次の騎士へ場所を譲っていく。統制のとれた動きだが、彼らの表情には疲弊の色がうかがえる。
射撃訓練の開始から、早二時間ほど。
撃っては交代、撃っては交代の単純な作業の繰り返しで、銃騎士たちの体力と集中力は低下しているようにも見えた。
しかしそのとき、そんな彼らの視線を引き寄せながら、とある一人の人物が通りかかる。
「おおっと、これはこれは……騎士団長殿!」
教官の男がぴっと姿勢を正す。
それに倣って、銃騎士たちも敬礼のポーズをとる。
彼らの敬意を集めていたのは、一人の女性……
――否、
「訓練ご苦労様です。皆さん」
護衛を引き連れたその少女は、控えめな微笑を咲かせた。
深紅の流麗な長髪は高い位置で結ばれており、本来なら右目と同じく蒼の宝石が覗いているはずの左目は、黒い眼帯で隠されている。立ち姿は貴族然として品があり、少女ながらも見る者に厳格な印象を与えた。
彼女の名は、エルダ・ファルネーゼ。
現在のサルヴァトーレ聖騎士団の、三代目騎士団長その人である。
「銃騎士の皆さんも、とても熱心に訓練に励んでいらっしゃるようで……私も団長として鼻が高いです」
並ぶ騎士たちを見渡して、エルダは言った。思わぬ褒め言葉に数人の銃騎士たちの表情が弛緩していくなか、彼らを指導していた教官が一人前に出て、
「ははっ、団長殿はそう思われましたか……私としては、彼らも銃の腕前に関してはまだまだだと思ってしまうのですがね」
騎士たちの恨むような視線が、教官の背中を突き刺す。
余計なことを言うな、と。
するとエルダは戸惑うように、曖昧に笑みを浮かべる。
「あ、あれ……そうだったのですね。すみません、私、銃の扱いに関してはからっきしで……なんだかお恥ずかしいです」
「いえ、恥じる必要などありませんよ。団長殿には立派な剣の才能がおありではないですか。こんな飛び道具に頼らなければいけない我々にとっては、羨ましい限りでございますよ。はっは」
教官は薄い笑みを貼り付けたまま、世辞めいたことをつらつらと並べ立てた。嫌味とも取れるその発言にもエルダは顔色を変えず、愛想笑いで受け流す。
年齢差もあってか、男の敬意が軽薄なのは明らかだった。
「そう、ですか……それでは、私はこれで」
最後に取り繕ったような笑みを浮かべて、エルダはその場をあとにした。顎髭の教官が鼻で笑う音すらも、気にせずに。
「いやぁ、ほんとに可愛いですよね。エルダ団長」
訓練後、灰色の髪をした騎士が嘆息混じりに言った。
銃を置いてリラックスした表情で、周りと比べてまだ年若い彼は地面に腰を下ろしていた。すると、隣にいた壮年の男がそれを咎めるような目で、
「おいレナート、団長に対してそれは流石に無礼だぞ」
「それはそうですけど……ちょっとくらいはいいじゃないですか。分団長もわかるでしょう? あの子は、この堅苦しい騎士団の唯一の癒しでありオアシスなんですよ!」
「はぁ……まあそうだな。同感だ」
部下に呆れつつも、壮年の男はパイプから煙を吹いた。
高い城壁に寄りかかって何気なく空を見上げる。
「団長の役目を背負うには、あの娘はまだ若い。未熟だ。あれは舐められるのも仕方がないだろう……」
「えっ、舐められる……?」
レナートに訊ね返され、男は誤魔化すようにひとつ咳払いをした。
「……いや、なんでもない。今のは忘れてくれ」
それ以上の追及を避けるように、彼はまたパイプタバコを咥える。しばらくして話題を切り換えるべく、男は自らの部下に視線を戻した。
「そういえば……お前、どうだったんだ? 訓練の結果は」
「え……いや〜、ダメダメっすね〜。的の真ん中なんて掠りもしませんよ〜、はは」
腑抜けた顔で語る部下に呆れた男の口から、さらに深いため息が漏れ出る。笑い事ではないだろう、と眉間を指でほぐしながら。
「お前なぁ……少しはネーヴェを見習ったらどうなんだ? たしかお前と同い年だったろ?」
「いや、あんな
ヘラヘラと笑って受け流すレナートの脳裏には、黒髪の狙撃の天才の顔が浮かんでいた。何しろあの青年は、射撃訓練とあれば全弾的の中心を通過させるような正真正銘の天才である。
と、そんな才能の差を笑い飛ばしつつも、
「ていうか正直、俺一人くらい出来が悪くたってこの国は大丈夫ですって。現にもう五年も平和が続いてるじゃないですか」
胡座をかいて城壁に寄りかかり、彼は呑気に青空を仰ぐ。
そんな部下を見て、壮年の男は黙って煙を吐いた。
「そうだな。お前みたいな奴も、今の時代には必要かもしれん」
「ちょっ、それどういう意味っすか〜?」
◇◇◇
「護衛はもう結構です。ご苦労様でした」
柔らかに、しかし品のある微笑を湛えたエルダは、執務室の前で腰を折る。部下にも礼節を忘れない彼女の態度は、もはや貴族のそれを超えた丁寧さの塊であった。
護衛についていた屈強な騎士たちを見送って、エルダは執務室へ足を踏み入れる。奥にある重厚な革の椅子に腰掛けると同時に、彼女の口から漏れたのは長いため息だった。
「はは、ダメだなぁ……私」
乾いた笑みを浮かべて、独りごちる。
疲れ切った目が見つめるのは、何もないベージュの天井。
「こんな眼帯までしてるのに、まだ威厳は足りないみたいだし……これじゃあ、舐められて当然か」
自嘲気味に言って、エルダは瞼を閉じる。
彼女以外誰もいない一室で、ひたすら弱音を吐き続けた。
すると、目の前の扉が三度、優しくノックされる。
「――あっ、はい、入っていいですよ!」
飛び起きたエルダは、言葉も取り繕わずに言い放った。
ややあって扉が開かれると、その張り詰めた表情は一気に好転し、湧き上がる喜びをあらわにした。
「ローゼオさん! お久しぶりです!」
ぱっと笑顔を咲かせて、エルダは立ち上がる。
その破顔した表情はまさしく、明朗な少女のそれであった。
「もう、表情が緩んでるわよ? 団長さん」
エルダの反応に対し、ローゼオは呆れるように微笑む。
しかしそれは子を思う母のような、優しげな笑みであった。
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