第8話 夜襲

 ユースティアは、ペンを握る手を止めた。

 何かを直感的に察知したようにふと顔を上げ、全身の感覚を研ぎ澄ませる。感じたのは、何者かが近づく気配だった。


(……か)


 小さく溜め息をついて、彼女はペンを作業机に置く。


 気だるげに椅子から立ち上がると、自室を出てネーヴェのいるリビングへと向かった。飼い猫のシャーロットも彼女の表情の変化に気づいたのか、足音を殺してついて行く。


 しばらくしてユースティアは無言で、壁に立てかけていた銃を手にとった。火薬類と銃弾をかき集め、神妙な表情で振り返り、


「ネーヴェ、ちょっとこの銃借りるよ」


 ひとり読書をしていたネーヴェに、彼女は言った。

 

「あ、はい……え、今から訓練ですか?」


「ううん……ちょっと、面倒なことになってね」


 訝しむような視線を送るネーヴェ。

 するとユースティアは銃を手に立ち上がって、



「――敵襲だ」



 はっきりと、そう言い切った。

 ネーヴェは瞠目し、思わず手にしていた本を閉じる。唐突に彼女の口から飛び出た物騒な言葉に、ただならぬ予感を覚えて。


「て、敵襲って……そんな、一体なにが――」


「説明してる時間はない。退に協力してくれるなら、ネーヴェも準備してついてきて」


「……っ、わかりました、俺も行きます!!」


 脳内で溢れ出る疑問を押し込めたネーヴェは素早く軍服の上着を羽織り、マスケット銃の用意を始める。有無を言わさぬ様子の彼女に追従すべく、それから20秒ほどで支度を終えた。


 シャーロットに留守を任せ、武装したユースティアは家を飛び出す。覚悟を決めたネーヴェもそれに続いた。


 海辺の家から夜の森へ、二つの影が突入する。


「さすがは私の弟子、準備が早いね。上出来だ」


「っ、今はそんなこと……ていうか、敵襲って何なんですか!? まさか魔物でも出て――」


「まあすぐにわかるよ。あと、舌噛まないように気をつけて」


「…………はい」


 これ以上の質問は無意味とネーヴェは直感的に理解し、それきり口を閉ざした。数年ぶりに見る師の真剣な眼差しに、思わず息を呑む。


 深い森の中、先行したユースティアは迷うことなく疾走する。戦争当時と遜色ない体力を見せる彼女に、ネーヴェはまたも驚嘆し、そして――



「……ネーヴェ、止まって」



 彼女の指示通り、ネーヴェはその場で足を止めた。

 銃を手に静止したユースティアの瞳は、まっすぐに森の奥の「何か」を見つめている。獲物が姿を現すのを、彼女はじっと待っていた。


 静まり返った森の中、しばらくして近づいてきたのは、二つの足音と話し声。


 直後、銃を握ったユースティアの手が動く。

 それからの彼女の判断は、早かった。


「――っ、ししょ」

 

 響いたのは、一発の銃声。

 ネーヴェの制止も甲斐なく撃ち込まれた弾丸は、暗闇から出現した人影に、たしかに命中した。


 ……ように見えた。




「――なんだぁ? ずいぶん手荒な歓迎じゃねぇか!」




 少年のような無邪気な声が、暗闇から答えた。

 長いロッドを携えた男型の魔族は愉快そうに笑みを浮かべ、無防備にもユースティアたちの前へと躍り出る。その口の両端は吊り上がり、歪な表情を形作っていた。


 ユースティアが撃ち込んだ弾丸による損傷は、見受けられない。

 訝る彼女の横で、ネーヴェは驚愕した。

 

「魔族――!? どうしてこんなところに……!」


「……そんなの簡単だよ、ネーヴェ」


 二発目の弾を込めながら、彼女は冷淡に答える。



「あいつらは、私を暗殺するために来たんだ」



 少年のような魔族が、ニタリと笑みを深ませた。

 

「ああそうだぜ……オレたちはオマエを“アイサツ”しに来た! そうだろ、ヴァルナ!?」

 

「……挨拶ではない。“暗殺”だ、ヴァーユ」


 呆れたような声とともに、もう一つの人影が姿を現した。

 錫杖を携えた、「ヴァーユ」と比べて長身の魔族だ。


 楽天的な彼に代わるように、その魔族「ヴァルナ」は前に出る。


「成る程。貴様がユースティアか」


「うん、そうだよ」

 

「ならば生かしてはおけんな。【銀詠】のユースティア……退魔戦争において魔法使いで唯一〈魁星かいせい勲章〉を与えられるような化け物は、この世に存在してはならない。ここで始末する」


 圧のある口調で声を沈ませ、彼は自らの獲物を睨めつける。

 ユースティアは一歩片足を退き、絶句していたネーヴェに小声で問う。


「ネーヴェ、魔族との戦闘経験はあるよね?」

 

「は、はい……でも、これはどういうことなんですか? 王国は今、魔王軍とは停戦中のはずじゃ……」


「だから奴らも言ってるでしょ。これはだって」


 慣れたような素振りを見せる彼女に、ネーヴェはそれ以上何かを問うことはなかった。銃を持つ手を震わせながらも、相対する敵を見据えて覚悟を決める。


 彼にとって、魔族との戦闘は約五年ぶり。

 それも魔法の使用はなしの、ハンデありの一戦。


 しかしながらユースティアの表情は、毅然としていた。


「私を殺しに来た魔族は、君たちで10組目だ」


「10組目!? マジかよ、超めでてーじゃん! なあヴァルナ、早く記念にぶち殺して帰ろうぜ!!」


「無論だ。……手早く済ませるぞ」


 生真面目な口調でヴァルナは答える。

 そしてその直後、彼は錫杖で地面をひと突きし、一気に上空へと昇った。反応が遅れたネーヴェが慌てて顔を上げるが、彼は一切の容赦無く、



 

「――【瞬雷フォルゴーレ】」


 


 魔術による雷が、ネーヴェらのもとに降り注いだ。

 すかさず二人は散開し、回避しつつ戦闘態勢をとる。


「ネーヴェ、は任せていいよね?」


「はい、俺の銃ならなんとか……」


「そう。なら前のアイツは私が相手する。死なないでね」


「相手するって……師匠の銃はまだ……!」


 ネーヴェは声を荒げるが、ユースティアは迷わず木陰から飛び出していった。ロッドを背面で構えたヴァーユに、真正面から一騎打ちを仕掛ける。


(……大丈夫だよ、ネーヴェ)


「ハハッ! いいぜ、来いよ銀詠!!」


 距離を詰めつつも、彼女は銃を構えた。

 敵の額に照準を合わせ、引き金に指をかける。



「――私のスローライフを邪魔する奴は、ぶちのめすまでだ」



 二発目の銃声が、森に響き渡った。

 


 



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