幕間① 元弟子は語る
ユスティア様への訪問を依頼されたのは、一週間前のことだった。
ローゼオ副団長から珍しく呼び出しを受け、彼の部屋に入ると始まったのは一対一の相談。しかもその内容が、辺境の海辺で隠居生活を送るユスティア様についてのものだったので、俺は心底驚いた。
何しろ、休戦協定締結後の彼女の所在については、一番弟子の俺にすら隠されていたのだから。
「説得の期間は一週間よ。万が一それでも戻って来なかったら、ネーヴェたんは一旦引き返してくること。いいわね?」
ローゼオ副団長は、いつもの女口調で念押しした。
しかし、いくら一番弟子とはいえ、どうして俺一人にそんな重役を任せたのだろうか。ローゼオ副団長やエルダ団長、今は憲兵団にいるアルジェントさんなり、彼女と親交の深かった人物を集めて説得すれば、成功率は上がるはずだ。
そんな素朴な疑問をぶつけてみると、副団長は、
「本当なら、そうしたいんだけどねぇ。でも今の情勢を見る限り、そうもいかないのよ……」
どうして――と俺が口を開く前に、彼は言葉を続けた。
「それに、いきなり大勢に押しかけられても、あの子も萎縮しちゃうでしょ。こっちが戻ることを強制してるみたいに捉えらえたら、最悪あの子の意志を尊重することはできなくなる。……だから今はまず、ネーヴェたんの力を借りて少しづつあの子の心を溶かしていきたいのよ」
もっともらしい理由だと、俺は思った。
けれど、彼のその言葉の裏には何か別の真相が隠れているんじゃないか――そう勘繰ってしまう自分もいた。
結局、あくまで「提案」だったそれを俺は承諾することにしたのだけど。
「じゃあ頼んだわね、ネーヴェたん。それから、誰かに訪問のことを訊かれても、引き戻しの件については喋らないこと。あくまで尊敬する師匠の家に遊びに来ているってことで、通してちょうだい♡」
チャーミングにウィンクまでして、副団長は言った。
本当にこの人は……いや、やめにしよう。
とまあ、そんな
説得の方は、お察しの通り難航している。
◇◇◇
「ふぁああ……おはようネーヴェ……」
俺が師匠の家に来てから、二度目の朝。
昨日よりも少し早い時間に、師匠は起きてきた。寝巻きの肩紐が片方ずり落ちて少々だらしない感じになってしまっているけれど、師弟時代にはいつもの光景だったから俺も動揺しない。
「おはようございます、師匠。朝ごはんできてますよ」
「ん……ありがと。いただきます……」
ふらふらと席につき、眠そうな目で両手を合わせる師匠。
もそもそと朝飯を食べる姿は、どこか小動物のような愛らしさがある……ような気がする。
こうして見るとやはり、彼女は以前と比べてだいぶ丸くなった。彼女自身が言うように「生きがい」を奪われた結果のことなのかもしれないけれど、俺からしたらまるで別人のようだ。
俺に鬼のように教えを説いていた頃の師匠は、もういないのかもしれない。
いい意味では丸くなり、悪い意味では腑抜けてしまった今の彼女は、
(師匠も、まだ
師匠にとって魔法は、人生そのものと言っても過言ではなかった。魔法を奪われた彼女に残っているのは、この海辺での生活のみ。残酷な現実だ。
俺はただ、彼女に同情するしかなかった。
副団長が引き戻しを躊躇していた理由も、今ならわかる気がした。
◇◇◇
さて、そんな可哀想な師匠はひとつ、俺に隠し事をしている。
……いや、正確には、しているかもしれないって話だ。
「ネーヴェ、私がこの部屋にいる間、絶対に中を覗いたらダメだからね。部屋に入るのもダメだよ」
そんな忠告を、彼女は俺に再三繰り返している。
この家の一番奥にある一室、そこだけは俺に入られたくないらしい。家の中で唯一鍵のかかった部屋でもあるため、どこか異様な雰囲気をそのドアから醸し出している。
明らかに、怪しい。
師匠は昔から、隠し事をするのがヘタなんだ。
「何度も言われなくてもわかってますけど……なんでですか?」
「な、なんでって……それは……」
師匠はわかりやすく動揺する。
必死に言い訳を考えているのがバレバレだ。
もう隠す気ないだろ、これ。
「それは……あれだよ」
「どれですか」
「だから、あれだってば……ほら……」
珍しく師匠が本気で焦っている。
どうやら本当に、俺に知られたくないことのようだ。
一体どんな言い訳が飛び出すのやら、と思っていた矢先、
「……え、えっちな研究だよ」
マジかよ、この人。
思わず素で呆れてしまった。
昔から師匠は、俺への隠し事を「えっちな〇〇」で誤魔化そうとする節がある。子供は触れちゃいけないことですよ、みたいな雰囲気を出すためだ。
しかし、もう俺もそんな子供騙しがが通用する歳じゃない。
「……師匠、まだ俺にそんな言い訳するんですか? 俺もう19ですよ?」
「ガキじゃん」
「いやまあそうですけどね!?」
というかエルフのユスティア様からしたらほとんどの人間がガキなのでは……なんて言ったら、最悪ぶん殴られて木の下に埋められるので口には出さないでおいた。年齢関係で怒った時の師匠は、なんだかんだ怖い。
「まあとにかく、この部屋には何があっても絶対に入らないで。絶対だよ。師匠との約束」
若干投げやり気味に、師匠は釘を刺した。
「わかりましたって。もう……」
「約束破ったら縄で縛って海に沈めるから」
「怖っ!!」
最後にとんでもない爆弾を落として、師匠は部屋の扉を閉めた。
俺もそれ以上は詮索することもできず、大人しく居間に戻っていく。気になりはしたけれど、俺も女性の秘密を探るような真似はするつもりはなかった。
(約束、か……)
思えば昔から、師匠は俺にどこか一線を引いている気がする。
俺に踏み入れさせない領域が、常に彼女の中にはある。
別に、それが不満ってわけじゃない。
――けれど、不安ではあった。
五年の月日が流れて変わってしまった彼女は、本当に俺のことを弟子として信頼してくれているのか。今の俺の言葉なんて、彼女にとっては波音に紛れた雑音みたいなものなんじゃないのか。
こうして彼女を説得することも、本当は意味のないことだったら。
彼女にとって、迷惑なだけだったら。
そう思うほどに、この五年という隔たりは俺にとって大きかった。
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