第4話 崩れゆくスローライフ
ユースティア宅にネーヴェが押しかけた、次の日。
場所はフォルトゥレグノ王国、王都カピターレ。
王国軍「騎士団本部」にて。
「さぁて、ネーヴェたんも上手くやってる頃かしらねぇ……」
重厚な椅子の間に腰掛けた女性……否、大柄な男性が言った。
派手なピンク色の髪は側頭部から剃り上げられており、残りを後ろで丁寧に結っている。男性の割に化粧が濃く、女性然としたその大柄なシルエットは、部屋の奥で異質な雰囲気を放っていた。
彼の名は、ローゼオ・アンドレッティ。
現在の王国騎士団において、副団長の座に就く人物だ。
「ユスティアたんも、早く戻ってきてくれるといいけど……」
羽ペンを
執務机に置かれたコーヒーは、まだじんわりと熱を帯びていた。
すると、正面の扉が三回ノックされる。
「――副団長、私です」
「あら、フィオーレたん? いいわよ、入ってらっしゃい」
「失礼します」
ローゼオが快く返事をすると、扉は開け放たれた。
入室した一人の少女が、静かにローゼオのもとへ歩み寄っていく。灰色の髪にリボンを添えた、どこか儚い雰囲気を内包した少女だ。
「遠征中の団長より書状を預かっております。どうぞこちらを」
「悪いわねぇ、毎度毎度。ありがと、フィオーレたん」
ペンを置き、少女から一通の手紙を受け取る。
彼が手紙を開封する間、少女はわずかに視線を落とし、
「副団長、そちらのペンは……」
「ああ、これ? そうね、ユスティアたんからの貰いものよ」
彼はペンを手に取ることなく、側面をそっと撫でた。
昔のことに思いを馳せるように、目を細めて。
「一番弟子のネーヴェたんに頼んでみたはいいけど、戻ってくるかしらねぇ。フィオーレたんはどう思う?」
「さあ……私は、あの方とはそこまで……」
少女は困惑しつつも、それから考えるような素振りを見せて、
「ですが……もう五年もここを離れているんですよね? その状態から今、このタイミングで戻ってくる見込みは……」
「――あるわよ。見込みは」
ローゼオは力強く、そう断言した。
椅子を回転させ、窓から見える蒼穹を高く見上げる。
「あの子なら……自分のやるべきことに、きちんと向き合ってくれる。アタシはそう信じてるわ」
デスクの上の羽ペンを一瞥し、彼は微笑した。
「あの子も結局は、優しい子だもの」
◇◇◇
ああ、朝だ。陽の光が眩しい。
早く起きなきゃ――なんて一瞬思ったけど、よく考えたら大丈夫だ。今は私ひとり、気ままにスローライフを満喫中。二度寝でも三度寝でもし放題。
やはりスローライフがすべてを解決する。
スローライフ最強。やったぜ。
なんて、二度寝をかましたのも束の間――
「……様! ユスティア様! いい加減起きてください!!」
誰だ、私の安眠を妨げる不届者は……。
いや待て、この声はまさか?
「師匠! マジでそろそろ起きてください! もう昼前ですよ!!」
「んん……ネーヴェ……?」
懐かしい感じがする。ついこの前まで、こんな風に誰かに起こされていたような記憶があるようなないような。いや、やっぱりあるような。
そうだ、これはネーヴェといた頃の記憶……。
「はぁ……やっと起きましたか。師匠」
「おはよぅ……ってあれ、なんでネーヴェがここに……」
「寝ぼけたこと言わないでください。ほら、これで顔洗って目覚ましたらどうですか?」
「ん……そうする」
少しはだけた衣服を直して、ネーヴェの用意してくれた桶で顔を洗う。するとだんだん意識がクリアになっていき、昨日の記憶も闇の奥深くから浮き上がってきた。
「そっか、今日からネーヴェはこの家に居候するんだっけ……」
「居候は人聞きが悪いですよ。あくまで俺はユスティア様を説得できるまで、この家に留まるってだけの話ですから。もちろん、その間は家事もちゃんと手伝いますんで」
「……じゃあ、私がNoって言い続ければ、ずっとネーヴェがお世話してくれるってことか」
「弟子をなんだと思ってるんですか……」
ネーヴェに呆れられた。
でもこの状況、ある意味私にとってプラスでしかない。ネーヴェが疲れて折れるまで使い倒して、逆にこのスローライフの快適さと有意義さを叩きこんでやる。
覚悟しろ、ネーヴェ!
「ネーヴェ、もしかして朝ごはんまだ?」
「え? ああ、朝食なら俺が作りましたよ。まあ簡単なものですけど……」
「お世話する気満々じゃん」
「……っ、仕方なくです!!」
「ユスティア様って、前と比べてだいぶ丸くなりましたね」
朝食のパンをかじっていると、ふとネーヴェがそんなことを言ってきた。おい弟子、女性に対して丸くなったはちょっと失礼じゃないか。
「それ、喧嘩売ってる?」
「いや、体型の話じゃなくて……ていうかなんで俺がいきなり喧嘩腰になるんですか」
たしかに、それもそうだ。
いきなり人の体型をディスるほどこの子も無礼じゃない。
「じゃあ、性格のこと? 私そんなに変わった?」
「変わりましたよ。前の師匠はもっと、キビキビしてて尖ってたじゃないですか」
「尖ってた覚えはない……」
けれど、ネーヴェの言い分もわかる。
前の私はきっと、使命感とやる気で満ち溢れていた。
自分の故郷を奪った魔族を一匹残らず根絶やしにすることが、私の最終目標だった。そのために、私は魔法の道を極め、同胞たちの先導者になる。それだけを考えて生きていたようなものだ。
しかし、魔法の「消滅」によって私は、生きがいを奪われた。
「魔法が消えたから……なんて、言い訳になるのかわからないけど、多分そうなんだろうね。時々自分でも、いま生きてる意味はあるのかって考えることもあるよ」
「ユスティア様……」
「それでもまあ、まだ死ぬつもりはないんだけどね」
ネーヴェの用意した朝ごはんを完食して、私は皿を洗って片付けた。ネーヴェが若干不安そうにこっちを見つめているけど、ここで彼に嘘をついたって仕方がない。
「あと、呼び方どっちかにしなよ。師匠かユスティア様か」
正直「ユスティア様」は堅苦しくて嫌だけど。
それとちなみに、「ユスティア」という呼び名自体は愛称だ。
「そう、ですね……じゃあ、『師匠』でも大丈夫ですか?」
「ん。好きに呼びなよ」
実を言うと、今はこの子の師匠なんて名乗れないんだけど。
まあ、私の自己肯定感が上がるからこれはこれでいい。たぶん。
「さてと……ネーヴェ、今日は何か予定ある?」
「予定ですか? いえ、俺は特には……」
「それじゃあ、釣りでもしようよ」
「釣り、ですか……?」
ベッドの横に立てかけてあった釣竿を手にして、そのうちの一本をネーヴェに手渡した。食料として使うにもシャロの餌にするにも、今は圧倒的に魚が足りない。
「でも俺、釣りなんてしたことないですよ?」
「そんなの関係ないよ。適当に竿投げてれば釣れるもんだし」
困り顔のネーヴェに、たまには年上らしく物を言ってみる。
それにこの子には、私が叩き込んであげないといけない。
スローライフの、本当の魅力を。
「ふふふ……君にも教えてあげるよ。
海辺のスローライフの、真の楽しみ方をね……!」
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