第5話 海釣りしようよ
「あの……全然釣れないんですけど」
釣り竿を垂らしたネーヴェは、海に向かって不満をこぼした。
たしかに、彼の竿はさっきからぴくりとも動いていない。こっちも見ていて面白いくらいに釣れてないわけだ。
この子、意外と釣りの才能はないのかな?
「適当に投げてれば釣れるって、さっき師匠言いましたよね……?」
うん、多分言った。
でもそこを責められちゃ困る。
「文句言わないの。気長に待つんだよ、気長に」
「そう言われても……俺、退屈ですよ」
「その退屈さも釣りの醍醐味だよ。釣りは我慢強さの勝負だからね」
釣り始めてから、二時間は経っただろうか。
私も釣り竿を手に岸壁に座って、水面とにらめっこを続けていた。とはいえ、さすがに私の方には魚は来ているけれど。
しばらくしてネーヴェは、眩しそうに空を見上げた。
「……にしても、こういう場所も案外悪くないですね。風も音も何もかもが穏やかで、王都での忙しさも忘れてしましそうな気がします」
海風が優しく、ネーヴェの黒い髪を撫でつけた。
すっかり大人びてしまった彼の横顔に、思わず笑みがこぼれる。
「ふふ、そうでしょ。そこまでスローライフの良さがわかるとは……さすがは私の一番弟子だ」
「そんなことで褒められてもなぁ……」
そう言いつつも、ネーヴェは照れくさそうに笑っていた。
あいまいなその笑い方も可愛かったあの頃のままで……って、これじゃあほんとに私は子の成長を喜ぶお母さんじゃないか。いつから私はこんなに感性豊かになったんだろう。
それとも、こういう風に感じるのが普通なのかな。
「ネーヴェは、最近どうなの?」
海底に視線を戻し、何気なく
「魔法隊の解散の後は、騎士団に移籍したんでしょ。やっぱり騎士団の方が厳しい?」
「んー、どうなんでしょうね。たしかに最初の頃は体力的にキツかったですけど、今となってはあんまり……。むしろ、病弱だった身体を鍛え直せて良かったなくらいの感じです」
やけに誇らしげに、ネーヴェは語った。
思えば昔は、よく風邪を引いたこの子の看病なんかもしていたっけ。とにかく出会った頃から体が弱かったのは覚えている。
けど今この子は、そんなイメージも覆るほどの立派な青年に成長した。
たくましくなった身体からは、騎士団での苦労の日々が窺い知れる。この子は一体、どれだけ騎士団でしごかれたのだろう。
と、気づけばネーヴェの横顔から笑みが消え、
「ただ……今の王国軍の体制は、あまりいいものとは言えませんね」
ネーヴェはそう言って、明らかに顔を曇らせた。
見るからに、愚痴でも聞いてほしそうな顔だ。
「どうして?」
「……〈
「この国の医療は、昔から魔法に頼りっきりだったもんね」
「はい。でも、それだけじゃありません。魔族の操る〈魔術〉……とりわけ『呪い』と呼ばれるものに対して、我々は対処する術を失いました」
「……たしかにね」
事実、〈
敵の策略への対処という点でこの国は、魔族との戦争において圧倒的に不利だ。
「終戦から五年、軍の体制はなんとか持ち直しましたが……やはり、魔法なしの今の状態では限界があります。一刻も早く、魔法のあるあの時代に戻らなければなりません」
瞳に強い決意を宿して、ネーヴェは言う。
その瞳はしっかりと、この国の未来を見据えていた。
「ネーヴェ……」
「ですから、師匠! どうか俺たちにお力を――ぉおおおおおおおっ!?」
「あ、かかった」
うまく勧誘に話を繋げようとしたところで、ネーヴェの釣り竿に反応があった。竿の反り具合からしてかなりの大物だ。がんばれネーヴェ。
「く、くそっ!? なんでこんな時にぃいいいい!?」
「言っておくけどね、ネーヴェ」
「は、はいっ!」
「私は、何を言われても戻るつもりはないよ」
「!? な、なぜ……っ!?」
よくその状態で応答できるな、この子は。
「……魔法を取り戻すにはね、
やがて私の釣り竿もぴくりと動き、海底へと引かれ始めた。
私は思い切って竿を引き上げる。すると餌にかかった小さな魚が、海面から顔を出した。
「私だって、魔法が
小魚を釣り針から外して、独り言のように呟く。
ネーヴェもなんとか無事に釣り上げたようで、巨大魚を手にこちらを見つめていた。シュールな絵面だ。
「でもそんなのは、人類の幻想でしかない。幻想を追ってもう一度戦争を始めるくらいなら、今の仮初の平和に甘えておくべきだと、私は思うよ」
「…………」
ネーヴェはそれからしばらく黙りこんだ。
私は魚をバケツに放り込み、軽く伸びをして岸壁に立つ。
「そろそろ行こうか。もう十分釣れたし」
「……そうですね」
陽はだいぶ傾き、水面を薄くオレンジに染めている。
夕日に追われるようにして、私たちは帰路についた。
◇◇◇
「ほらシャロ、エサだぞー」
「にゃーご」
夕食時。
砂浜に場所を移した私たちは、薪を集めて焚いた火で魚を焼いていた。飼い猫のシャロにも、一本焼き魚を提供してやっている。ぜいたくなやつだぜ。
「……猫なのに外で飯食うんですね」
ネーヴェが不思議そうな目でシャロを見つめる。
まあ、こいつはただの猫じゃないことだけは確かだ。
「こいつは私のスローライフ仲間だからね。頼れる相棒だよ」
「頼れる……? この猫がですか?」
ネーヴェの怪訝そうな視線に、シャロも負けじと睨み返す。
頼むからケンカしないでほしい。頼むから……。
それとなく話題をずらそうと、私は口を開く。
「そういえば……ずっと気になってたんだけどさ、ネーヴェの持ってるその武器みたいなの何? 槍?」
「ああ、これですか?」
右肩に提げた細長い革のケースを、ネーヴェは砂の上に降ろした。実を言うと彼はここに来てからずっと、その護身用の武器のようなものを身につけている。さすがに杖でもないだろうし、実は気になって仕方がなかった。
「ふっふっふ……よくぞ聞いてくれましたね、師匠」
勿体ぶるように、ネーヴェはケースを開け始める。
ややあってそこから出てきたのは、木と鉄でできた長い銃身。
「それは……銃?」
長銃……いや、マスケット銃だったか。
「はい。これが、今の俺の相棒です!」
ネーヴェは誇らしげに銃身を輝かせてみせる。
なんでも王国は、攻撃魔法の代替として数年前からマスケット銃の開発を進めていたとかなんとか。魔法使い時代から狙撃の得意だったこの子のことだ、能力の活かせる武器を選んだのは自然なことだろう。
でも――
「魔法の代わりに……とはよく聞くけどさ、それ実際役に立つの?」
銃なんて一言で言えば、鉄の弾丸を飛ばすだけ。
魔法のあった時代には一部の物好きしか使っていなかったし、魔法に比べると応用が効かないレベルの話じゃない。私は銃の実用化については前から懐疑的だった。
それに対して、ネーヴェは。
「――そこまで言うなら、実際に見てみますか?」
「え?」
少し笑みを浮かべたネーヴェは、そこで目つきを変えた。
装薬と弾丸を込め、火薬を装填して力強くコックを引く。
迷うことなくその一連の動作を行い、彼は銃口を空へと構えた。
見上げた夜空には鳥型の魔物が一匹、こちらの煙に誘われてやってきていた。私はまったく気づいていなかったけれど、ネーヴェはそれを獲物と見たようにふっと息を吐き、
「――
ネーヴェが躊躇なく引き金を引く。
瞬間、鉄の弾が空を翔ける。
発射された弾丸は、魔物の頭部を正確に撃ち抜いた。
鳥魔物の死体が真っ逆さまに空から降ってくる。
「ふぅ……」
ネーヴェは一つ息を吐いて、清々しい顔でこちらに振り返った。
この子の狙撃能力は、やはり化け物だ。
「どうですか、師匠? 意外と役に立つでしょう、俺の相棒!」
ドヤ顔で相棒の性能を誇るネーヴェ。
実際にあんなのを見せられたら、私はもう……ダメだ。
「……ほしい」
「えっ?」
私は、案外こういうのにチョロい。
「――私もその銃ほしい!!」
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